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2023年日本心理臨床学会第42回大会自主シンポジウム『精神分析的臨床のフロントライン(3)』―面接室を出て、現場へと歩き出すこと(アウトリーチ臨床)―開催報告

司 会 者:重宗祥子(さちクリニック)
話題提供者:岩倉拓(あざみ野心理オフィス)木下直紀(聖マリアンナ医科大学病院精神療法・ストレスケアセンター)
指定討論:木村宏之(名古屋大学)白波瀬丈一郎(東京都済生会中央病院)

企 画 者:森一也(南青山心理相談室/京都大学大学院)小牧右京(メルクマールせたがや)日置千佳(東京都公立学校スクールカウンセラー/あざみ野心理オフィス)坂口正浩(川崎市中部児童相談所)

 今年も日本心理臨床学会にて自主シンポジウムを企画し、約100名の方にオンラインでご参加いただきました。参加してくださった皆様、ありがとうございました。
 今年度のテーマは『精神分析的臨床のフロントライン(3) ―面接室を出て、現場へと歩き出すこと(アウトリーチ臨床)―』です。2021年度の『フロントライン(1)』では刑務所・ひきこもり支援・精神科病棟、2022年度の『フロントライン(2)』では、スクールカウンセラー・児童福祉領域という臨床現場のフロントラインを取り上げました。今回は、面接室を出て現場に赴くアウトリーチの臨床に焦点を当てています。フロイトが述べた「運命的な不幸をありきたりの不幸に変える」臨床から一歩踏み出し、アウトリーチは「不幸」を生み出さない未来を作っていく臨床であると企画者たちは考えています。それはどのような実践なのでしょうか。そこに精神分析の何が活かされ、何が改められるのでしょうか。では当日の様子をどうぞ。

<話題提供>

パンデミック下の職員支援活動

 最初に木下さんから「パンデミック下の職員支援活動」の実践を話していただきました。COVID-19が世界を揺るがし日本にも感染が広がり始めたのと同時に、拠点病院に勤務する木下さんは医師と共に、職員支援チームを自主的に立ち上げます。その支援チームに、職員に感染者が出た病棟から支援が要請されました。COVID-19の感染経路も重症化リスクも未知数だった時期です。病棟全体に与えた打撃は大きく、感染した若手職員達とその他の職員の間に亀裂が入り、対立が深まっていきました。
 支援チームは職員や管理職と面談を重ねるうち、この分断の芽が実は以前からそこにあったこと、「職員同士がすっかり打ち解けて元に戻る」つまり分断が解消すれば業務上の困難までもが消えるのではないか、という期待がそこにあることに気づきました。支援チームはこの理解を病棟管理者や職員と共有して話し合い、「仲直り」ではなく「業務を継続すること」を目指して全職員が会するミーティング(グループワーク)を開くことを決めます。
 グループワーク当日、支援チームは魔術的な解決を求められている重圧の中、その末席に座っていました。つるし上げのような空気が流れかねない場でしたが、感染した職員の行動や考えに理解を示し、自分たちのことを振り返る発言が現れ始めます。支援チームも発言しましたが、それはプロセスを明確にし、エンパワメントするコメントを伝えるので十分でした。怒りに区切りをつけて前に進もうとする姿勢が場全体に共有されて、グループワークは終わりました。支援チームはそれまでのような収拾がつかない事態は脱したと考え、フォローアップを本来の支援者である当該部署に任せて支援終了しました。
 木下さんはこの事例から、「構造化のあり方」と「現実との関わり」という点に絞って考察を示してくれました。
 支援チームの業務の大半は、関係各所と話し合いながらそこで何が起きているかを考え、それに取り組むための実効性のある支援を構築する調整作業だったということです。そしてこの一連の作業が構造をもたらしました。一昨年このシンポジウムで平野先生が示された「マスターキートンモデル」(使えるものは全て使う)も参照し、言葉にすれば当たり前のこの調整作業を重ねて「支援活動を機能させる」ところまでが私たちの仕事だ、と木下さんは主張されています。
 オーソドックスな心理療法で扱われるのは「心的現実」であるのに対し、このような支援活動で扱われるのは「現実」であり、その現実を動かしているのはひとりひとりのパーソナリティと、その集まりである集団心理です。人がどう生き、組織がどう生きるかという課題には、私たちの関わる仕事があるはずです。木下さんもオーソドックスな心理療法を行っていた時期には、扱うべきは心的現実であり現実に触れるのは逸脱、心的現実と現実は「混ぜるな危険」であるかのように感じていたそうです。しかし今は現実を扱っても有毒ガスのような何かは発生しないと考えておられること、しかし取り扱いには注意が必要であることを示されました。
 今回の職員支援活動の臨床を行なって木下さんが経験したのは「関わるか関わらないかで一番変わるのは自分自身」という感覚でした。行動を起こし現実に関わることによって不幸が生産されない未来を創ることができる人になるかもしれない、という熱い言葉で木下さんのご発表は締めくくられました。

東日本大震災の被災地支援

 次に岩倉さんから、東日本大震災の被災地支援についての話題提供です。支援活動は被災から歳月が経って帰還準備に入った時期、ある町の保健師からの依頼で始まります。岩倉さんは単回ではなく定期的で継続的な支援・保健師の面接に同席する形での支援を提案し、まずは月1回町民が住む地域を訪れるようになりました。訪問を続け保健師と話し合ううちに、町民同士で帰還をめぐる葛藤や分断があることが分かってきます。育児や発達といった主訴の向こうには様々な被災の影響が渦巻き、保健師もまた住民の痛みを受け止めて苦しんでいました。
 住民の町への帰還が始まった時期、ある青年が事例化します。青年は被災によって唐突に家族の秘密にさらされ、暴力的な行動を起こしたために警察から保健師につながりました。岩倉さんは保健師・児相・警察とも情報共有しながら定期的に訪問し、青年の痛みは受け取られ、人生の物語が紡ぎ直され、暴力問題は解決をみました。このような経験から、被災というトラウマが住民の固有の問題や状態と関係して顕在化していること、そのパーソナルな問題を理解し、踏み込むことの重要性が保健師と共有されていきました。
 岩倉さんは町に馴染んでいることを感じる一方で、違和感を抱き始めます。帰路につく自分が違う人間になっている、という感覚です。同時期、町には「外部から来る人が悪い影響をもたらす」というような被害的な空想があちこちで聞かれるようになっていました。
 支援開始から3年目に外部から応援に来ていた保健師らが引き上げることになりました。現地保健師と岩倉さんは取り残されたように感じ、保健師は引き上げへの怒りを口にします。しかし同時に現地保健師は、実は岩倉さんが来ることによって膨大な負担が生じているという本音を告白しました。この告白はそれまで感じていた帰路の違和感や町に充満していた被害感と繋がり、自分もまた東京から来ては帰って行く「加害者」でもあったという気づきに至りました。この本音が共有され、改めて岩倉さんは町の一部・町のスタッフとなっていきます。
 同じ頃、帰還を機に抑うつが深刻化していたある女性の事例が継続していました。女性は希死念慮に苛まれており、親族からの抑圧を語りながらも決定的な何かを口ごもり続けました。やがて、岩倉さんが外部の信頼しにくい加害的な存在として、一方で保健師に対しては身内だからこそ恥をさらしたくない、という抵抗があることが理解されます。このワークを通して被災後の壮絶なトラウマが語られました。女性は引き続き親族との葛藤を回想し、希死念慮は消退していきました。
 その後支援の予算が拡充されて訪問の日数も増え、コロナ禍や原発をめぐる問題に揺れながらも支援活動は続いています。
 岩倉さんは、「町」を一つのパーソナリティとみなし、継続的・定期的にこころを差しだし、感じ、考え続けること、「町」と「私」との関係性の移り変わりを見ていくことを精神分析的臨床と考えている、と考察されました。また、面接室で行う精神分析的心理療法に対して、セラピストが現場に赴く「アウトリーチ」は問題探索的・予防的であり、精神分析が扱う「事後性」に対し“事中性”の臨床といえ、以下のような特徴がある、と整理されています。

①本人のモチベーションは低く、問題は周囲に排出されている。
②その問題を抱えているスタッフ(保健師)がいる。
③無構造で何が起こるかわからない状況における、構造化や継続性が重要。④分析的理解に基づくマネジメント・コンサルテーション・事例検討が有効。
⑤集団(町)とセラピストとの関係という俯瞰した視点が重要

 という特徴です。さらに、保健師-心理士協働モデル、支援者支援、「耕し」過程、コンテイナー・コンテインドモデルとコンテインメントにより理解され扱われる集団臨床場面、といったキーワードで考察が述べられ、アウトリーチという変数の大きな現場での精神分析的認識の活用として、下記が論じられました。①個人療法の観点を集団に応用するマクロな視点 ②定期的に継続して関わる構造化の視点 ③関係性を扱う、特に陰性転移のワークの必要性 ④災害トラウマのみならず、トラウマを受ける個人の歴史性、内的世界を取り扱う視点 ⑤そして、その関わりの中に身を置き、理解や文脈を絶えず更新しつづける視点、という5つの視点です。

 COVID-19も東日本大震災や原発事故も、国や世界を揺るがす大きな災害であり、今も続いている災害です。大きな傷つき、恐怖、不安が渦巻くこの「荒れ地」に踏み出し、心理臨床家として考え、行動し続けた先生方の話題
提供でした。

<指定討論>

木村先生・白波瀬先生からの指定討論

 上記の話題提供を受け、木村先生からビデオで、白波瀬先生からライブで指定討論をいただきました。
 初めに木村先生からの指定討論です。木村先生はご自身が経験された被災地支援とCOVID-19支援に関わったご経験を紹介され、1)設定 2)プロセス 3)その後 という視点から討論をされました。
 木村先生はまず、アウトリーチ臨床の設定の難しさとして、個人のセラピーに比べると設定に治療者が関与しにくい現実的問題があるため、そのことが後の経過に影響を及ぼすのではないか、との考えを示されました。その上で、木下さんに対して、個人心理療法に比べると困っている当事者との間に多くの人が入るために「当事者」がイメージしにくいのではないか、設定への関与はどうだったか、こうした状況で横行しがちなトップダウンの影響どうだったか、について質問されました。また岩倉さんに対しては、月1回から隔週への頻度設定の影響や設定がプロセスに与えた影響について質問されました。
 プロセスについては、木下さんが経験されたような非常に混乱した現場では「集まらない、遅刻する」などの設定することの困難、「本音を言わない・言えない雰囲気」など率直に意見を言ってもらうことの困難、「継続を言い出せない」など継続することの困難があるのではないか、そのような時には「いつまで続くのか、責任は誰が取るのか」を明確にすると集団が落ちつくと思うが、木下さんの治療者としての内的な変遷について質問されました。岩倉さんに対しては、一般的にある集団に専門家として関与する場合、理想化される時期を経て専門家機能が集団に取り入れられていき、その後、治療者の役割が小さくなり(あるいは小さくして)活動を終えるように考えられ、治療者個人の経験としては、治療者が「よそ者」から「仲間」に入れてもらえるようになりながらも、内的には「よそ者」である限界に気付く経過を経るとの考えを示されました。その上で、自身が「加害者」であると愕然とした体験について改めて質問されました。
 最後に、木下さんと岩倉さんの双方に対し、「その後」のフィールドへの思いについて聞きたい、と討論を結ばれました。
 次に白波瀬先生です。指定討論は、精神分析という道具をより豊かで多様なフィールドで活用可能なものにするためにという観点から行われました。白波瀬先生はその作業は「精神分析的とは何か」という問いを考えることを通して達成されると考えておられます。そして、哲学者ネルソン・グッドマンの「いつ藝術か」という論考をヒントに「いつ精神分析的か」という問いを立て、今日の話題提供で発表された臨床実践について「いつ精神分析的だ」と考えられるのか、と質問されました。

指定討論へのレスポンス

 まず木下さんからのレスポンスです。
 職員支援活動は、何の見通しも持てない未知の事態の中で文字通り「怖くて足が石のように固まる」体験をしながら「ここで何もしなかったら後々、自分を許せない」と思って支援チームを自分の意思で立ち上げたそうです。自発的に行った支援活動なので設定のイニシアティブが取りやすかった面があるということでした。トップダウンの問題については、怖いことを誰かが決めなければならない時はトップダウンにならざるを得ないこともあると考えられ、また「トップ」は協力してくれないことを恐れてもいるために、態度が強硬になる場合があるのかも知れない、とのことでした。また、実際に支援活動をしている時には「組織の分断があることが課題」との理解で動いていたけれど、後になって分かってきたことも多く、例えば「自分たちを含めた全員が、この災害の被災者だった」という理解に至るには長い時間がかかった、ということでした。
 白波瀬先生のご質問に対しては、「精神分析的かどうか」を問われることは、何が精神分析的かという理解が個人によって異なる場合、その問いに応えるには不可能であり、フロントラインで働いているのは精神分析を使いつつ何とか困難な仕事を成し遂げようとする人であり、木下さん自身もその一人である、というレスポンスでした。木下さんが考える「精神分析的」とは「外から何かを教えてもらうのではなく、その人がどうしたら自分を生きられるか、それをこちらも自分の心を使いながら探していくこと」であり、今回発表した現場で「いつ精神分析的だったか」については、自分が支援を立ち上げるために「何かしたい」と言ったときで、それは見て見ぬふりをするのかどうかを問われ、お前は何をするのかと問われた瞬間だったと振り返られました。
 次に岩倉さんからのレスポンスです。
 今回支援した町には、同じ県内の別の市の保健師からの紹介で呼ばれました。その市に対する4年間の支援の経験と関係性をベースに、単回の支援でなく定期的な継続支援にしたい旨をこちらから提案し、その有用性を実際的に分かってもらい、時間をかけて支援の構造設定を作っていったということです。7年の支援の中で予算が増額され、頻度が上がったことでコミットする割合も増えたと実感しているそうです。また、話題提供中での「保健師からの本音の告白」は重要なプロセスの転換点でしたが、町に広がる「悪い影響の噂」や「帰路の違和感」の理解の繋がりに気づいた岩倉さんから「僕が来ることについてもよく考えなければならないのでは?」と問いかけたことがきっかけでこの本音が明かされました。岩倉さんにとって強烈な体験だったそうですが、感謝もしながら、実は結構な負担を強いられている現実を話すことができるようになったことが保健師との間にも、住民との間でも、展開を生みました。そしてこの支援がどう変化し、どう終わっていくかについては未だ見えていないものもあり。まだ「最中」ということでした。
 「いつ精神分析的か」の問いに対しては、この被災地支援が「精神分析が災害に際して何もできないのか?」という岩倉さんの思いが動機の一つだった側面もあり、初めから精神分析的臨床と思ってこの支援を始めていた、というのが「いつから」の答えということでした。また、現場に入った時は、精神分析的かどうかなどは考える暇もない感覚だったが、「保健師の告白」の場面のように、今まで見えていたものの向こう側や別の文脈が見えた瞬間があり、それが精神分析的体験として描けるのでは、と思えたとお話しになりました。関わり続ける中で、深まる理解やより真実に近づき続ける感覚だ、とのことです。

<フリーディスカッション>

 フリーディスカッションでは、フロアからチャットで質問や感想をいただきました。ご発言くださった皆様、アンケートで感想を送ってくださった皆様、本当にありがとうございました。当日いただいた質問内容とディスカッションをご紹介します。
 いただいたご質問は「元々あった問題に向き合う『今』が、災害のような場面ではいきなり来る。そういう場面だからこそ、精神分析的な視点が役に立つことはありますか」というものです。それに対して、「同じ被災体験をしても反応はさまざまであり、その人の心の世界を理解する際に精神分析的な全体的な理解は役に立つし、何で起きていて、何が関わっているのかを考えることが精神分析的応用臨床と考えている」「大変な状況でどうしたらいいか分からない中で、正解を求めるのではなくゼロから考えることをするときに精神分析的視点は役に立った」ということが話されました。
 次に「普段は精神分析的視点を忘れていても、クライエントのより人間的な部分を見た時に、そこに精神分析的な読みとりをし始める自分に気づくことがあり、震災や感染のような事態に触れた時に、精神分析的な見方が生きるというのは、自分にとってはとても自然なことと思った」と感想をいただきました。
 さらにディスカッションは「精神分析的な瞬間、モメント」についての話題に進んでいきます。それは岩倉さんの違和感が「あれも、あれも、あれも、そうなのか」と視野が一気に広がるような理解に繋がっていった瞬間や、木下さんが「みんな被害者だった」という気づきを得た瞬間であるかも知れません。私たちは「その瞬間」が訪れることを目指し、それを引き起こす土台を作り続けているのだろう、とディスカッションは深まっていきました。

 以上がシンポジウムの様子でした。

 参加していただいた皆様、ありがとうございました。フロアのご意見を十分に引き出せなかった部分もあったかと思います。今回の反省を次の自主シンポジウムの運営に活かしていきたいと思います。また、私たちはシンポジウムの他に心理臨床・精神分析的臨床にまつわるテーマについて自由に話す「あざみのカフェ」で様々な話題を取り上げています。そちらもぜひご参加ください。


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