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【‘‘Resource & Install’’】

デジタルヒューマンやデジタルクローンという言葉が世に浸透してきた中で、人間とAIに通じるもので‘‘意識’’というものがいかに重要であるかということを考えることがありました。
意識そのものを機械へとアップロードすることが出来れば、身体が老化しても思考だけは思考し続けられることは可能であって、好きな読書や映画を見たり、音楽を聞いたりと数年、数十年、数百年先も生き続けられることが出来ればどれだけ幸せなことかと思いながらも、それは反面不幸せなことでもあるような気がしました。
私にとって、創作は自分が今、書き続けられている間、生きている過程の中で様々な体験や経験を通して感じたこと、考えたことが全て創作によって活かされていると思います。
そもそも、書き続けることに目的や意味というものは不要だと考えていますが、書くこととはすなわち、表現をかたちとして表す手段であって、書くことが美ではなく、書かれたものこそが美であると思います。
数年、数十年かけて書かれたものは、知的資産や言語資産を残す上でも書くことで、それはやがて誰かによっていずれ拡張されるものであって、私自身はそうした自らの思いや考えというものを筆跡として記録することには意味があると感じています。
常に何かを探しながら、着想を捉え、忘却する。
創作は、そうしたことの繰り返しだと私は思います。
身体から機械へと意識が仮に創作することを実行していたら、それは私個人という存在が創作をしているということが言えるのだろうか。
記憶だけが残された器としての機械、そうした機械は人に寄り添えるような文章をもう一度、書くことが出来るのだろうかと感じることがあったりします。
論理性を持ち、倫理観もある新人類の誕生はその内にもやって来るのではないかと思います。
今話題になっている漫画、アニメで言えば、『葬送のフリーレン』とは話がまた変わってしまいますが、フリーレンは千年以上生きるエルフの魔法使いであり、彼女は他の人間たちとは違って長寿である。
物語は、勇者ヒンメルたちと魔王を打ち倒して、世界が平和になった後の世界が描かれており、フリーレンは五十年後にヒンメルのもとへと訪ねるが、容貌が変わっていないフリーレンに対して、ヒンメルは年老いていて、やがて人生の最期を迎えることとなる。
フリーレンは、何故旅をするのか、死者の魂と対話することが出来ると言われているオレオールというところへ行き、ヒンメルと話をして人間の本質を理解するまでが本作のテーマとして描かれているのではないかと思います。
フリーレンにとって、長く生き続けていることは、エルフにとっては当たり前のような感覚であり、人間の寿命とエルフの寿命からみる生命倫理としても考えられる価値観というのは大きなズレのようなものがあると感じられます。
そうしたズレの感覚に気付くことは難しいものがあり、一生かけても気付けないことさえあるものだと思います。
長く生き続ける人工知能と、人間にとっての倫理観もまたズレがあるものであり、死生観というものに対して持続性を持ち続けることで私たちの価値観は新しく生まれ変わり、フリーレンの視点から客観視して現代の文明とその進化を見るということは必要な要素かもしれません。
リソースをインストールすることは、自分の中の価値基準を変える為、日々継続することが求められるだろうと思います。
何をインストールしなければいけないのかは、自らの判断によって、その答えを自らが答え合わせをしなければいけません。
だからこそ、毎回いくつもの選択肢が増えて、そこから一つだけを選択して前に進まなくては、到底自己成長することは出来ないものだと思います。

ー永遠へ続く価値を探して。


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