音琴

ねごと - 本と音楽

音琴

ねごと - 本と音楽

最近の記事

終電後の魔法

毎週恒例のサークルの飲み会。 同期と二人、終電で帰路に着く。 最寄駅の改札を出る。 どちらからともなく目を合わせる。 これが私たちだけの二次会の始まりだ。 駅のすぐ横にあるファミリーマートで2本ずつお酒を買う。大抵はビールにチューハイ、そしてつまみのポリッピー。 別に酔っ払いたいわけではない。お腹も一杯だ。足りないのはおしゃべりだけ。 コンビニを出て、駅の反対側に向かう。 いつものバス停のベンチに腰掛ける。 終電までの間にも散々話したはずなのに、言葉は次々と出てくる。

    • そろそろ音楽の話を。

      音楽は感情を増幅させる、と思う。 良くも悪くも。 私はどうしようもなく落ち込んだとき、嬉しくてにやけちゃうとき、高い壁を前に諦めたくなってしまったとき、美しい景色に胸が躍るとき、どんな時でもまず音楽を聴く。 今日の気分に合う曲はどれだろう、元気をくれる曲はどれだろう、晴れてるからこれかな、この曲だったらきっと背中を押してくれる。 まさに、エネルギーの源である。 いつだかのRADWIMPSのライブ、野田洋次郎さんの「僕たちの音楽はあなたの歴史と共鳴してこそ意味を持つ」と

      • 憧れなのか

        「ねえここ、どういう意味だと思う?」 私が読んでいた本を受け取り真剣に文字を追うその眼差しを見て、ふと感情が蘇りそうになる。 本や音楽から感じとるものは、その人の思考やこれまでの経験によるところが大きい。 だから大抵人とは一致しないのだ。 ところが私はいつからか、自分の感性の円が彼のそれとどこかで重なっていることを知っていた。 完全に同じではない。形も、大きさも。 ただそれが、理解できそうでできないという最も神聖な部分を残して、重なっている。 この人なら、私がこの世に

        • その瞬間を共有するなら

          夕焼けだ。 イヤホン、ケータイ、そしてカメラをポケットにねじ込み、スニーカーを引っ掛けて家を出る。 家から3分、一番空が広い場所へ。 途中背の高い木々の脇を通り抜け、もしかして夕焼けのあのオレンジ色の部分は木が邪魔をして見えないかも、なんて一瞬心配をする。 そうだ、まだ音楽をかけていなかった。 秋と冬の間、昼と夜の間にふさわしい曲を探す。 イヤホンの電源を入れ、時速36kmのハローを再生する。 さすがの選曲だね自分。 一番綺麗な瞬間を、一番綺麗に見える場所で写真に収め

        終電後の魔法

          冬の空気に手を触れる

          冬の空気は完全だ。 完全無欠で、儚い。 思わずわたしは、この街全体が極限まで薄く伸ばしたガラスに包まれているところを想像する。 そこに手を触れたら、どうなるだろう。 時たま陽の光を反射させ、輝きを放つ冬の空気は美しい。 世界が終わるその瞬間の空気は、きっと冬だと思う。

          冬の空気に手を触れる

          逃して

          「もう好きじゃない。じゃあこれは何?」 その答えは自分ですらわからない。 かつて自分の中にあった底知れぬエネルギーはたしかに消えてしまった。残っているのは微かな余韻。まるでそこに生まれて消えていった感情の存在を証明するかのように、後を引いて消えてくれない。この残り香を、私はなんと呼べばいいのだろう。 愛されないままに愛していた、あのバランスの悪さが私を惹きつけ、離さなかったものの正体なのかもしれない。いいのか悪いのか、消えた気持ちの余韻から目を背け、さも2人の関係は互いに

          逃して