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元恋人の訃報をうけて

ほんとうは、手紙を書いて、燃やして、空へ届けようかと思っていたのだけれど、どうしても残したくて、忘れたくなくて、ここに書こうと思いました。

ほんとうに個人的で、読んでいて楽しいものではないから、どうか今余裕のない方は、無理に読んで傷付くことのないようにしてください。


先日、元恋人の訃報を知りました。
あまりにも急な出来事で、即座に悲しみに浸るのは到底無理な話でした。


彼と出会ったのは、中学1年生になった時。
同じクラスの男の子で、私の地元では珍しく、東京から引っ越してきた転校生でした。

全体的に色素が薄く、特に瞳はとても明るい茶色で、窓からの光にその眼が反射する時、まるでガラス玉のように煌めいて見えたのを覚えています。(その瞳を見ていたいがために、振り向かせるなどしていました)

野球と読書が好きで、側から見ればアンビバレンスなその嗜好さえも、私には一周回ってとてもシンメトリーな好みに思えて、心底彼に夢中になってしまいました。

とても幸運なことに、彼とはよく隣の席になったので、休み時間、授業中も関係なしにたくさんおしゃべりしました。ノートの落書きや先生の悪口、最近読んだおもしろい本のこと……。彼のことなら何でも知りたくて、つい話しかけてしまうのです。

彼は面倒くさがることなく、いつも笑って答えてくれました。クスクスと静かに笑ったつもりでも、私の喜びが溢れ出していたのでしょうか、先生から「そこ!イチャイチャしてるなよ〜?」なんて、叱られたこともしばしばです。(私は満更でもない(むしろ嬉しい)ので、叱られても笑っていたけれど、彼はそのたびに真っ赤になってて可愛かった)

朝も昼も夜も彼のことを考えて、
どうしても彼の「特別」になりたくて、
くるしかった。

言ってしまえばそれまでで、仲の良い友達ですらなくなってしまうかもしれない。けれど私は、どうしても彼の恋人になりたかったのです。
じゃあどうすればいいのかと、自分なりにぐるぐる考えて、告白してもらおうと思いつきました。

臆病で慎重な彼が告白するなんて、全く想像できなくて、努力する前から絶望しましたが、自分から言えない以上、好きになってもらって、彼から言ってもらうしか、選択肢は無いのだと自分を奮い立たせて、どうにかこうにかアタックしました。

私は割と好きを隠さないので、他の人から見れば明らかに彼に気があると分かるのですが、当の本人は何となく気付いていても、「きっと気のせいだ。勘違いならこんなに恥ずかしいことはない。」なんて思ってしまうヤツなので、「こ、れ、で、も、か!!!」というくらいどストレートにぶつける必要がありました。

私の血の滲むような努力は割愛しますが、そんなこんなで、見事に、私は、四方を田んぼに囲まれた道路の真ん中で彼に告白してもらうことに成功したのです。

恋人になってからは、大袈裟でも何でもなく、本当に世界が違って見えました。

彼と並んで帰る家までの道のり。夕日に照らされてオレンジに光る彼の瞳や、華奢な身体のせいでたくさんできるジャージの窪みに影がおちるのも、ぜんぶ私が独り占めできました。その瞬間がどれだけ贅沢なものか、家に着いても胸がいっぱいで、夜が深くなってもなかなか寝つけませんでした。「その人のことが好き過ぎて、眠れないなんてことが本当にあるんだなぁ」なんて、ぼんやりと考えたことを覚えています。



わたしの人生において、人を愛するということの意味を教えてくれたのは、間違いなく彼でした。
それぞれ別の高校に進学して、振られることになっても、わたしにとって特別な人であることには変わりなく、ずっとずっと大切な、こころの1番深いところに置いてある思い出でした。

そんな彼がこの世からいなくなってしまった。

その事実は、勿論とても辛いことでしたが、何より私の心を抉ったのは、彼が自ら命を絶ったということでした。

理由は分かりません。

ただ、
ほんとうに、
どうしようもなく、
苦しかったのだと思います。

それだけが、私が知り得る真実。
亡くなったことも母親からの口伝えで知ったので、本当の命日やお墓の場所すら、何も知りません。彼と同じ高校だった人に話を聞きましたが、「自分たちもよく知らないんだ」とのことでした。

自ら命を絶ったその時に、彼は一体何を考えていたのでしょう。この世から去るその瞬間、彼の側には誰もいなかったのだろうということが、悲しくて悔しくて堪りません。

どうしてその結末を選んでしまったのか。
私は今でもあの頃の思い出に励まされ支えられているのに、彼にとってはそうじゃなかった。それがとても悲しいのです。

黒い感情というのは、他のどの色の気持ちも塗り潰します。彼も気付かないうちに、徐々に黒の範囲が広がって、いろんなものが見えなくなっていたのかもしれません。

そんな地獄のような毎日だったとしても、
それでも、どうしても、生きていてほしかった。

完全なるエゴです。
だって、私が、会いたいだけ。


そこが地獄だろうと、それが一生続くとしても生き続けろなんて、そんな無責任で勝手なことを言いたくはないです。だからといって、一緒にその地獄をぶち壊そう!と寄り添えるほど、そばには居られないのに。


はたして、
彼は解放されて、楽になったんだろうか。

自死を選んだ人が行く先は地獄だ、と、誰かに聞いたことがあって、急いで検索しました。

「自殺 地獄に行く 本当?」

そうしたら、本当に沢山の人々が同じ質問をあらゆる掲示板で投げかけていて、こころがキュッとなりました。
その人達の大半が、これから死のうと考えている人達だったからです。
「この世は地獄だけれど、死んだ先も地獄だと思うと死にきれない」
それが、その人達の訴えでした。

私は自らの死を望んでいないけれど、この世を憂いて亡くなった彼の行き着く先が地獄だなんて信じたくなかったので、「そんなものは、なんの裏付けもないただの迷信です」という答えを期待していました。

けれど、その答えは一方で、多くの自殺志願者にGOサインを出すことになってしまう。
この悲しい言い伝えの始まりは、誰かの「どんなに辛くても生きていてほしい」という切実な願いからだったのかもしれないと、その時初めて思い至りました。

死んだらその先は何もありません。
ただの「無」です。
そこには、喜びも苦しみも存在しません。
少なくとも私はそう思っているので、それで良しということにしました。

だとしたら、この行く先のない言葉たちは一体何処に吐き出せばいいのか。
noteしかない。
そう思って今、自分の思考を書き殴っています。

あの日、今まで誰にも見つけてもらえなかった私の弱さを見つけてくれてありがとう。

「なんで?こんなに弱いのに」
あの瞬間、私がどれだけ救われたか。
貴方は知らないでしょう。
その言葉に支えられて、私は今、生きています。

救われてばかりで、
大事なときに側にいられなくてごめん。
与えられるばかりで、
何も返せなくてごめん。


もう伝えられないのに、
次から次に言葉が溢れて苦しいです。



どうか、どうか、安らかに。


本音を言えば、

夢でもいいから、
もう一度会いたいです。



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