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日記:凡人性の違い/俺が寄り添いたかった人々/若気の至り

凡人性の違い

 生きていてはいけない人間などいないのだという常日頃からの主張と相反するようではありますが、俺自身は「平凡なまま生き続けること」や「平凡な幸せ」なるもの、あるいはこのままいけばそう見なされうるであろう自身の生に一切の意味や価値を見出していません
根本的な思想として10代や学生時代のうちに成功できていない人生を、それでいて尚続ける意味や価値を感じていないので。

 そうした「凡人のまま死にたくないし凡人のまま生きていることにも価値はない」という主張を(プロデューサーさん側のTwitterアカウントにおいて)していたら「凡人のままでも幸せになりたいしなれると信じている人」に本気で嫌われたらしいことは未だに引き摺っていますが。

 その割にはなぜ成功するか、そもそも受け入れられるかもわからんゲーム作りなんかしたいという思いを未だに捨てきれずにいるのだろう、成功するかわからないとわかっていてやり続ける意味など無いのではないか?と思っていますし(A. 未だに個人サイト全盛期に感じた憧れから脱却できていない)
そもそも絵を描こうとしたことなども、元はと言えば自分の好きなフリーゲームの制作者のように自分のゲームに出すキャラクタのデザインやドット絵を自分で描けるようになりたかった
または好きな巨乳系エロ絵描きのような絵を描けるようになりたかったという部分が大きかったので誤りだったのではないか、むしろ今の巨乳系エロ絵描きに対してのTwitter等における風当たりの強さを見ていると俺がそうした絵ばかり描き続けてきたことも誤りでしかなかったのでは?としか思えない部分はあります。

俺が寄り添いたかった人々

 俺自身の主観として男性の精神疾患当事者は「いないもの」として扱われやすく(『メンヘラ』という語句がカジュアルに用いられるときそこには言外に『女』のニュアンスも含まれやすい)、(先天的)男性の精神疾患・発達障害当事者・機能不全家庭育ちといった人々に寄り添うような何らかの発信をしていきたいと思っていました。

 また、いじめ被害歴のある人々も「『いじめられっ子』という負の属性」としてweb上において軽視されがちな印象があり、でもそういったことを俺は間違っていると思うし俺以外にも間違っていると感じる人々はいるはずだよね、という一種の希望的観測を抱いていたりしています。

ですがweb上においてとにかく精神疾患・発達障害当事者同士の交流は築きにくく崩れやすい印象があり、俺自身も実際に精神疾患を抱えていた方との交流が決定的に破綻したことが何度かあるので今後それを成し得るかという部分において不安は大きいです。

 そういった方々に限らず主にバーチャル・クリエイティブ界隈で活動しているいろいろな人と仲良くなりたい(これは打算的部分も大いにあり)、今仲のいい人ともっと仲良しになりたい、という気持ちをようやくまともに認識して受け入れつつあるように感じていますが、
一方でネット上での交流については歳を重ねるごとに積極性が損なわれている(リアル小中学生ぐらいの時期のwebでの振る舞いのようにとにかく知らない人々が喋っているところに突っ込んでいくという動きができなくなって久しい)ので難しいところです。

若気の至り的な話

 バーチャル活動を始める前の俺はまだ定期的な通院・服薬をしていなかったこともあり大層キレやすかったので、プロデューサーさん名義のTwitterアカウント等ではReply等による衝突が発生したり自分より有力な作家系アカウントなどにブロックされることもしばしばありました。
(ここまでの文章を見てなんや痣身も昔はヤンチャしてたアピールできとるやんけ、と思う方もおられるでしょうが俺が望む昔はヤンチャしてたエピソードとはそういうショボいものではないので)

 ギョーカイ的な意味でマークされたりしてはいないかというのも心配ですが(無名だから杞憂というわけでもないし)、昔から何かしらweb上で揉め事があると揉めた相手の人脈を介して俺の悪評が芋蔓式に広まっているのではないか?ということをどうしても考えがちになります。数年も経てばよほど粘着質な相手でなければ忘れているか?と思うのはさすがに希望的観測が過ぎるでしょう。

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