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新しい家族の形

4カ月前、我が家に新しい家族が増えた。夫のパートナー、盲導犬のエルだ。
生まれつき全盲の私、人生の途中で全盲となった夫、目が見えている小学六年生の娘に盲導犬のエル。三人と一頭で暮らし始めた。

年明け、初めて夫とエルと買い物に出かけた。これまで近くのスーパーの入口まで送ってもらったことはあったのだが、お店に入ったことはなかった。家を出て歩き出すと夫が

「今日のエルはすごいルンルンで歩いてる」

と教えてくれた。ハーネスから伝わってくるエルの動き、歩く速度などから様子が分かるのだそう。盲導犬に出来ることは三つある。障害物を避けること。段差で止まること。角で止まること。夫はエルが自転車をよけたり、段差や角を見つける度に

「エル、グッド!エル、賢い!」

と褒めていた。私も一緒に

「エルちゃん、グッド!」

たまに

「あんた天才やな」

などと関西人らしく持ち上げたりして、お店へと向かった。

エルが来るまで、夫と一緒のときは二人とも白杖を持っていた。道が分かっているほうが前に立ち、もう一人が肩に捕まって、それぞれ身の安全を確保しながら歩いた。階段があるんじゃないか、路面はどうなっているか、車の音・自転車の音・行きかう人の足音など様々な情報を合わせながら情景を思い浮かべるのは神経を使う。エルと一緒のときは、夫がエルに指示をして進んでいく。前から車や自転車が来ているかはエルが見てくれる。私はほとんど白杖を使わず、夫の腕につかまって、温かい日差しと心地いい風を感じていた。

「二人で外に出るのが楽になったね」
「スピード出して歩けるし、ぶつからなくなったしね」

私が一緒にいるとエルも

「お、今日はママもおるんか」

と気にかけながら歩いてくれている。話した端から何を言ったか忘れてしまうような雑談をしながら、マツキヨを目指した。エルに

「マツキヨに連れてって」

と言って入口まで連れて行ってくれるわけではない。あくまでも道はユーザーである夫が指示をする。マツキヨによく行っているのは私なので、店の入口近くに来ると前に立って夫に肩に捕まってもらいながら入口を探した。でも、なかなか見つからない。

「エルが『そこ、マツキヨって書いてますよ』て言ってくれたらいいのになぁ」

話しながら白杖で入口のスロープを探していると、近くを通りかかった人が店まで誘導してくれた。店の中でエルはとっても賢く、夫に寄り添って店内の狭い通路もしっかりついてきてくれた。無事に買い物を終え、一緒に家に帰ってきたら、エルが盲導犬として仕事をしてくれていることに感謝の気持ちが湧いてきた。毎日夫とエルが仕事から帰ってきたときも

「エルちゃん、おかえり。がんばったね」

と声をかけているのだが、その気持ちにさらに愛しさが加わった。

盲導犬として仕事が出来るのは10歳までと決まっている。エルが元気で我が家にいてくれたとして、一緒にいられる時間はどんなに長くても8年だ。娘の子育て記録が一段落した今、盲導犬エルとの生活記録を新たに書き始めている。もう一度子育て記録を書くような気持ちで。いや、ユーザーは夫なので立ち位置は子育てとはちょっと違うのかもしれない。孫をかわいがるおばあちゃんの気持ちだろうか。エルが引退するときに一つずつ

「こんなこともできるようになったね」
「こんな所にも行ったね」

を思い出せるように日々の出来事を書いていきたい。

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