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三井記念美術館特別展に行ってきた

時間が経つのが早い……せっかく行ったので書こうと思ったが今になってしまった。
刀剣乱舞onlineの方でこちらで展示されていたソハヤノツルキウツスナリが極(いわゆる限界突破にあたる)になるので、タイミング的にはちょうどいいと思いたい。

三井記念美術館で開催中のNHK大河ドラマ特別展「どうする家康」

個人的にはメインはこっち。確実にこっち。
だって、大河見てないもん。一年間も週一でドラマ追うなんてできない。
1話完結、死なない、ほのぼの、いい人しかいないっていうなんも起こらないドラマなら見る。

大河は無理。
一回何かを最終回だけ見たら、主人公が死んだのでそれだけで咽び泣いたので。
最終回だけで泣ける女なんです。前後の脈絡関係なく。主人公死んだ。それだけで泣いたので、それから見てない。だって大河の主人公は死ぬもん。

それでも、展示自体はとても面白かった。
テーマが「どうする家康」だから仕方ないが「どうする?」の強調が結構あって、「どうにかなるだろ」って思ったのは胸の内の話。

重文の天目茶碗や洋時計、派手さはないけど、質素堅実と言われればそうなのか、落ち着いた感じは好ましかった。

どっかの誰かさんの黄金の茶室とは違って、こちらの茶室は侘び寂びを重んじ、ほっとできるようなシンプルな作り。でも計算され尽くされているのだろうなとは思う。
別に黄金でも構わないけど、そこでお抹茶嗜むのは……なんか違う。

東照宮の極彩色の煌びやかな印象からすると、宝物はたくさんあるがどれも普段使いしやすそうな、絢爛豪華ではなく侘び寂びを感じるものの方が多く、家康自体の印象も少し変わった気がする。

家康といえば、戦場で脱糞してしまった狸ジジイのイメージで終わっていた。徳川十五代260年くらい続いた太平の世の礎を築いた人というのはあるけど。

徳川の時代は、200年くらい戦乱なかったんだなと思うと、それだけですごいわけで。
今、平和だと言われるが、第2次世界大戦からは80年経っていない。その倍以上江戸時代は平和だったわけだ。
まあ、色々あっただろうけど。それは今も同じ。

それは家康の礎を脈々と受け継いだからかなぁと想像したり。

そもそも、「東照大権現」なんて自分を神として崇めてもらおうと言う傲慢とはちょっと違うが、なんて厚顔なんだろうと思ったこともある。

織田、豊臣を始め、伊達、上杉、武田などと比べると地味な印象もある。
まあ、散り際が派手なのは、戦乱の世だったからというのはあるかもしれない。
鷹狩りの途中で腹痛を訴えてそのまま亡くなるというのは平和な世になったからかもしれない。

そういう印象も、この特別展を見て変わった。

人質としてすごした幼少期から、人生の大半が戦乱の世だったわけで、きっと戦場で脱糞したという逸話が残っているくらい小心者で慎重さも持っていたのではないだろうか。

自分を「東照大権現」として神格化することで、末永い太平の世を自分が見守っていきたかったのだろう。
ソハヤノツルキウツスナリの鋒を西方へ向け墓所に置くように遺言したというのだから、子々孫々への太平の世を置き土産にしたかったのではなかろうかと予想する。

それが違っていてもなんでも、徳川の世は15代まで続き、今も徳川家は継続中であるのだから、家康の想いは繋がっているのかもしれない。

二振りの刀剣を目当てに行ったが、それらを楽しみつつも、家康の人生を垣間見て、脱糞狸ジジイの印象から格上げできたことはこれ幸いだったのかもしれない。

美術館巡りは、こういう思わぬ収穫があるのでやめられないものである。


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