悩むこと、ネガティブは「悪」なのか

何かに悩んでいる人、落ち込んでいる人に対して「悩んでたって何も始まらないんだから」「前を向こうよ」のように、明るい言葉で鼓舞するのって悪気はないのかもしれないけど少し残酷ではないかなっていう話。

辛いことがあって悩んでいたので、恋人にただわかって欲しくて気持ちを吐露したら「悩んでたって仕方ない」「60になったら忘れてるよ」と前向きに処理されてしまい、なんかもやっとしたのでnote書いている。

彼は、私のネガティブをいつもポジティブで返してくれる。それは一つの優しさなのだとわかっているけど、段々「弱音を吐いちゃいけないのかな?」って気持ちになってきて、いつしか「辛いけど楽しい顔しなきゃ」って思うようになって、どんどん心が窮屈になった。
自分の負の感情に蓋をして、見ないふりをするような感覚。

そんな感覚に違和感をおぼえた。
泣きたい時には泣けばいいし、辛い時には辛いって言わないと壊れちゃう気がして、心で感じた感情と行動を一致させることを、自分の為に、自分自身だけでも許容してあげないとなって気持ちになった。

周りで泣いてたり、辛い気持ちの人がいたら「泣いていいんだよ」「辛い気持ちなんだね」ってその人の感情を認めることが優しさなんじゃないかなって。私は、そういう人でありたいなって。(勿論、相手がアドバイスを求めているなら少し対応は変わってくるけど)

負の感情を感じ切ること、堂々巡りの中で答えを出そうともがくことは、時間がかかるので一見非効率的なのかもしれない。

でもそれが糧となって、未来の自分や、苦しんでいる誰かに寄り添う力に変わるとしたら、全く非効率的ではないし、絶対私は無駄じゃないと思う。

だから、「悩んだって何もはじまらないんだから」という言葉は、悩みの中でもがいて糧を得ようとしてる人、その人の糧に救われる人を無視してるような気がしてちょっと悲しくなったよ。
この人の前じゃ弱音吐いちゃいけないのかな?とも思った。

(勿論、ビジネスのシーンでは限られた時間の中で成果を出すことが求められたりするしケースバイケースだけど。でも、プライベートではさ…。と思うのです)

私はこれからも、沢山揺れて、沢山悩んで、その時の精一杯の答えをこれからも出し続けたいなと思う😊

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