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[エッセイ]【読み手として、書き手としての私、】

ー読む私、書く私、私という存在についてのことー

note記事を読んだり、note記事を書くにあたり、私という存在は常に一人であります。

ですが、内在する私自身というのは、読み手と書き手という2パターンの自分を使い分けている事に気付くようになりました。

自分とは違う価値を持つ、クリエイターさん方が記された記事を読み手という存在の私は、読み手として創作物を理解しようと努めます。

読むにあたり、そこで気付いた学びというものに触れて自分を大きく成長させる効用が働く瞬間というものがあります。

読む前の自分、読んでからそこから学び得た自分という存在というのは、明らかに違うものになっていると私は感じます。

そして、書き手としての自分という存在は書いたものを読み手の人へ気持ちを伝える立場となり、ここから私という存在は読み手から、書き手へと大きく変わっている事に気付かされます。

自分が得た知識や体験を通して書いたものが、外側から何かしらの反応を頂いて、そこから学び得るものもたくさんあると実感する瞬間というのがあります。

noterとして、読み手としての自分、書き手としての自分というのは、根本的には一人ではありますが、決して一人ではない自分という存在が内在しているという事を考えるようになりました。

読み手として、こうあるべきだとか、書き手として、こうあるべきという定義というのはそもそもありません。

私たちが普段から、本や記事を読む時の自分やnoteでの記事を書く時の自分を外側から覗いてみるとある時、違う発見や価値を見い出せる事があるのではないかと思います。

最後に、私というnoterを通して、読み手として、あるいは書き手として、より自分をこれからも成長していく事が今後の私自身の目標であると実感しました。

読み手として、書き手としての私、私という存在を成長させる為には、私自身がこれから先、色んなものに触れて勉強していく必要があると考えさせられました。

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