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【釈迦堂遺跡博物館】企画展「縄文人の暮らし」を見に行く

はじめに

 釈迦堂遺跡博物館では、企画展「縄文人の暮らし-Life style of Jomon-」(2023.7.12~12.25)を開催しています。
 釈迦堂遺跡というと、出土数が群を抜いている土偶につい注目されがちですが、本展は暮らしに焦点をあて、道具として使われた出土品を紹介する内容です。「衣・食・住」に分けてさらにその中の用途ごとに展示しております。

まだ残暑の頃に訪問
50週連続投稿!

 釈迦堂遺跡博物館の概略は拙稿をご覧ください。


縄文人の暮らし

 企画展「縄文人の暮らし-Life style of Jomon-」(2023.7.12~12.25)は一階の企画展示室で行われています。

企画展示室のサインボード

 解説によれば、縄文人の生活は道具を自ら作るところから始まり、そうした点が現代とは大きく異なるといいます。確かに現代人の我々はホームセンターへ行けば工具でも農具でもすぐに手に入ります。しかし縄文時代の人々は必要な道具をまず自らの手で作るところから始まるのです。
 ふと、井戸尻考古館では、新入りの学芸員は、まず裏の畑を耕すために石器から作るという話を思い出しました。作った道具は自分用の道具であり、使いやすく自分の手になじむように工夫をこらしていると聞いたこともあります。

展示室の概観、入口側から
土器と石器を配したチラシ
暮らしの「道具」を集めた裏面

「衣」土器底の圧痕

 展示室に入り、はじめのケースでは土器の底に着目しています。展示された土器の底には網代痕と木葉痕があります。土器はいずれも釈迦堂遺跡の出土品で縄文中期のものです。

網代痕、木葉痕のある土器の展示概観

 網代痕は編んだ敷物の跡です。土器の底にササやツタなどまっすぐな植物を編み込んだ敷物を置いてその上に粘土を置いて土器を作ったことによるといいます。つまり植物を使い敷物などを編んでいたことが考えられます。網代痕を転写したものが隣に展示してあります。

網代痕浅鉢型土器2点と網代痕の転写板

 下記画像の左側の土器と転写板が木葉痕です。葉の葉脈などが痕として残ったもので大きな葉を敷いてその上で土器を作ったことが考えられます。

木葉痕転写版、木葉痕深鉢型土器底部、網代痕深鉢型土器底部

「衣」縄文人の装飾

 続いてのケースには装飾に関する出土品があります。

装飾に関する出土品

 土偶の頭部は、縄文人の髪型について考察するものです。後頭部に髪の毛を編み込んでいる表現が見てとれます。こちらは、南アルプス市の東久保A遺跡の土偶ですが、釈迦堂遺跡の土偶にも髪型の表現が見られるものがあるといいます。

土偶頭部(東久保A遺跡・南アルプス市)

 隣にはヒスイ製の大珠があります。韮崎市の石之坪遺跡からのものです。以前、笛吹市の三光遺跡のヒスイ製の見事な大珠が展示されたことがありました。いずれも、ヒスイは日本海側からもたらされた貴重な逸品です。

ヒスイ大珠(石之坪遺跡、韮崎市)

ヒスイ製硬玉大珠(三光遺跡、笛吹市)
企画展「Jomon Collection-笛吹市-」2023年2月撮影

 さらに隣には耳飾りです。耳たぶに大きな穴をあけてみ飾りを掛けていたと推測されています。こちらは北杜市の金生遺跡で縄文晩期のもので、かなり大ぶりです。

土製耳飾り(金生遺跡・北杜市)

 金生遺跡のものと比べると小ぶりな耳飾りは釈迦堂遺跡のもので縄文時代中期のものです。

土製耳飾り

「食」動物の骨と炭化物

 続いて、別のケースでは「食」に関する出土品を紹介です。

食に関する出土品

 まずは、動物の骨があります。上段左よりイノシシ、シカ、下段がイヌ、トリです。いずれも、釈迦堂遺跡からの出土で縄文中期のものです。酸性土壌の日本では、骨(アルカリ性)は残りにくいといいます。土の中で残って出土した骨はいずれも小ぶりなものです。

動物の骨(イノシシ、シカ、イヌ、トリ)

 隣は、土器片の圧痕を紹介しています。いずれも土器は釈迦堂遺跡からの出土で縄文中期のものです。
 土器を作る途中で、豆なとが練り込まれた状態なり、焼いた後でくぼみとし形が残ったものです。釈迦堂遺跡の土器片には、あまり類を見ないヤブツルアヅキが混入していたといいます。

圧痕の残る土器片と圧痕を採取したレプリカ

 続いて、左上は、土器の底部に炭化したオコゲ状ものが不着した土器です。その隣が、パン状炭化物です。手前は、炭化して発見されたクルミ、ドングリです。

コゲのある土器と炭化したパン状のものなど

 続いて、釈迦堂遺跡からの出土した縄文中期の擦り石と石皿です。クリ、クルミ、ドングリなどを粉状にすりつぶすのに用いていました。

石皿と擦り石ですが、出土場所が異なります

「食」石鏃と石匙

 隣のケースには、石器があります。石鏃は狩に使われ、石匙はこちらでは獣の皮をはいだと説明があります。

石器の並ぶケース

 まず目をひくのが水晶で出来た石鏃です。釈迦堂遺跡からの出土で縄文早期~末期のものですが、水晶は昇仙峡の奥の金峰山(御岳)産のものでしょうか。水晶を石鏃とするには硬いため加工はたいへん困難です。黒曜石のほうが加工しやすいはずなのに、なぜこれだけの水晶を石鏃にしたのでしょう。

水晶の石鏃

 隣はおなじみ黒曜石の石鏃です。和田峠産の黒曜石でしょうか。こちらも釈迦堂遺跡からの出土です。

黒曜石の石鏃

 石匙です。こちらでは動物の皮の肉を切り離すために使われたと考えています。

石匙

「食」深鉢型土器、浅鉢型土器

 文様や造形が見事な中部高地の縄文土器ですが、ここでは煮る道具としての深鉢型土器を紹介しています。いずれも釈迦堂遺跡からの出土品です。

独立ケースの深鉢形土器

 人の姿にも見えるような抽象化された線が何か描かれています。

深鉢形土器

 こちらは細い紐でつけた波状の模様が特徴的ですが、装飾に関する考察や解説はありません。あくまで暮らしの道具という観点で展示されています。

深鉢形土器

 こちらも深鉢型土器です。こちらのほうが使い勝手がよさそうです。土器は鍋として調理に使ったほか貯蔵の容器として用いたと考えられています。

深鉢形土器
深鉢形土器

 土器の内側と底が見えるように配置されています。黒く使い込まれた跡がよく分かります。

内側が黒く使い込まれた土器

 続いて、別の独立ケースには浅鉢型土器が3点あります。浅鉢は盛り付けたと考えています。装飾があることから祭りなど特別な場面で食べ物などを盛り付けていたのでしょうか。

独立ケースの浅鉢型土器
浅鉢型土器
縁の形が特徴的

 こちらは浅鉢型土器が2点、渦巻の文様など縁に装飾があります。

浅鉢型土器が2点
反対側から

「住」打製石斧と磨製石斧

 最後は、打製石斧と磨製石斧です。いずれも釈迦堂遺跡の出土で縄文中期のものです。

打製石斧と磨製石斧の概観
打製石斧と磨製石斧

 柄をつけて石器の使用する姿の推定再現です。キャプションによれば、
 磨製石斧は木を切る。ノミのようにして木を削る。打製石斧はスコップのように土を掘る、とあります。

石器に柄をつけて推定再現
打製石斧と磨製石斧、土器の展示概観

井浦新さんの案内映像公開中

 すっかり縄文好きとして定着してしまった俳優の井浦新さんが案内人として出演している映像を公開しています。展望ロビーのモニターと常設展室の壁面への投影で見ることかできます。

展望ロビーの告知版

 常設展示室は二階で、2020年(令和2年)にリニューアルされたいへん好評です。

1,116個の土偶全展示となった常設展示室

 常設展示室を奥に進み土器に囲まれた壁面に井浦さんの館内案内映像が流れます。

案内映像の投影される壁面

 映像の撮影は3月に行われており、館内で知らせるとともに釈迦堂遺跡博物館公式X(旧ツイッター)にて公開前から度々発信されておりました

撮影を知らせる館内のボード

おわりに

 あらためて縄文人の生活の姿を出土品から確認できる展示でした。「衣・食・住」に分けて、出土品を道具として分類していることもよかったです。釈迦堂パーキングエリアから偶然立ち寄った見学者にも分かりやすい企画内容ではないでしょうか。
 あと釈迦堂遺跡博物館の企画展で配布される出品リストは、昨年くらいからだと思うのですが画像つきになっております。資料としてもあとから記事を書くにもたいへんに助かります。
 学芸員が増員されたとのことで、釈迦堂遺跡博物館の今後にますます期待いたします。

釈迦堂遺跡の工区を説明、
ふくらんでいるのは釈迦堂パーキングエリア
釈迦堂パーキングエリア(下り線側)


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