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見えてるのはほんの少しの世界

世界は広い

友人・家族・学校・部活・職場・バイト先で何か嫌なことがあった時「この世の終わりだ」とひどく落ち込み絶望することがあります。
でも、この世とおもっているそれは”ほんの小さなコミュニティでの出来事”なんです。プレーリードッグのごとく、ひょいっと顔を出して周りを見渡してみると、世界はそのコミュニティの何億倍も広いことに気が付きます。
そこで絶望しているのはそこに固執しているからでしかありません。
そこに固執している理由はなに?

SNSは「良い時」のスクリーンショット

誰かのSNSを観て、なんだかしょんぼりすることってありませんか?
大家族でBBQ、夜景を見ながらのディナー、沖縄旅行に、プレゼントのティファニー、新車の納車、TDLなう。あふれかえる”HAPPY”に…対して、今の自分は?
髪はぼさぼさ、すっぴん眼鏡に部屋着で1日動画漬け。大きなため息と同時に、大きな孤独感に包み込まれる。
でも、自分が投稿した先日のSNS、どんな時に撮った写真?

見方を変えてみる

前述した二つは人が陥りやすい出来事です。
私も例外ではなくそういった感情を抱いたものです。そんなもの微塵も感じたことないという人もいるでしょうけど、どうも問題が起きてる時ほど視界がせまくなるものです。

それについて考えの棚卸をしようとおもったきっかけは、友人のお子さんの不登校のお話を聞いたことがきっかけでした。

友人のお子さんは不登校で学校に行けません。でも習い事や学外クラスには通えて、友人も多く、将来にも大きな夢があります。さらに進学をきっかけに周囲の大人がタジタジしてしまうほどに溌溂と学校に行き始めたのです。いまでは部活でも活躍し毎日楽しそうに学校に通っているそうです。不登校のきっかけが何だったかは本人にしかわかりません。でも「居場所がそこだけではない」ことを知っていたから、抜け出せたのかもしれません。

簡単だから人と比べる

そもそも、SNSやコミュニティでの疎外感孤立感がなぜうまれるのでしょうか。それは「さほど重要じゃないことで、勝手に勝負しているから」です。人と比べて勝ったり負けたり、相手は何とも思っていないし、何なら自分のことを知らないかもしれない相手に、勝手に、負けて悔しいなんておもったり、勝ったって思ったり。なぜそんなことをしてしまうのか。優越感に浸りたいのか、勝ちたいのか、承認されたいのか。ちょっと、客観的にかんがえてみるといままで見えていたものがかわってくるかもしれません。さほど重要じゃないことで、勝手に勝負しているのってなんだかちょっとつかれませんか?

5月病

ちょっと遠いけど、ちょっと近い話。ちょうど今時期、長いお休みが明けてお天気もぐずぐずして、会社行きたくないな、学校行きたくないな、何もかもがめんどくさいなー。なんて思っている方もいるのではないでしょうか。

5月の連休後に、学校や会社に行きたくない、なんとなく体調が悪い、授業や仕事に集中できないなどの状態を総称して「五月病」と呼びます。初期症状としては、やる気が出ない、食欲が落ちる、眠れなくなるなどが挙げられます。これらの症状をきっかけとして、徐々に体調が悪くなり、欠席や欠勤が続くことがあります。

https://www.saiseikai.or.jp/medical/column/may_blues/

そんなあなたに、改めて、一番最初に書いた「プレーリードッグのごとく、ひょいっと顔を出して周りを見渡してみると、世界はそのコミュニティの何億倍も広いことに気が付きます。」という言葉を贈ります。

ちょっと顔をだして今見ている景色のもうひとつ外側を見渡してみるだけで少し違った考えがうかびます。

ちょうど先週、いつもは曲がらない道をまがってみたんです。そうしたらそこには大きな園芸店がありました。観葉植物が大好きな私には心躍るパワースポットでした。

少し道をかえるだけで、そんな出会いもあるものです。
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