「協調性が高い」は果たしていい人か?

協調性が高いデメリットって?


協調性が高いというのは、皆さんはどういうイメージでしょうか。タイトルからしても、この書き出しからしても、協調性をネガティブに捉えているように感じるかもしれません。今回はまさにそっち寄りです笑
とはいえ協調性が高いことはダメだという話ではありません。そういう私も高い方かもしれません。

ちなみに、協調性は性格の上位特性と考えられており、利他主義、協力性、謙虚、親切、協力的、暖かい、思いやりがあるなどの下位特性がグループ化したものとのことです。
一般的な組織の会社では、ある程度の協調性がなければうまくいかないことも頷けます。それに、チームで目標に向かい協働することがミッションとも言えるので協調性が低すぎるのは組織で活動するなら問題にもなります。

ですが、ある研究や心理学の本からは、協調性が高すぎると「信頼されない」、「好かれない」、「社会的に成功しにくい」ということがわかっています。
なぜそんなことになるのか?高すぎるとどういった問題があるのか考えてみると、例としては
・相手の顔色を伺う
・自分の気持ちを押し殺す
・NOと言えない
・自己犠牲的になる
・自分の軸がわからなくなる
などなど。

確かに、高すぎることで挑戦したり自分の大切なことを貫けなくなってしまう、人のために人生を生きるようなことになってしまうと思いました。
考えてみました。私が信頼している人、尊敬する人はどんな人たちか?ここでいう協調性の高い人は全然上がってこないです。むしろあまり印象にないです。尊敬できる人は「意見はしっかり伝える」、「相手の話も聞く」、「合わせも否定もしない」「理解は示してくれる人」。協調性は低い訳ではないけどそんなに高くはないと思います。
高すぎることが問題なので、高い人は長所だと思います。協調性が低すぎることは共感性が低い、社会的に問題の起こりやすい特性となってしまうのですが(サイコパスとか)、極端でなければ高かろうが低かろうがどっちでもいいと思いました。(結局かい)
昔の日本は、生活上協調性が必要であったようですが、今は協調性を重視しすぎる時代ではないし、協調性をフルに発揮する必要はないということです。

しかし私が協調性に食いついた理由は、自分が無理しているせいで、その協調性とやらが高すぎやしないか?と思ったことがきっかけなんですけど。長女病の特性を言い換えたという感じですね。
ちなみに私は周りからそこまで協調性が高いと思われていなかったという。笑 しかし、今の自分のいくつかの目標を達成するには、協調性に振られている能力値をもっと他の能力値に振り直す必要があると思っています。(ポケモンみたい)協調性を低くしようというわけではないのですが、今振り直しトレーニングをしながら仕事、プライベートを過ごしています。

協調性が高すぎる=自己犠牲=ストレスが溜まりまくる

協調性ってこんなに言いまくることはもうないでしょう。。でも私のズバッというべき時に言えない、言っても控えめ、相手の気持ちを考えすぎて疲れる、といったことが無意識にまだまだありました。そのせいで気づかないうちにストレスが溜まります。実は相手に合わせるのが疲れるし、自分はそんな良い人じゃないし、なんならどうでもいいし!知らんし!めんどくさいし!と内心思うこと結構あったんです。笑
聞かれてもない近況報告をすると、毎日1日の感情の種類をひたすら書きます。初めは感情を言語化するのが難しいこともあります。表現の問題で。感情は言語化すると結構な言い換えの言葉が存在するのでパターン化したものしか書けませんでしたが、しばらくするとこの感じは言語化するとこうだとわかってきますので、語彙力が高まるのと自分の感情に結構鋭くなります。なので感じているのにスルーされている感情を拾えるようになる。すると、モヤっとしてたり不安に思っている時もはっきり認識できる。ここでスイッチを入れて、「今もやっとしてるのは私の思いが伝わってないからだ、もっとはっきり言わないと」「不安なのは自信がないからだ、気にせず集中しよう」「今日のうちで一番楽しい気分、この瞬間は最高だな〜」とかいうことに利用できます。

ということで、近況報告はこの辺で、、読んでいただきありがとうございました。


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