第二戦略:教えに最適な瞬間を認識する②


今回も「第二戦略 教えに最適な瞬間を認識する」をお伝えしていきます。
一見、どこに美徳があるの?と思うようなことの中にも美徳は必ずありますというのが、ヴァーチューズプロジェクトの視点です。何事にも美徳の要素が隠れていて、それに光を当てることで育んでいくのです。
美徳かどうかわからない、というときに最適な諺があります。「過ぎたるは及ばざるが如し」
美徳が強過ぎても弱過ぎてもネガティブな体験につながってしまうということです。
弱い、つまり、もっと育んでほしいときは、「美徳の導き」や「美徳の修正」がありました。
強すぎるときは、どうするかというと、別の美徳を呼び入れてバランスを取るのです。
出る杭は打たれるのではなく、出る杭はそのままに他の杭を引っ張り出すのです。そうやってバランスをとります。
例えば、「自己主張」の美徳が強く出ると「わがまま」に見えます。逆に言えば「わがまま」なのは「自己主張」の美徳を発揮し過ぎているからなのです。
一般的には「わがまま言うんじゃない」と黙らせますが、美徳の視点からだと、これが「自制心」や「節度」「謙虚」や「思いやり」などの学びに導くのです。
一見「自制心」や「節度」というと「わがままを言うんじゃない」と押さえつけるのと同じと勘違いするかもしれませんが、全く違いますよ。
ここで、ポジティブなサンドイッチが活躍するのです。すでに十分に発揮されている自己主張をし承認して、その上で、こんな美徳を発揮してみてと促すのです。また、どんな美徳を発揮したらいいか一緒に考えるのでもいいでしょう。
どんな美徳も行き過ぎれば問題行動になってしまいます。でも、問題行動であっても、そこにはそうする理由があり、そこに美徳があるのです。見つけて、名指しして、そして別の美徳でバランスを取る。そうすることで、その人の最善を引き出すことができるようになるのです。
感謝を込めて☆

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