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映画「226」の史実との違い ~冒頭編~

「昭和の初め、日本は満洲での武力進出を巡って、国際連盟を脱退。国際的に孤立し、国内でも血盟団、五・一五事件、相沢中佐による永田軍務局長刺殺事件等が相次いで起こり、経済不況と東北地方の凶作による農村恐慌とが相重なって、国民の不安と不満は、絶頂に達していた」

映画「226」より

秋の会合

 映画「226」の冒頭は、当時の写真を使った時代背景の概略に始まり、そこから旅館らしき場所で密談する青年将校たちの姿へと繋がることで始まる。

 その場にいたのは、麻布歩兵第3連隊の安藤輝三(演:三浦友和)、野中四郎(萩原健一)、歩兵第1連隊の栗原安秀(佐野史郎)、近衛歩兵第3連隊の中橋基明(うじきつよし)、歩兵第1旅団の香田清貞(勝野洋)、所沢飛行学校の河野寿(本木雅弘)、そして陸軍を免官になっている村中孝次(隆大介)と磯部浅一(竹中直人)である。

 これは蹶起に逡巡する安藤を7人で説得しているシーンで、映画原作『2/26』(以下原作本)ではこのシーンは映画より台詞が多く、内容も、事件前の複数の会合を統合したものであることがわかる。

 事件前の会合において、この8人が一堂に会したことはない。モデルとなった会合は、いわゆる「A会合」と呼ばれるものであろう。その会合には8人のうち、安藤・栗原・中橋・河野・村中・磯部が名を連ねている。ちなみに映画が製作された1980年代後半、村中孝次はA会合に参加していないというのが通説だった。これはA会合の名づけ親、磯部浅一が手記の中で、A会合参加者に村中の名が無かったためだが、裁判記録の発見によって、村中はA会合に参加していたことが明らかになっている。

 事件前の主たる会合と参加者・場所は、以下の表を参照してもらいたい。

 二・二六事件は事件の約2週間前に発議された。A会合以前にも急進派の栗原と磯部の間で幾度かの相談が持たれていたが、部隊を動員しての蹶起で両者が一致したのは昭和11年になってからである。

 さて、それを理解したうえで映画を見ると、会合の季節が秋であることに疑問を持つだろう。

 時期的には、昭和10年の秋と推定できる。この年は7月に真崎甚三郎教育総監の罷免問題、8月に磯部・村中の免官と、同志・相沢三郎による軍務局長・永田鉄山刺殺事件、いわゆる相沢事件の発生などが相次いでおり、青年将校たちが秋に蹶起の相談をしていたとしても、物語の流れとしては不自然ではない。しかし実際には、相沢事件以来、青年将校とシンパはその公判の支援を主軸として動いていた。相沢に続けとばかりに急進的だったのは栗原と磯部らだけで、彼らは自分たちに同調しない同志たちに不満を募らせていたため、昭和10年秋に安藤にこぞって蹶起を促せる状況ではなかった。

 映画では季節が秋ということしかわからず、その会合の日時と場所は明らかになっていない。原作本においても、わかるのは季節だけである。その原作本の中に次のような文章がある。

 曇りガラスの引戸をあけると、紅葉が朱色に燃えたっていた。山の斜面は紅葉の林になっていて、寒さが厳しいほど紅葉は赤く染まるそうだが、火が山肌を舐めながら駆け登っているようだ。

笠原和夫「2/26」

 著者であり脚本担当である笠原和夫は、紅葉を「炎」に見立てている。その「炎」は将校たちの燃え立つ精神を表現していると見て間違いないだろう。

 映画では、安藤への説得が一通り終わった後、風に揺れる紅葉が画面一面を彩った。このあと、野中がハンカチに「我狂カ愚カ知レズ 一路遂ニ奔騰スルノミ」という一文を記し、一同に示した。

 このシーンで、野中の背後にはガラス越しに紅葉が映っている。紅葉が彼らの燃え立つ精神を表現しているのは明らかだった。このために季節を秋にしたのではないか。

 ちなみに「我狂カ愚カ知レズ」は、29日に自決した野中の遺書にある一文である。

色彩上の演出

 秋にした理由として今一つ考えられるのが、色彩上の演出である。

 冒頭の時代背景解説シーンは当時のモノクロ写真が映り、モノクロ映像のまま会合シーンに移っていく。そこで徐々にカラー映像へと変わっていくのだが、その転換が終わったタイミングで、先の風に揺れる紅葉が映る。

 そこまでモノクロであった分、紅葉のシーンは画面に彩りを添える。映画全体を見ても最も彩りのあるシーンである。なにせこの後には雪のシーンがほとんどなのだ。色彩で見れば、映画内で明るい色は少ない。映るのが多いのは白い雪とカーキ色の軍服ばかりである。

 この赤が目立つ分、この後に続く白が際立つ。この赤と白のコントラストも、意図的であると思う。というのも、映画の副題は「THE FOUR DAYS OF SNOW AND BLOOD(雪と血の四日間)」であり、「雪と血」は二・二六事件を象徴するものだった。

「雪と血」から連想される「白と赤」が、秋と冬の対比には込められている。史実通りに冬の会合風景を映していては出来ないことであり、映像美を意識した映画人ならではの発想であろう。

 また、物語が始まる前の「溜め」を意識している。二・二六事件といえば雪であり、冒頭会合シーンが終わった後、夜、雪が降る中、時計が12時を指した瞬間、タイトルが映る。そこから襲撃が始まり、物語が始まる。いわば秋の情景は、そこに至るまでの助走である。

 とはいえ、突然襲撃シーンから始まっても、それはそれでアリだと思う。

最後に 冒頭の概説について

 冒頭の時代背景概説で、「国民の不安と不満を絶頂に達しさせた事件」として血盟団事件、五・一五事件、相沢事件があげられている。しかしこれらの事件は、青年将校たちの同志が起こしたものである。その点について、劇中では触れられていない。

 二・二六事件とその背景は、2時間で全てを語れるものではない。冒頭シーンは、視聴者、特に二・二六事件についてそれほど詳しくない視聴者に、「混迷の日本をそのままにして満州には行けない青年将校たち」を見せ、蹶起の動機を簡易かつヒロイックに伝えようとしている。そのために、血盟団事件や五・一五事件と青年将校の密接な関係は説明されず、「青年将校たちが憂うる混迷の日本像」を彩る存在として扱われている。

 劇中でも歌われた「昭和維新の歌」には、「混濁の世に我起てば 義憤に燃えて血潮わく」という一節がある。冒頭における青年将校たちは、まさにこの一節を体現している。しかしそれを強調するために五・一五事件が「混濁の世」の一因のように語られるのは、皮肉である。「昭和維新の歌」の作者は、五・一五事件参加者の一人、三上卓であった。


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