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【漢法いろは塾】告知 3月15日(日)の13:30から15:00の90分 @水道橋駅徒歩1分の内海会議室で、東洋医学の講義やります

東豪です。タイトルの通りですが、漢法いろは塾の定期会で講義します。


漢法いろは塾については、こちらにまとめてあります。


第2回目となる今回は、東洋医学の原典である『黄帝内経』に触れてみたいと思います。『黄帝内経』にとって、そして、東洋医学にとって重要な3つのポイントについて講義してみたいと思っています。


重要な3つのポイント

①道具について
東洋医学が東洋医学であるために必要な要素の一つとして、「鍼(はり)」という細い金属を道具として使っている点が挙げられます。

かつては「石メス」として用いられていた「砭石(へんせき)」は、膿を出すために切開したり、小さな肉塊を切除するために用いられてきました。後に「九鍼(きゅうしん)」として規定される金属製の鍼の中には、「鑱鍼(ざんしん)」や「鋒鍼(ほうしん)」や「鈹鍼(ひしん)」と呼ばれる砭石の名残を感じる鍼があります。


しかしながら、細い金属製の鍼と切開するために使われた「元石メス」グループの鍼たちには、使用目的に大きな違いがあります。その違いには、医療改革をする上で、東洋医学を東洋医学たらしめているキーコンセプトがひっそりと鎮座しているし、既知の学説と新しい道具を掛け合わせた古代人のideaが詰まっています。


これを聞くには、3/15(日)の漢法いろは塾へどうぞ。


◆漢法いろは塾 事務局
📞03-3379-4622


②経絡について
もう一つ、東洋医学を東洋医学たらしめている重要な要素の一つとして、「経絡学説(けいらくがくせつ)」が挙げられます。


経絡は、東洋医学独自の生理病理論で、神経とも血管とも異なる体表と体内を走行する複数のラインです。人の健康を担保しているのは経絡が調っているからであるし、人が病気になるのは経絡が変調するからであるという。


『黄帝内経』により初めて提起されてからのこの2000年間、経絡学説は誰からも確定した見解を述べられておりませんし、科学的な証明も出来ておりません。なぜならば、神経や血管のように、その走行するルートを肉眼で確認することが出来ないからです。現象の中に存在する。


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それでも、時代が下るに従い、臨床経験の蓄積や近代化による学問体系の変化により、経絡学説へ建設計画な解釈が進んでいる。


おもしろいことに、経絡にも歴史在り。東洋医学の原典である『黄帝内経』によって初めて提起された経絡学説ですが、なんと今では『黄帝内経』を遡ること数百年の間に、古代経絡学説が存在したことが、複数の出土品から明らかになっています。


『黄帝内経』の経絡学説と古代経絡学説、そして、明治から始まった西洋近代化による西洋科学と西洋医学の波にもまれた現在の経絡学説について、比較検討しながら経絡学説を練ります


◆漢法いろは塾 事務局
📞03-3379-4622


道具と経絡については、主に黄龍祥『中国針灸学術史大綱』によった。


③三焦について
東洋医学を東洋医学たらしめている要素の一つとして、「機能はあるが形はない」で有名な「三焦(さんしょう)」がある。複数の解釈あり、未だ確定されないものの一つである。


でもやります。おもしろいのは、実は古代の解剖学と関連があるという説。ちょっと話しは脱線しますが、東洋医学の原典である『黄帝内経』が編纂された中国の漢代から約1000年後、中国には宋代という時代が訪れます。


漢代に書かれた『漢書芸文史』の王莽伝には、中国で初めての解剖の記録があります。宋代には、約1000ぶりに解剖が復活し、新しい東洋医学の扉が開きました。宋代の次に訪れる金元代には「金元四大家(きんげんよんたいか)」を輩出し、四庫全書において「医の門戸は金元より分かれる」と言わしめました。そして、西洋近代化とともに、西洋の解剖学が医学を変えてきました。つまり、医学を変えてきたのは、基礎学問である解剖学によるところが大きいといえます。


たまに、西洋の解剖学を嫌う東洋医学者がいますが、歴史を見るとまったく逆で、東洋医学の原典である『黄帝内経』においても、解剖学をしっかりやった上で、生理病理論として古代哲学の陰陽五行論によって解釈し、鍼で治療するための病態認知方法を確立した。だからきっと『黄帝内経』を編纂した古代の学者が今に生きていたら、西洋医学の解像度の高い解剖学を吟味して、東洋医学を改革しようと思うはず。我々は、生まれた時から解像度の高い解剖があるから、本当に幸せなことです。


さて、三焦にも歴史在り。『黄帝内経』の中には5人くらい登場人物がいますが、彼らはみな異なる三焦論を提起しています。なぜならば、彼らは異なる時代の学者だと言われており、『中国医学の起源』の著者である山田慶兒は、異なる三焦論を時代順に並べて比較し、三焦の本体に迫ろうとした。


三焦には元より複数の解釈があります。三焦リンパ液説や、カラダ全体を包括する哲学的・人文科学的解釈もあります。今回お伝えするのは、あくまでも複数のある三焦論の内の一説ですが、なかなかおもしろい事がわかったので、歴史や古典はおもしろいなと。


ぜひご興味のある方は、漢法いろは塾事務局までご連絡下さい。


◆漢法いろは塾 事務局
📞03-3379-4622



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