熊本くんの本棚

熊本くんの本棚 キタハラさん 投稿小説サイト カクヨムから

 面白いよ、読んでみて。と手渡せる小説と、渡せない小説がある。熊本くんの本棚はどう考えても人に勧めずにひとりで読み切るタイプの小説である。面白くない、という意味ではない。開かれた読書経験と閉じた読書経験の二種類がある。熊本くんの本棚は、閉じ切ったパーソナルな空間を与えてくれるタイプの物語で、できたら誰にも言わずに一人でこっそり読み終えて、ひとりで勝手に味わいたい。それはまるで真冬のこたつの中をひとりで占領しているときのように。だから私は、顔の見える相手にこの物語を勧めようとは思わないだろう。そこそこの付き合いの人に、一緒におこたどうですか? とは勧めにくい。顔も名前もわからない人が読んでくれる、ネットという空間であるから、かろうじで私はこのお話をあなたに勧めることができる。時と場所を隔てて、私とあなたのこたつは独立している。

 前置きはこの辺にして、物語のことを話そうと思う。

・あらすじ

 「熊本くんの本棚」は、熊本祥介という一人の青年の人生に焦点をあてた物語だ。西田みのりという、文学部に所属していながら本を読まない女子大生が、熊本くんという青年を語るところから始まる。熊本くんは本をよく読み、自分のことを語らず、いつも体を鍛えている、端正な青年だ。熊本くんはみのりちゃんを部屋に招き、手料理を振る舞い、本棚からあふれかえった本を貸してくれる。みのりちゃんには熊本くんのほかに友達はいない。交際相手はいる、不倫だけど。

 みのりちゃんは自分では気づいていないが熊本くんのことを憎からず思っている。というか好きである。でもある日、大して仲の良くない女子から肚を探るように声を掛けられ、告げられる。

「熊本くんがビデオに出てる」

「男同士の」

 そしてとうとう熊本くんの出ているビデオを見つけて、入手、鑑賞してしまう。好きな人が他人に抱かれる姿を見るというのはつらい。辛かったんじゃないかと思う。でもみのりちゃんは辛い、とは言わない。言わないまま、熊本くんにばったり会ってしまい、気まずい思いを隠して部屋に招く。熊本くんは、ふと、みのりちゃんのパソコンが開いていたその動画を、見つけてしまう。

 何とも言えない空気の中みのりちゃんは岡山へ帰省する。親友の命日だからだ。墓参りの帰りに、彼の小説が掲載されたwebページのURLを受けとる。彼女が熊本くんに会ったのはそれが最後だった。

 というのが第二部までに描かれていることの顛末だ。第三部からは熊本くんの書いた小説ということで話が進む。話は熊本くんが中学受験をする直前の小学六年生にまでさかのぼる。鶏小屋で同級生に性器を押し当てられ、なんとなく関係を持つ。
 そして熊本くんは父親に連れられ岡山の旧家にたどり着く。怪しげな宗教、喪服の女、同じ年ごろのまつりと名乗る少女。まつりは兄の寝室に熊本くんを招き性的虐待を加える。そのときにまつりが、熊本くんにつけた名前が「タカハシタクミ」だった。


・タカハシタクミと熊本祥介

 このときを境に、熊本くんは自分が熊本祥介とタカハシタクミの間で切り裂かれてしまったような感覚を覚える。さらに宗教施設で出会った謎めいた喪服の女は、タクミとまつりにそれぞれ、20歳になるまでの命だと告げる。
 熊本くんは無事に20の誕生日を迎えることができるのだろうか。


 私はこの物語を、機能不全家庭で育った子供が、世の中と自分を繋ぎなおすまでの話だと受け取った。父親の理不尽な叱責や暴言、受験の強制、疲れ果てた祥介少年は心を閉ざし、タクミの影に隠れてしまう。
 タクミは周囲に対し魅力的に振る舞うことができるし、性的な行為を通じて他者と触れ合うこともできる。その間祥介は静かに本を読んでいればよかった。はたちになり、祥介がこのまま自発的に行動されずに、他者を翻弄するだけの人生を送るのか、それとも他人に対する防御を捨てて自らの願望に沿った選択をできるようになるのか、そういうお話だと思った。

 物語の終わりに、熊本くんは本棚の中身をそっくりそのままみのりちゃんに送ることを決意する。祥介を支えてきた本棚は、今度はみのりを救うことができるのだろうか。

 人によってさまざまな解釈が生まれる物語だと思う。ぜひ読んだ人の感想が聞きたい。長編で、しかも秩序だって語られているわけではないので、飲み込むのに時間がかかる。でもそれだけ手間をかけて読み込む価値のある作品だと思った。時間のある時に、ゆっくりとどうぞ。

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