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閲覧注意 !閲覧は自己責任です。『イキグサレ』

1月の10日過ぎぐらいからだったろうか。わたしの膵炎が痛み始めそれは日を追うごとに痛みの激しさを増した。痛みは膵頭部から膵尾部である左わき腹、そして左側背部へと広がりをみせ、2月のはじめの診察時にはその炎症が膵臓全体へと広がりをみせ鳩尾を下から突き上げるような閉塞感を伴わせていた。昨年夏の急性膵炎発症から2度目であることから、素人ながらに慢性化の兆候を疑ったものだった。
 2月9日の診察までは食生活の改善と痛み止めを自ら服用し凌ぐ日々。昨夏の膵炎による入院時の治療姿勢から「絶飲絶食」が膵炎治療の基本姿勢と学んだことから数日は水分補給と7分粥にとどめ膵臓の負担軽減を目指した。
 2月9日の診察時にはとりあえず薬を処方され様子を見ておき、2月28日に精密検査の予約を取得し帰宅。処方された薬が効いたものか、2月10日以降1週間ほどは楽になっていたのだがそれでも痛みは退くことなく、仕舞いには服用していた痛み止めすら2時間もするとその効能が切れる有様だった。

 そんな折の2月14日の夜。我が実弟からの電話が鳴った。
「救急搬送された」というものだった。
「昨年夏に壊疽で落とした左足爪先ではなく、今年に入って右足の壊疽が進み、踵周辺はすでに腐りが進行し真っ黒く変色。歩くことも足を付くことも出来ない状態。挙句にイキグサレが進み、既に腐臭が漂い始めていた」というではないか。
「16日に右足膝下切除術をすることが決まった」実弟はわたしにそう告げた。すぐにも飛んで行ってやりたいのは山々だった。が、わたしも膵炎を抱えており28日には精密検査を控えていたことから迂闊に動くことも儘ならない有様。また、この時点では即「命」に危険が伴う状態にまで悪化していることは考えもしなかったのである。

 実弟の手術から以降数日は毎日のように病棟に電話を入れ様態を聞かせて頂いた。
 2月27日頃だったろうか。手術を担った形成外科の担当医より状態報告の連絡を頂戴した際「もしも会いに来ることが出来るようでしたら、お会いになっておかれるべきです。血圧も低下しており100を行ったり来たり。敗血症の危険性も残っており、命は壊疽の進行スピード次第であり、毎日が危険な状態です」と仰っておられた。

 当然のことだが先方はわたしの体の状態など分かり様もないわけであるからして、伝えるべきことを誠実に伝えることに終始するのである。
「すぐにも行きたいが、膵臓の精密検査を控えており、それまでは動けない。不測の事態の際はどうかご連絡をお願いします」と告げるのが精一杯だった。
 28日の検査を終え、自宅に帰り暫くすると担当医から電話が入り、即時の入院加療の必要性を告げられ、救急入院するようにとの指示を受けた。
入院時、病棟担当医師から告げられた言葉は「10日~14日間の安静加療」が必要ですというものだった。わたしは"6日~7日"とこの時点で決めていた。同時にこの入院の時点でわたしは入院に目的を持たせていた。治療方針は相変わらず「絶飲・絶食」と輸液、炎症の解消と痛み止め投与が基本であることに鑑みるのであれば、昨年夏の入院と何ら変わりはないのである。
 わたしにとって重要なのは何から派生する膵炎であるのか~逆に申し上げれば「癌」という因子を潰す、または特定することが目的となっていた。

 入院2日目におこなわれた病状説明の際、わたしは早期の退院とがん診断を可能とする肝胆膵専門病院の紹介を申し入れた。医師からは退院が早すぎ責任が持てないと云われたものの、我が実弟の状態を説明し、こうしている間にも命を落とすかもしれないと告げ半ば無理やり、脱走を企てる者のように終始目立つことなくわたしにしては実に大人しく、慎ましやかな束の間の入院生活を送ったのである。
 退院時、担当医からは「痛みはどうですか ? 炎症数値は落ちましたが気を許せません。ここからは食事療法が大事になるところですから、脂肪は控えてください。炭水化物も控えめに。2週間はお粥にしてください」と云われた。
 
 不染鉄の夢殿を鑑に行ったのは、そんな入院の1日前。痛みも最高潮。慢性膵炎急性増悪膵嚢胞腫という状態の中でのことだった。

 退院後、やっと東京に入院する実弟と面会が出来た。
毎日面会に行っている。わたしの顔を見るとニコっとした顔を見せるのが嬉しくて仕方がなく泣けてくる。コロナに罹患していたようだが、病院側の配慮で医療従事者と同じ防護を身に付け面会させて頂けている。幸いなことに、この2日ほどは熱も下がり血圧も100程度で安定していると聞く。
 それでも病院の病棟からかけられる言葉は日に日に具体的であり厳しいものとなってゆくことが弟の死という現実を突きつけられているように感じられるのである。葬儀会社の話し、死後手続きの流れ、息を引き取った際の着替えの準備。こういうものに実際に直面すると面会時間の15分すら無駄にできぬと愛おしく思えるのである。
 強い痛み止めが入れられているのだろう。意識が混濁した中言葉を発するのだが言葉とならず、概ね何を云っているのかは分からない。それでもわたしが「時間だから帰るね」というと首を小さく横に振るのだ。
「時間だからね。また明日同じ時間に来るからね」というとコクっと頷く。
脚の壊疽は進んでいる。
鼠径部や陰茎、そして臀部にまで壊疽は広がり、末梢血管がある手にも壊疽は広がっているという。

 昨日は、病室で煙草を咥えさせてやった。もちろん火はつけていない。
混濁した意識下で暴れることもあったようであり、両手が拘束されている。その拘束された手で煙草を挟もうとでもするかのように、手を振りながらニコっとする。
看護師さんに煙草が吸いたいと懇願していたようだ。死を前にした患者が最後の願いに煙草を吸いたいというのであれば吸わしてやっても良いではないか。まして、死を待つだけの身である。

糖尿病、多臓器不全、人工透析、壊疽、下肢切断、絶命。
まるで糖尿病の教科書に出てくるような終末期である。
59歳。12月に還暦を迎えるはずなのだが~残念ながら望むべくもない。
アイツのアパートに入って驚いたことだが、あれほど綺麗好きだったアイツの部屋の茶の間にごみが散乱しており汚れていた。
それもコーラやサイダーのペットボトルがソファーの周りに散乱しているのである。あれほど体に悪いと判っていても、人工透析をすると躰が欲する様であり、抗うことが出来ないという。
 壊疽が進み歩くことも儘ならず、人工透析も透析病院の送迎に頼っていたようだ。

 せめて、痛み無く。息を引き取る際には手を握っていてやりたいと思うしか出来ない東京の青い空がやけに眩しく感じられる。


そんなわけで、少しの間作品作りはおやすみとなります。
尚、e-pubooの作品集のダウンロードが299件まで頂戴しております。
あと1件でミラクルの300件です ! !
なんでしょうか。感謝の言葉しかございません。どうやら新しい読者様も増えて頂けている様子。本当にありがとうございます。
状態が許されるようになりましたら、また作品作りに戻りたいと思います。
しばしのご猶予を 世一

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