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「何気ない日常」それが一番難しい。

写真が好きです。

もっぱらiPhoneだけども。

よくどこかへ出かけるたびに、iPhoneを取り出してパシャってしがち。

たまに「出た」って失笑されることも多々。


それにしても、、Instagram見てると本当に素敵な世界観がたくさん目に飛び込んでくる。

プロのカメラマンさんや一眼レフなどで撮影、編集された写真は息づかいが伝わり、美しさを引き立ててくれる。

マンションや賃貸のインテリアの写真は、見てて憧れるし自宅の模様替えの参考にさせてもらっている。

ビジネス系の文字投稿も、統一感あるデザインやフォントだととっても読みやすい。綺麗。


中でも、一番好きなのはこんな感じの。

なんというか、、「何気ない日常」って感じ?

その時々に「いいな」と思ったワンシーンを常に写真として切り取ることが多い。


でも、、

この「何気ない日常」が実は難しいのでは?

と密かに思っている。


そもそもこの「何気ない日常」ってなんなんだ…

なんて事のない日常、
ありふれた毎日、
大きな波もなく平穏な日々、

言い換えるとそんな感じ?


けれど少なくとも何かを意図しないと、そうした日常を切り取るのは難しいと思う。


そこで私なりに考えた結論はこうだ。


私が思うに、

「何気ない日常」と言うのは、その時々の空気感や思い出が瞬間冷凍されたもの。

ぱっと見は、よくあるモノ(コト)かもしれない。

だけど、ある瞬間それは特別な存在であり、記憶になった可能性があるもの。

と言うことかなと。

例えば、、たった一杯の飲みかけのコーヒーでも、当時どういう状況にあったか次第でコーヒーが醸し出すものって違うと思う。

真夏の暑い日のアイスコーヒーなら、猛暑のなかで味わう清涼感に癒された…という記憶かもしれないし、真冬ならその逆もあろう。

あとは、友達同士でカフェに行った時なら、語り合う楽しさやその時の話題を思い出すかもしれない。


その時に何を感じ、何を伝えたいのか…

それを被写体とともに瞬間冷凍させて出来上がったものが「何気ない日常」なんじゃないかなと。


一見、どこにでもあるものかもしれないし、今なくたって数百円で買えるものかもしれない。


だけど、そこにどんな想いや空気感を感じ、どんなメッセージを伝えたいのか?

ここに関しては撮影者がファインダー越しに何を感じるかで、きっと変わるのだろう。


きっと思っている以上に人間臭くて、AIではマネできないスキルになるんだと思う。


「何気ない日常」

とても心地よい響きだし、憧れるけれど、、思っている以上に難易度の高い表現方法なんじゃないかな…

そう思ったここ最近。


いずれにせよ、写真って好きだなぁ…

もっと上手く撮れるようになりたい。


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