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何処までも広がっていく想像力の宇宙―『グリッドマン ユニバース』


 2018年10月。俺はモニターに噛り付くように”それ”を観ていた。

 ひしゃげた空き缶のように宙へ跳ね上がる車、形状を保ったまま吹き飛ぶビル。異形の怪獣が口から火を吐き、幾つも黒煙が立ち上る。破壊された街を駆ける主人公。勇ましくも危機を煽り立てる劇伴音楽。怪獣と相対してそびえ立つ巨人。

 グリッドマンである。

 そう、グリッドマンなのだ。ウルトラマンでもエヴァンゲリオンでもなく、しかも電光超人の方のグリッドマンでもない。俺が生まれて初めて目を奪われた巨大ヒーローは、「SSSS.GRIDMAN」だったのだ。

 アクロバティックな動きで宙返りを決め、強烈なキックをお見舞いする。怪獣の首に腕を回すと何度もチョップを繰り出す。そして尻尾を掴んで放り投げる。そして止めのグリッドビームだ。もうここまでの「怪獣と巨大ヒーローが街中でバチバチに戦っている」という圧倒的な重量感に完全にやられてしまった。怪獣に至ってもそうだ。グールギラスにデバダダン、アンチ、そしてナナシB。往年の子どもたちがレッドキングやバルタン星人に夢中になったように、毎週現れる怪獣に心を躍らせながら「怪獣ってめちゃくちゃカッコいい!」となったのもSSSS.GRIDMANだった。

 もちろん、日常パートもものすごく良かった。学生らしい気だるさのある雰囲気、生っぽい会話、異様な間の取り方。「キルラキル」「ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン」からの流れで、グリッドマンを視聴しようと思ったのはTRIGGERアニメだからというのが正直なところだったのだが、その期待は全く予想外に裏切られた。ケレン味のアクションがある。新世紀中学生とかいう胡散臭い連中がいる。謎めいた世界がある。だが、主題になっているのは巨大ヒーローと正統派ロボットアニメ、そして真っ当なジュブナイルだった。この瞬間、SSSS.GRIDMANは「ジャンル:グリッドマン」という唯一無二の作品になった。

 それに引き換え、「SSSS.DYNAZENON」には複雑な心境を抱えていた。嫌いというわけではない。むしろ好きな分類に入る。ただ、何度も観返すほどの熱量はなかった。原作の一エピソードが基になっているのは分かる。よりリアルで普遍的な若者の悩みや不安を題材にしているのも分かる。新条アカネがいなくても怪獣が出現する理由も分かる。前作に比べ合体という行為に対して真摯なのも分かる。でも、じゃあこの世界はいったい何なのか。SSSS.GRIDMANとはどういう関係にあるのか。単なるスピンオフでしかないのか。最終話を見届けた後でも、前作の作劇の反省とグリッドナイトと2代目というキャラクターを除いて、SSSS.DYNAZENONとSSSS.GRIDMANを結ぶ線は遂に見つけられなかった。俺の中で両者は大きく隔たったままだった。――グリッドマン ユニバースを観るまでは。

 スクリーンに映し出される感動、興奮、驚愕。欠けていたピースが次々と埋まり、巨大な絵画が、いや、宇宙が完成していく快感。現実と虚構。自由と不自由。創造主と被造物。SSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENON。それぞれ別々のものだと認識していたものが収束し、巨大なひとつのテーマとなっていく。それは「夢と未来」という実にありふれたもので、しかも核になっているのは「好きな女の子に告白する」というどうしようもなく青臭い青春の”はしか”だ。形なきものだ。年月の経過で崩れ去ってしまうかもしれない脆く不安定なものだ。そんなものを本当に信じてしまって良いのか。

 ああそうさ。それの何が悪い?

 フィクションを信じる。友情を信じる。音楽を信じる。ヒーローショーを信じる。人間ドラマを信じる。信念を信じる。そして、このどうしようもない恋心を信じる。全て形のない虚構だ。だけど、俺たちはこの虚構だらけの現実に生きている。わざわざ「フィクションを信じる」なんて口に出して言わなくとも、とっくにそれを実践していたのだ。

 そして、グリッドマンである。

 グリッドマン ユニバースを観終えた後、俺はすぐさま「電光超人グリッドマン」の視聴を開始した。全39話を一週間で走り抜け、最終話を見た2時間後には、2回目のグリッドマン ユニバースを観るために劇場のシートに腰を下ろしていた。電光超人グリッドマンがどれほどめちゃくちゃで、荒唐無稽で、面白おかしかったのかはあえて触れない。ただひとつ言うなら、俺の幼少期にぽっかりと欠けていた特撮番組のピースは、外ならぬグリッドマンだったということだ。

 グリッドマンは実体を持たぬエネルギー体だ。ヒーロー然とした姿とグリッドマンという名前は、夢のヒーローを思い描いた3人の中学生の創造物であり、本来なら借り物でしかない。しかも彼は直人と合体しなければ実体化できないし、活動時間も驚くほど短い。アシストウェポンがなければ怪獣に防戦一方だし、ジャンクがハッキングされても直人、一平、ゆかの誰かが自宅から操作しているのだろうと考えるほどのお人好しぶりだ。

 しかし彼はグリッドマンとして魔王カーンデジファーと戦い、藤堂武史という少年の心を救う。そして4人に感謝の言葉と友達の大切さを問いてハイパーワールドへ帰還していく。ともすればありきたりな正義や道徳というお約束にもとられるエンディングだが、グリッドマンは最後まで超人然とせず、そして子どもたちも友達の距離感で接し続けた。そして、お互いに非があれば謝り、挫けそうになれば応援し、そして共に夢のヒーローを体現する。ウルトラシリーズでも合体ロボ特撮でもない「ジャンル:グリッドマン」とも呼ぶべき番組。それが電光超人グリッドマンだった。

 そしてグリッドマン ユニバースにおけるグリッドマン本人は、紛れもなくあの電光超人グリッドマンだった。自身のアシストウェポンに新世紀中学生というトンチンカンな称号を授けたり、事故とはいえ少年の限りある時間を奪ってしまったことを気に病むほどナイーブだったり、どこかズレているところ。思わず声をかけたくなる。「そんなにも友達のことを大切に思っているんだな、グリッドマン。」と。どこまでも善性なのだ。

 SSSS.GRIDMANから電光超人グリッドマンへ。あるいは電光超人グリッドマンからSSSS.GRIDMAN、SSSS.DYNAZENONへ。原作やリブートという垣根を超え、グリッドマンは俺たちを退屈から救ってくれた。この虚構だらけの現実に気付かせてくれた。信じるものに満ち溢れた世界を。想像力に夢と希望を見出せる世界を。閉じた箱庭から、限りない宇宙へと連れ出してくれたのだ。

 今ならSSSS.DYNAZENONのことを心の底から大好きだと、自信を持って言えるだろう。少年少女が青春する、ツツジ台によく似た街。現実の生きづらさに対して少しだけ足を踏み出す話。かけがえのない友人を得る物語。新条アカネをありふれた心の闇から救い、そして響裕太に負い目を感じていたグリッドマンが生み出した新たな世界。なんてことだ。これもまたグリッドマンじゃないか。

 番組という形あるものはいつか終わりがやってくる。けれどもグリッドマンへの想いという形なき虚構は受け継がれ、新たな虚構が芽吹く土壌になる。電光超人グリッドマンからSSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENONが、グリッドマン ユニバースが生まれたように。自他を巻き込み、原作へのラブとリスペクトを、常に新しいものを生み出し続ける人のイメージの力を満載した圧倒的な自己肯定感。それがグリッドマン ユニバースだった。



 願わくばこの宇宙が、何処までも広がっていくことを願う。


(終わりです)

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