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草抜きをしながら、じぶんの「才能」をみつける? (私について②)


どんな「スキルや知識」よりも、まず才能を見つける

『世界一やさしい「才能」の見つけ方』(八木仁平)


『世界一やさしい「才能」の見つけ方』という本を購入しました。タイトルに期待して、自分の才能を見つけられるのか、実際に読み進めながら試してみたことや、その過程で自問自答したことを、書いてみたいと思います。ちなみに、まだ、たいして読み進めていないので、読み進めた分だけ書いていこう、って段階です。

私がnoteを利用する目的は、「思考の整理」に活用することで、人生の後半にやりたいことを「言語化」することなので、その手助けになってくれることを期待しています。

本について解説したり解釈したことは、私の主観が多分に含まれるはず。そして、このあとの文章を読み返して気づいたのですが、いろいろ端折って書いてありました。ですから、私にとって必要なところを抜粋し、思ったり考えたことを書き出した文になっているはずです。

本にご興味がある方は、著者の本をご一読ください。

flierの要約を読み聴きをしてから本を購入したのですが、Kindle版は、付録のチャートなどスマホでは読みづらいうえ、iPhoneの音声読み上げ機能もうまく働きませんでした。それで、私は紙の本を購入しました。



(以下の例には、本に書いてあったことのアレンジ含む)

「才能の定義」が何なのか?考えてみよう

「才能」という言葉からは、大谷翔平とか、ピカソとか、諸葛孔明みたいな、人並みはずれた天才を連想します。天賦の才というか。もちろん、大谷さんが努力をしていないわけがないし、ピカソのデッサン力が半端ないことはよく知られています。孔明のことは全く知りませんが。

それで、もうちょっとフツーの人までレベルを下げていけば、「非凡な才能」って言葉で表される人たちでしょうか。


では、凡人の私の場合。
才能といえる要素があるのでしょうか。あえて言えば、「人より得意だったり上手くできること」が関の山でしょうねえ。


【問】

非凡なオレ様にも、才能って言えるものがあるの? 

【答】
「オレ様が人より上手にできることは才能」だ(とする)。でも、上手にできることだって、オレ様より上手くできる人はいくらでもいるよ。よって、「上手にできることは才能ではない」

やっぱり、残念な三段論法が成立してしまいました。


しかし、この本では、才能の定義がそもそも違います。

「才能とは、ついやってしまうこと」

同著より


しかも、「人よりうまくできること」でよいそうです。


まず、自分の「才能(=人よりうまくできること)」をみつけて、その才能に合った「スキル・知識」を学ぶことで、自分の「強み」になる、のだとか。(才能×スキル=強み)

著者がこの本でいうところの才能とは、「誰もが持っているもの」で、「あらゆる場面でつかうことができるもの」だと言っています。そして、野球選手や芸術家や、古代のスゲー人のことではなく、自分の内なる才能を見つけるための「技術」を教えてくれるとのこと。

将来のために、もっと専門性を身につけた方が良いのではないかと思って、今の仕事の延長から資格を取得したとしても、自分の才能に合っていなければ、苦しいだけだと言っています。

私の場合、「ライティング力を高めたい!」「ライターになってやる!」などと思っても、そもそも目指すことが自分の才能と合致していないかも知れない。「何を専門にするか?」といった場合にも、「稼げる分野だから」と言った理由では結果がでないだけでなく、その過程においても、ただ辛いものかも知れない。

「 才能 → スキル 」の順番を必ず守る

同著より

・才能がないことを努力しても、大きな結果はでない
・才能があることを努力すれば、大きな結果がでる



ドラッカーもこう言っている

努力しても並にしかなれない分野に無駄な時間を使わないことである。強みに集中すべきである。無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーを必要とする(『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社)

同著より


著者は「才能を見つける技術」を順番どうりにやれば、誰にでも才能を見つけられると言います。才能の見つけ方の公式と、その要素を見つけるためのステップを本で解説しているので、次回は、その通りにやってみたことを書いていきたいと思っています。




タイトルに書いた「草抜き」について

写真の黄色の花がその草のことです。隣家が建ったことで日陰となり、弱った芝生に雑草が侵入してきました。今年は気温の上昇が早かったせいか、芝生が生え揃うよりも先に、いろいろな雑草が次から次へと芽を出します。

この草はタンポポの親戚みたいなやつで、ついには綿毛をつくりはじめました。なんとか種を飛ばす前に抜かないと。。いまこのタイミングを逃せば、来年もっと増える結果になるかも知れません。実際、写真のように繁ってしまうと、芝生を張り替える結果にもなります。本当は物置の片付けをするために庭に出たのに、草抜きが優先事項となってしまいました。

前回の話の中で、WEBライティングの本はまだ買わないと書いたのですが、それは、文章の書き方や伝え方を、テクニックから学ぶのではなく、まず自分で考える作業を経てからでないと、気づかないことが多いのではないかと思ったからです。また、紙メディアとの違いについても、イメージだけではなく、感じ取れることがあると思っています。私が立っているのはまだその段階です。テクニックよりも先に学ぶものがあると思っています。

草抜きの話に戻りますと、桜の開花をはじめ梅雨入りの予報など、ことしは季節が早く進行しているようです。そういった気候のことを気にしつつ、いつ草抜きをするのか、肥料を撒くのはいつごろだとか、順序があります。その結果が、きれいな芝生に仕上がるかどうかです。今回とりあげた本においても、そんなことが書いてありました。

だから、なりたい自分や食いっぱぐれがない職業や、なにか専門性を得るために努力をしていては、エネルギーの無駄になる。「ついやってしまうこと」を、黄色の草を引っこ抜きながら考えていたので、次回はそこらへんについて、書いていきたいと思っています。