新しい挑戦を前に
約3年前に亡くなった母のことをふとした日常の中で思い出す。亡くなった当時よりは現実を受け入れられるようになったものの、話したいな・会いたいなと言う気持ちが消えることはない。でも、寂しい気持ち・悲しい気持ちの後に、優しさを感じることが増えた。外を歩いているとどこからともなく漂ってくる金木犀の香りにすっと背筋が伸びるのは、母との大喧嘩を思い出すからだ。
大学を卒業後、半年かけてやっと就職先が決まり、親元を離れることになった。これまで暮らしていた神戸から離れ、名古屋で一人暮らしと仕事のスタートが決まった。就職活動中に感じていた
「何としても働きたい」
という気持ちがやっとかなったこともあり、一人で引っ越しに必要な手続きや新しい職場とのやり取りを進めていた。料理はできない、少しコンビニなどで買い物をすることはあったものの、生活に必要なものをまとめて購入したこともない、お小遣い程度の金銭管理しかしたことのない私が、本当に一人で名古屋で暮らすことができるのか、母は心配で仕方なかったに違いない。
「やっぱり関西で就職ないの?」
と言われたことから話は始まった。100社近い会社が不採用だった私は、やっと決まった名古屋での仕事をあきらめる選択肢はなかった。
「ない。これだけ探して関西では仕事がないねん。名古屋の職場はやっと決まった場所やねんから」
と言う私に、なんとか関西で探してほしいという母。どうしても名古屋に行くと言う私。同じようなやり取りを何度か繰り返した後についに私が切れて放った一言は
「私の人生やねんから好きにさせて!」
だった。母は
「半分は私の人生やねん」
と怒りと悲しみが混じった声で言った。
あれから20年が経ち、親になった今なら母の気持ちも理解できる。生まれたときから目が見えない私をどんな思いで育ててきたのか、母の思いに心を寄せることもできる。でも当時の私は、何とか働かないといけないという気持ちで必死だった。その後どうやって母を説得したのかは憶えていないが、どんどん引っ越しの段取りを進めていったのだと思う。結果的に「自分の人生」を優先した私を母は応援してくれた。金木犀の香りが流れてくると、誰も知り合いのいない名古屋で仕事と一人暮らしを始めたときのことを思い出す。不安な気持ちや心細さはありながらも、自分で選んで決めたという強い思いと覚悟があった当時のことを…。あのときのように覚悟を持って「私の人生」を生きられているのか。
結婚して妻になり、母になった。新しく何かを始める時にいつも思う。
「自分の人生をしっかり生きたい」と。
それは母であること、妻であることをないがしろにしているわけではない。いろんな立場の自分がいて、全部含めて「私」だ。
11月から新しい挑戦を始める。来年6月の受験を目指して、産業カウンセラー養成講座に通うことを決めた。半年間土曜日にスクーリングでカウンセリングの実践を学び、e-Learningで知識の習得を目指す。
「あの出来事がなかったらやっていなかったな」
という失敗と、受講開始のタイミングが重なり思いきることができた。家庭と仕事と自分のやりたいこと。バランス良く全部両立させていきたい。
「私の人生やねん」
母に言ったときの気持ちを思い返しながら、新しい挑戦に少しの不安と大きな期待でいっぱいだ。爽やかさの中にほんのりと甘さが混じる金木犀の香り。母の優しさを思い出し、背筋を伸ばしてまっすぐ進んでいきたい。
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