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随想混濁 不染鉄、速水御舟、シーレ、岡倉天心とくりゃぁ村山槐多

どうにも塩梅が悪い。いつもは按配と書くところ、この原稿においては塩梅が相応しいと思える。しては何がそんなに塩梅悪いかということについて書いておこうと思うのだが、云うてみたところでわたし個人の価値観が感じるところであるからして、ここの読者がどう感じられるかは一切気にするつもりは無いと予めご理解いただければ有難い次第。

 結局は、自分だけの景色が見えるところまで歩まねば気が済まぬのである。誤解を招く言いようともなりそうだが、誰でもが書けるものなどどうでも良い。自分にしか見えない世界、自分にしか感じられないもの。それらを通じ、読んだ人々が何かしら感じられるものを届けようとすることが、わたしにとってのものを書くという行為となる。

 そんな思いに立った時。これから書くことはわたしにとってはどうにも塩梅が悪いとなるのでした。                                    

■不染鉄、岡倉天心、エゴンシーレ、速水御舟そして村上槐多

 不染鉄の手による「夢殿」といえば、こんな私にあってすら、現時点、代表作と位置付けることが出来るほどに思い入れは強い。不染鉄が描いた画・夢殿を触媒として四作品ほど小説らしきものを書き上げている。

 その中では岡倉天心もチョンの間、顔を覗かせているのだが、このことをご存知の御仁には足を向けてなられないとの自覚は持っている。
 なのに、わたしは岡倉天心と不染鉄の接点まで炙り出せてはいなかったのだ ! !

第三形態の夢殿『笑うひと泣くひと』の話しとなる。不染鉄は、なんと、岡倉天心が作った美術学校に修学していたのである。具合が悪い。そう。吐きそうになるほどに具合が悪い。要するに拾えていないのだ。こういうところは私的にはお話しにならない。史実を持ち出したのであれば倣うべき処は忠実に倣わなければならない。

 妥協以前なのだ。妥協は事実を抑えてなお機能させる取捨選択だ。この度のわたしのそれは"無知"から来ている。無知はダメだ。まして自分が突き詰めようとする世界観においての無知は話にならない。完璧主義などという格好の良いものではない。明らかなる不勉強。無知。
突き詰めて然るべきところがある。これはその然るべきところなのだ。

 小説を書き読者に届け『あ~この人、登場人物の関係性までは知らないんだなぁ』一人でもそう感じる人が居たとするなら最悪だ。理論どころの騒ぎではない。
 だから歴史時代ものは難しいのである。簡単に考えるべきではない。今回など、わたしはそれを痛感した。

 さらに話はこれで終わらない。小説『凍裂』。この作品の触媒は速水御舟の「夜雪」という風雪に耐え忍ぶ一本の木を描いた作品を持ち出しているが、これは昔私自身がベルリンで見た画であるから、持ち出す触媒としては何の違和感もなかった・・・。

 が、なんと、速水御舟と不染鉄はその美術学校の同級生だったのである。こんなことあるのか? 拾えていた。学びを事前に深めていたなら、判っていたなら拾いようはあった。拾っていれば『凍裂』という作品の重層感であり重厚感は出せていたろうし、違った作風となっていたろう。
 自分の書いた小説の触媒に使用した画が横繋がりでシンクロをみせる。具合が悪い。つくづく按配が悪くなる。だから中途半端な浅学、浅知恵、無教養は具合が悪いのである。もう愚かしい。気持ち悪くなるほどに。


 いやいや、さらに続くのです。
 わたしはみつけてしまったのです。不染鉄とシーレを繋ぎ、シーレの象徴主義の魂やフランスの印象派たちの魂がどの様に伝搬されたであろうかを。 今更みつけてしまったのでした。それは白樺だった。
 この辺のことは、わたしが分かっていれば良い話しであるから、正直なところ興味が持てる人は既に知っておられるか、ご自分で調べられるだろう。

 因みに申し上げれば、わたしですらその存在は知っている。日本の近代画シーンに触手を伸ばすことを試みたとするなら、どの道どこかのタイミングで白樺のことは多かれ少なかれ目にすることとなるのだから。
 不染鉄は「白樺」からヨーロッパの芸術の思想潮流を学んでいたのだ。それも1914年ごろから・・・シーレの死する四年前のこと。不染鉄はこの頃から確実にヨーロッパの象徴主義に傾倒を見ている。
 22歳という若さでこの世を去った村山槐多も鉄の同人であり仲間だったことがわかった。幸い村山槐多の作品はまだ触媒としては使っていない。
 この不世出の天才画家・村山槐多もご存知のように象徴主義に傾倒している。村山の描く作品などは、そこかしこからエゴンシーレへのオマージュが滲んでいる。が、速水御舟は違った。印象派から中期印象派への道を真っすぐに歩んでいる。象徴派と印象派の詳しい違いは興味がある人が調べてくれればいいだろう。

 ここからは幾分乱暴に、感覚的に文学と例えてみたい。それならばわたしにでも表現することは出来るかもしれない。

 極論、象徴派を"詩人"とするなら印象派は"小説家"である。
いや自分で書いて申し訳ないが、これほど端的に顕した言葉はないかもしれないとすら思える。
 絵画芸術における"象徴派"が人間の不可視なる情動、愛、憎悪、悲しみ、疲弊、生死観を表現し、人間の心の襞を炙り出し、波打つベルベットの陰影を浮き上がらせようと試み読み手に訴えかけるのであれば、それは正に詩をもって例えるに相応しい。

 だから私は文藝の中でも「詩」は絵画に最も近いと申し上げてきた。不染鉄にしろ、河井寛次郎にしろ詩編が有名であり存在感を確かならしめている理由はここにある。

 他方印象派は見た儘を表現し、見えたままを画とする、ある種写実的な技巧の完成度が要求されるのである。とすればそれはやはり小説となるだろうし、純文学と呼ばれるものが絵画における印象派と被る。
 ははぁ・・・吉行の作品に"技巧的生活"というものがあるのだが、この原稿を書きながら、やっと読み方が分かった気がするのは満更気のせいでは無いかもしれぬ。

 そもそもシーレと不染鉄の繋がりを浮かび上がらせるための"自習"だったのだが、とんでもないところまで眺め観ることが出来た。
不思議だ。本人は意図してない。関係性も気にしたことは無い。それが小説という私の作品を通じすべてが繋がる。
具合が悪く、塩梅も悪く、吐き気すらもよおすのだ。
なのに吐いた後のような清々しさであり胃の中がすっきりした感じがするのはなぜか。
 

 昨日の早朝、自宅の水洗便所がわたしの立派な汚物でつまり、逆流しそうになった。
わたしは60年という人生で、初めて、先端にゴムカップがついた棒を購入し、水洗トイレの便器に空気と水を送り、完膚なきまで見事に排水管詰まりを解消させた。
 水洗トイレはゴボゴボゴボと音を立てて凡てが勢いよく流れ出した。
 感動の瞬間であり、実にスカッとした瞬間であったのだが、あの感じに似ているのだ。

幸か不幸か私の創作活動は始まったばかりだ。このタイミングで気が付けたことは有難く感謝の思いが強い。これから書くもの、今書いているものに活かすことが出来れば書くものも変わってくるだろう。

 徹底的に勉強しなければ見えてこない景色がある。少なくともわたしはそれを知っている。さて、また勉強しよう。

■有難いことに、わたしの作品集の小説『凍裂』のダウンロードがまた一つ、増え、22件となった。毎日毎日増えてゆく。調子っぱずれのところもあろうかと存じますが、皆様からのダウンロード心より厚く御礼申し上げます。世一


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