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川西さんがスカートを履いた日 (短編小説:4500文字)

 女の子に生まれてきたのがそもそもの間違いだったのだ。多分。生理はくるし、足はむくむし、頭痛はするし、年中イライラしている。かといって男に生まれたところでそれはほとんど同じことだったと思う。生理が来ない代わりに精巣にコントロールされて、むしゃくしゃしながら青春を無為に過ごしていたはずだ。
 だから結局のところ、人間に生まれてきたこと自体が間違いだったのだろう。もう少し自分を認知する能力の低い動物に生まれていればよかった。食物連鎖の最底辺で慎まやかに暮らしていたかった。

 うちの高校は少し荒れているので、生徒が軽くメイクをしていたり髪を染めたりするのは当たり前のように見られる。まるでそうすることで人権が初めて得られるような、高校生らしい、人目を過剰に意識することから逃れられないことを端的に表したかのような掟がある。
 停滞する地方経済。安い賃金で買いたたかれる労働力。若年人口の減少。予算のない公立高校。大人は自分のことで精いっぱいで、私たちのことなんかきっと目に入らない。

 私は当然のごとくすっぴんで登校していた。装う意味がよくわからない。お金をかけてまで身なりを整える意味があるだろうか。どうせいつか崩れるのに。なのでまぁ、確かに浮く。浮くし、舐められるし、はぶかれる。
 この学校の中では、成績はいいほうだ。でも決して頭がいいわけじゃない。世の中には私よりも勉強ができる人なんていくらでもいるのだ。そんなことは誰にいわれなくても痛いくらいわかっていて、その事実が何より痛かった。

 クラスの中に私の居場所はあるかないかというと、ほとんどない。馴染めない以前に、ついていけないのだ。異性の話、好きな男性芸能人、マンガ、映画、なにもかもに興味が持てない。私の読む本は、家で母や父が好んでい読んでいるような、時代物の小説や青空文庫の中身だし、テレビは見ないしネットもほとんどしない。お化粧にも異性にも興味がない私が完全に同性の集まりの中で浮いていた。

 しかも最近特定の生徒に目をつけられているらしい。大下真奈加、なんていうか一段と短いスカートと言い、ひときわ明るい髪色と言い、いかにもバカっぽい顔と言い、目立つ女子だ。嫌われている。らしかった。
 よくわからない。他人を嫌いになる暇があるなら、まず自分を何とかすればいいのに。という内心が透けて見えるのか、大下はますます私にイラつくようで、顔を見れば嫌味を言わずにはいられないらしかった。自分の席に向かう途中、目の前にでん、と大下のやや太い足が振り下ろされた。
「お前何しに学校来てんの? 生きてる意味あんの? くせーから迷惑なんだよ。学校来んな、辞めちまえよ」
 みたいなことを言われても、そもそもお前は自分が生きている意味のある側の人間なのか? そう思っているのか? と思ったらなんだか笑えてしまう。生きていることに意味や理由を信じていられるなんておめでたい頭だと思う。
 私にも、お前にも、価値や意味なんてないんだよ。という心の声が丸聞こえなのだろう。大下は私に悪態をつけばつくほど私を憎まずにはいられなくなる。悪循環だった。
「やめろよ」
 頭の後ろから、良く通る澄んだ声が聞こえて驚いた。大下に意見できる生徒がいるとは思ってなかったから。でも加勢というにはあまりに心もとない。だって彼女も私と同じような立ち位置の人間だし。川西万里子、一年の頃から、短く切りそろえた髪と、男子の制服を着て登校する姿が悪目立ちしていて、クラスの人間からはほとんど無視されていた。
「うるせぇな、関係ねぇだろが」
「ないけど。でもそこ、ぼくの席だから」
「あ?」
 大下がカバンを乗せていたのは川西さんの席だったのか。
「座っていい?」
 大下がだるそうにカバンをのけた。
「なんだよ、お前らできてんの?」
 大下の取り巻きが下品な笑い声をあげた。動物に近い笑い声だ、といつも思う。川西さんはそれを全く無視して着席する。大下がまたなにか下品なことを言った、聞くに堪えないような、悪口。
 私はとっさに川西さんの目の前にだん、と手をついて
「余計な事すんなよ」
 と言い捨てて立ち去った。最悪。もう帰ろう。鞄を持って教室を出る。
「待って」
 廊下をずけずけ歩いていると、後ろから誰かに手首を強く掴まれた。振り払おうとして振り返る。川西さんだ。
「触んな。いいからほっとけよ。迷惑だよ。ひとりだけ善人面すんな」
「言われてヤなことは、ちゃんと嫌って言いな。止めてって言え」
「うるさい、関係ないだろ」
「関係ないことなんかない」
「ないよ、私とお前に関係なんか、ない」
「同じクラスじゃん」
「なんなんだよ、大下もお前も、似たようなもんだろ。結局私のことバカにしてるのと一緒なんだよ。失せろ」
 手首を握っていた手の力がふっと緩んだ。私はそれを勢いよく振り払う。
「じゃあなんで」
 川西さんに背を向ける。大股で歩き出す。
「じゃあなんで泣いてんだよ」
 私は返事をしなかった。なんでって言われても、涙をこぼすのに理由がいるだろうか? 単なる生理反応で、ただ目に虫が入っただけかもしれない。人差し指の背で涙をぬぐった。生ぬるい感触が不快だった。これ以上私にあなたを憎ませないでほしい。廊下の乾いた風を切りながら昇降口へ急いだ。

 結局のところ、私も大下と同じようなものなのだ。似た者同士、同族嫌悪という言葉がある。目に入る誰かを愛したり憎んだりせずにはいられない。真っ向から愛した相手に自分の醜さを理由に拒絶されるのが嫌だから、いつしか憎むことしかできなくなった。外からくるものをただ憎んだり嫌ったりすることでしたアイデンティティを固められないのだ。川西さんは多分私たちとは違うのだと思う。憎まないで生きていける人はそれだけで恵まれている。

 しばらくしてから、川西さんが女子生徒用の制服を着て学校に来るようになった。今までどの先生が何時間もかけて説き伏せても、男子生徒の制服を着用してくることを止められなかったのに。それからほどなくして、川西さんは髪を伸ばし始めた。ショートボブくらいの長さになったころ、軽くお化粧をして学校へ来るようになった。私はそんな彼女に今までなかったような憎しみを感じた。

 裏切られたときの気持ちに似ていた。

 川西さんは元が可愛かったのだと思う。だんだんと他の生徒とも打ち解けていった。今まで人を遠ざけていた壁のようなものがなくなったように見えた。大下でさえ川西さんには普通に喋るようになった。ムカつく。わからないけど、イライラする。

 高校三年の二学期、初日。川西さんが学校を辞めた。誰かが、風俗店で働いているのを見たという。下品な噂だ。耐えられない。喉の奥をかきむしりたいような気持になった。自分がどうしてそんな風に思うのかわからなかった。三学期を前にして、私はなんとか地方の中堅大学に進学が決まり、高校にはほとんど顔を出さなくなった。卒業式に行くことも面倒だった。どうせ高校に行っても、川西さんはもういないのだ。そんな場所に立ち寄る必要があるだろうか。

 冬休み中のある日、母の妹が進学祝いをしてくれるというので、食事に行った。帰りに立ち寄ったコンビニで、レジに立っていたのは川西さんだった。
「あ」
「久しぶり」
 川西さんはまた髪を短くして、すこしきつめのメイクをしていた。サイドを刈り上げた箇所から覗く、シルバーのピアスが怖いくらい似合っていた。
「元気してた?」
「あ、うん、まぁ」
 店にお客さんは私たち以外いない。
「少し話したいな。ねぇ、今度ごはん行こう。おごるから」
「え、やだ」
「これ私のラインのID。連絡して。待ってるね」

 結局私は川西さんに連絡してしまった。風俗で働いているという噂を聞いたのがずっと気になっていたのだ。なぜ学校を辞めたのかも聞きたかった。近所のファミレスで待ち合わせることになった。

 待ち合わせ場所に現れた川西さんはすごくおしゃれで、レザーのパンツに羽織ったド派手なフェイクファー尋常でなく似合っていて、都心的で、かっこよかった。自分のダサさが恥ずかしくなるくらい。私は思わず下を向いて、熱心にドリンクを啜るふりをした。
「ああ、ほんとに来てくれたんだ」
 川西さんが私を見て微笑む。私は答えられない。
「もう頼んだ?」
 うなずくことしかできなかった。
「ねぇ、なんで、ズボン辞めたの」
「制服のこと?」
 うんうん、と私はうなずいた。
「あれは……、母さんの頼みだったから」
 メイクとか茶髪はOKで異性の制服はダメっておかしいよね、うちの学校。と言って川西さんは笑った。
「親不孝な事しちゃったから、せめてもの償い。母さんは女の子の赤ちゃんがずっとほしかったんだって」
「女の子って、川西さん女の子じゃん」
「まぁそうだけどね」
「なんで学校辞めたの?」
「弟の高校の受験費用を貯めようと思って。お金なかったから」
「なんで? 川西さんが?」
「うち母子家庭だったんだけど、ママが自殺して」
「え?」
「それでね、今は私が弟二人養ってるから」
「いつ?」
「えっと、はじめて私たち喋ったの覚えてる?」
「覚えてる。ほぼ一年前」
「あれからすぐだよ」
 私を心配させないためだろうか。川西さんはにこっと笑った。
「ごめん、私、何にも知らなくて」
 その次の言葉が続かない。川西さんは首を振る。否定のサイン。
「私こそ、ごめんね。余計な事言ったかなって、ずっと考えてた」
「余計だったけど、余計じゃない。ほんとだった」
「ほんと? ならいいんだけど」
「でも急だったから、それで、嫌で。すごく嫌だった。川西さんのいうことが当たってたからなおさら、ずっと、嫌だった。他の子に悪口言われる百万倍嫌だった」
「うん。ごめん」
「ほんとは嬉しかったんだと思う。でも全然喜べなかった。意味わかる?」
「わかんないけど、雰囲気でわかる」
「言ってほしいことと、言われたくないことってほとんど同じなんだって、初めて知った」
 川西さんが苦笑いする。私は川西さんの話を色々聞いた。若くに亡くなったお父さんのこと、お母さんが綺麗だったこと、弟の面白い話、下の弟は勉強ができるから、絶対に大学に入れてあげたいんだ、っていうこと。仕事の話は聞けなかった。でも、聞かなくてよかったと思う。

 別れ際になって、川西さんは私を抱きしめた。川西さんからはすごくいい匂いがして、びっくりした。同じ人間だとは思えなかった。
「元気でね」
「うん、そっちも」
 
 恵まれていたのは、私の方だった。知らなかった。自分が恵まれていることも、自分よりも大変な思いをしている人がいることも。家に帰ってしばらく眠れない日々が続いた。川西さんがどういう思いで働いているのか、考え始めると、どうしようもなく苦しくなって行き場がなくなる。
 入学までの時間を使って、私はアルバイトを始めた。稼いだお金は川西さんに使ってほしいと思う。できたら弟君の進学費用に使ってほしいから、春になったら封筒に入れて、川西さんに渡しに行くつもりでいる。(了)

 

 小説はこれで終わり。有料ゾーンにはちょっとしたあとがきがあります。


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