エンパスと自己防衛
思えば、小さい頃から人の気持ちがわかってしまう体質だった。
・この人はいま、笑って見せたけど傷ついた
・この人はいま、言葉と反対のことを思っている
・この人はいま、平気なフリしただけだ
そういうことが、言われなくてもわかってしまう。
特にその感情が「痛み」に近いとき、私はそれを言語領域ではなく、一種の周波数として非言語領域でキャッチしてしまう。
無意識に。受け取ろうとしていなくても、受け取ってしまう。
この感覚は、真ん中っ子で育った私が親の表情をよくみて育ってきたから、それと同じように周りの人の表情からキャッチする能力が高いだけだと思っていた。
だけど違う。それだけじゃない。
東北のとある場所にいったとき、街中を歩いていると勝手に涙が溢れてきたことがあった。
「なんだろう、この気持ちは。なんでこんなに胸が締め付けられるんだろう。」と思っていたら、そこは震災でたくさんの人が流された場所だった。
もうここにその人たちはいない。でも、その人たちの残した感情だけがスーッと心に入ってくる。そんな体験だった。
私はそういう自分の体質をわかっている。だからあえて、人との距離を意識的にとる。
「人見知りなので」
「私のキャパは狭いので」
最近は自分でもそんな言葉を口にすることが多くなったなぁと思うのだが、それは事実であると同時に、自分を守るための嘘だということにも気づいている。
そうしていないと、私は一体だれが自分にとって大事だったのかを忘れてしまうから。
そうしていないと、私は余計なことにまで手をだして、本当に大事にしたいことが後回しになってしまうから。
そうしていないと、相手の間に一線をひけず、相手のエネルギーが入ってきて心の平穏が保てず疲れてしまうから。
だから私は、あえていつもちょっとだけ後ろに下がりたがる。
でもその一方で、ここ数年は本当に自分がファミリーと思えるような人たちと大好きと思える暮らしを作っていきたい気持ちが強い。
みんなで畑をして、その作物でご飯を作って食べたり。夜リビングで映画をみていたら、帰宅した仲間が一緒に隣でそれを見たり。それぞれの仕事やスキルを生かして、暮らしている土地の文化や自然を守ったり。
本当の家族じゃないけど、まるで本当の家族みたい。そういうしなやかで強いコミュニティづくりを。
ただ同時にとても怖い。近い関係を作ると起こる、相手と自分のエネルギー分離にまだ私は慣れていないから。
大事だな、好きだな、こういう人たちとコミュニティを作ってみたいなと思うほど、相手の気持ちが胸のなかに入ってきてしまって、いま絶賛エネルギー疲れ中。
こういうときこそゆっくりやろう。任運自在。
読みにきてくださってありがとうございました!きっと私の文章を読んでくれる方は近いつながりの方だと思うのでどこかでお会いできる日を楽しみにしています。^^