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原点を振り返った「みんなの夢AWARD」

3月12日、ファイナリストとしてステージに立った「みんなの夢AWARD14」無事終わりました。受賞はできませんでしたが、これまでの活動を振り返るきっかけになりました。
このコンテストに取り組む中で「見えないことでの難しさ」がたくさんありました。一緒にやってくれた宇野ゆかさんとアイデアを出し合い、工夫してやってきました。
まず「視覚に訴える見て伝わるプレゼン資料」が作れない。プレゼンをする上でPowerPointを使っての「見せ方」はとても重要です。そこをゆかさんが全面的に担ってくれました。

「パソコンが苦手」

と言っていたゆかさんですが、PowerPointの個別レッスンを何度か受けて仕上げてくれました。
他にも、私以外のファイナリストの方々はタイマーを見ながら話すことができます。プレゼンの時間は7分で、それを超えたら大幅減点になります。時間を見られないことを話すと

「私がベルを鳴らせばいいんじゃない?」

とゆかさんが提案してくれました。舞台袖で6分30秒のところでベルを鳴らしてもらいました。
ベルが聞こえたときに最期から2枚目のスライドに合わせて話ができるように練習を重ねました。本番もその通りにでき、ベルの音を聞いて安心できました。
舞台上で自分のスライドを見ながら話すことができないので、原稿にスライド番号とその内容を書き込み、切り替えるタイミングと一緒に覚えました。
何度も色んなところで話したり書いたりしていますが、障害は個性ではないと私は思います。障害はどこまでいっても障害です。できない、ということは変えられない。「見えないからできないこと」はたくさんあります。その「できないこと」をどう工夫するか、そこに個性があるんだと著書のあとがきにも書きました。その「工夫」は私一人だけでできるものではありません。

「こうすればいいんじゃない?」
「こんな方法はどう?」

今回のように一緒に考えてくれる人がいるから工夫できたことがたくさんあります。まずは「何ができないか」それを受け止めることが私にとっては必要なことだと改めて気が付きました。そこから「どうすればいいか」へと繋がっていくからです。「できない」と思ってから「工夫」に結びつくまでの時間は様々です。なかなかいいアイデアが思いつかず、見えないことが原因で思うようにいかないことにイライラしたり、がっかりすることもあります。
10台の頃の私は「なんでもできる」と思っていました。見える人と同じように、見える人と同じペースで。でも、それは違うんだと思い知ったのは大学に入ったことがきっかけです。見えないのは自分だけという環境で、見える人のペースに合わせて勉強することは本当に大変でした。10台の頃の私が「なんでもできていた」と思っていたのは、盲学校と言う「見えないことを分かってくれている大人に囲まれ、守られていたから」だと気が付きました。さかのぼってみると、大学時代に感じた「圧倒的にできない気持ち」が工夫を考える始まりだったんだと思います。でも、そのときから一緒に考えてくれる人たちがたくさんいてくれたことを思い出します。
本番前に口紅を塗りなおして

「ちゃんとできてる?」

と聞くと

「上手に塗れるもんだねぇ」

と言ってくれたゆかさんの何気ない一言。暗い舞台裏で点字の原稿を出す私に

「この場で字が読めるのは梓さんの特権だね!」

と言ってくれたゆかさんの一言。私が当たり前にやっていることに

「自信を持っていいんだよ」

そう言ってもらえたような気がします。
みんなの夢AWARDで得た経験は私の原点を振り返るきっかけになりました。たくさんの方に応援していただき、本当にありがとうございました。

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