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私の生き方実験〜LivingAnywhereな次の時代の暮らしを経験して〜【まとめ】

2022年4月、私は家を手放し、スーツケース1つで全国を転々とするLivingAnywhereな暮らしをはじめました。

「さよなら」の回数と同じだけ「はじめまして」をして、いくつかの場所では「またどこかで」と手を振って、「ただいま」と言いたい場所、「また会いたい」と思える人、そういうものが今、私の目にはありありと浮かんでいます。

この1年を振り返り一言いうならば、

「あぁ〜本当に幸せだった!!そして、その暮らしを経て迎える今が、本当に愛しくてたまらない。」

(・・・すみません、二言になりましたw)

これだけ聞くと、さぞ楽しいことがあったのだろうと思われがちですが、ここでいう幸せとは、人が一般的に想像する「嬉しい」や「楽しい」に紐づく思い出だけじゃないってこと、先に誤解なきよう言わせてください。

廃校に1人で眠った夜は「子供か」ってくらいに寝るのが怖くて、母や親友に電話をしまくりました。

意気揚々と家を手放して生活をはじめたのに、はじめの3ヶ月くらいは移動生活とはじめましての緊張感に疲れ果て「あぁ〜どうして家を手放してしまったんだ」と後悔しまくりました。

誰かのいびきで眠れない夜。旅先でどうしようもない孤独に苛まれた日。思ったように旅をしながら仕事ができず、東京でバリバリ働く友達と比較して、なんとなく社会から置いていかれた気持ちになった瞬間。どこにも根を張っていないことを「自由だね」と羨ましがられる一方で、「でもだからこそ孤独や不安定さを感じるんだよ」と落ち込んだ日。

いろんなタイミングで(特にはじめの3ヶ月は)、正直この暮らしが嫌いになりました。

だけど今、そんな思い出さえも「あぁ、本当に幸せだった。この暮らしができてよかった。」と思えるんです。

それは、私はこの暮らしを通して「自分が幸福を感じるいくつかのこと」と「それらを感じるためにどういう働き方や暮らし方をしたいのか」がより明確になったから。

選択肢の多い時代で選べることがありすぎてなんでも可能性に見えてしまう私たちは、選べず進めず迷いがち。だからこそ、そんな時代のなかで、「自分が幸せを感じるいくつかのこと」を知っているのはとても幸福なことだと思うんです。

あのまま東京で家を借りながら住んでいてはわからなかった。ホテルを転々として暮らすんじゃだめだった。LivingAnywhere Commonsだからこそ出会った人と多くのストーリーがあり、そこから自問しつづけたことが私に大事なことを教えてくれた。

心からいま、そう思います。

結局私は、1年間の家を持たない暮らしののち、LivingAnywhere Commonsの拠点があった千葉県館山市に家を借りて暮らしています。

LivingAnywhereな無拠点生活は楽しかったけれど、自分がこの世界のなかで中心にしたいと思える場所(館山)があることは、あの頃になんとなく地面から3cm浮いてしまったような気持ちの不安定さを地に結びつけ、「安定もあるのに自由もある」という豊かさを感じることができています。

今日はそんな暮らしを経た今だからこそ言える「で、1年間家を手放して暮らしてみてどうだったわけ?」をお話ししつつ、この暮らしを通してあなたに伝えたいことをまとめさせていただきます。

この記事が今の働き方や暮らしに疑問をもつ、誰かのきっかけになりますように。

定住も移住ももう古い!私たちが引いたあらゆる境界線が溶けてくこれからの時代の暮らしとは

沖縄拠点で会ったみんなと


まず、私はこの暮らしをはじめたとき、LivingAnywhere Commonsの社員さんにこんな話をしていました。

「私はLivingAnywhereな暮らしのアーリーアダプターとして、この暮らしの体感し、その実際を発信しながら広めていきます。」

※アーリーアダプター:イノベーター理論における5つのグループの1つ。 市場全体の13.5%を構成しており、流行に敏感で、自ら情報収集を行い判断する層のことを指し、 新しい商品やサービスなどを早期に受け入れ、他の人々に評価を広めるため消費者に大きな影響を与えるとされている。

実はこの「私の生き方実験」というテーマは、2022年3月頃にLivingAnywhere Commonsのに企画提案をさせていただいたもの。

「フリーランス人口がここ数年で労働人口の1/4を占めるまでになり、会社員でさえも会社にいかなくていい社会のなかで、どこでも働ける人たちがなぜどこでも暮らせる生き方を選ばないのか。」

当時プレゼンさせてもらった資料から抜粋
家を手放した2022年はコロナ全盛期で
一人一人が「どう生きたいか?」を問われているタイミングでもあったと思います

「持ち家率が急激に下がり、どこに住んでいいかをみんなが迷っている時代。ワーケーションだ、地方移住だ、関係人口だと、みんなが《うちで暮らしませんか》と躍起になるなかで、私たちにとってより納得感のある暮らしとはなにか。」

私たちは何を大切に家や住まう土地を選ぶといいのか

「ノマドワーカー、旅する◯◯、アドレスホッパー、そういうワードが商業的に彩られ、実情と異なる形で発信されつづける世の中のなかで、そういう暮らしの《実際》はいかなるものか。」

総じて言えば、「これからの時代でより納得感のある暮らしとはなにか」を私は見極めてみたかったんですよね。

だから私はあえて家を手放してLivingAnywhereな暮らしをはじめたんですが、やってみた結果「あぁこれからの時代は、私たちが無意識に引いてきた線を溶かし、古い意識に縛られるのをやめるだけで、より納得感と幸福度の高い暮らしができるんだ」ということがわかりました。

日本という国境、地域という境界線、家という箱、その箱をどこに置くか?という意識が生む定住/移住という言葉、そういうものはもう完全に古い。

自分が「囲まれていた」と思う線を溶かし、「不自由」という言葉そのものを自分のなかから無くしていく。

私はずっと自由だった。しかも今、そのうえで大切にしたい場所がある。

そんな大切な中心点に、私はこの1年を通して何度も何度も気づかせてもらった。そしてその中心点が、自分と他者への許可となり、今の時代を生きるしなやかさと軽やかさ、あとは心強さみたいなものを与えてくれたなと思うんです。

LivingAnywhere Commonsが教えてくれたこと

私もアオアパみたいな場所を作りたいなぁ〜

私はこれまでの人生を通してそのことに気づきましたが、とりわけこの1年はLivingAnywhere Commonsからそのことを学ばせてもらったように思います。

詳しくはこれまでの記事にもあるので深追いはしませんが、特に大きかったのは

LivingAnywhere Commonsはサービスではなくコミュニティである

と気づいたときに変わった、私のなかのマインドと行動だなと思います。

もっといえば

LivingAnywhere Commonsが作ろうとしているものは、新しい家族と住まいの形である

と思えたことで「拡張家族」「DAO」というなんとなくわかりそうでしっくりこなかったいくつかのことを実生活の体験から深められました。

私は「人の言葉というものは、内側にある意識がはみ出したものだ」と考えているのですが、LivingAnywhere Commonsがサービスだと思っている人は、「スタッフがいない」とか「キッチンが汚い」とか「面白くない」とか不満がでてしまうんですよね。

これはサービスを受ける側と提供する側という意識が生む言葉。「これだけ払っているのに正当なサービスが受けられていない」と感じるときにでる言葉だと思うんです。

だけど、LivingAnywhere Commonsをコミュニティ、ひいては拡張家族だと思っている人は、「困っている人がいたら声をかけよう」「自分が気持ちいいように掃除をしよう」「面白さをここにいるみんなと作っていこう」と、起きていることに対して当事者/共事者意識がもてる。そして楽しみを自分たちで作っていける力が強いようにも思います。

LivingAnywhere Commonsが利益を追求する事業である以上、「サービス」だという側面は間違っていない。そういう意識も言葉も私は決して否定する気はありません。(そしてコミュニティなんだから、家族みたいなもんなんだから、これくらい…というのも違うなと)

だけど、楽しさは、消費するよりつくれた方がずっと楽しい。それも一人じゃなく、みんなでつくれたらもっともっと楽しい。

私はLACをコミュニティと思うようになってから今まで以上にそのことに気付いたし、随分と行動も変わったなぁと思います。

新しい働き方Lab✖️LivingAnywhere Commons

6月は館山に大集合!

今私は、「去年私がしたあの素晴らしい時間と気づきのきっかけを、次の誰かにも循環させていきたい」と、新しい働き方Labのコミュニティマネージャーという立場を使って、「LivingAnywhere Discovery〜旅先での出会いによって、働き方はどう変わるのか?〜」」という企画をお届けしています。

プロジェクトが開始して3ヶ月。実験メンバーさんからはさまざまな声が聞こえていますが、その言動ひとつひとつを聞きながら「あぁ、そんな頃もあったなぁ」なんてしみじみしている今日この頃。

いま、どんなに悩んでいてもいい。いま、どんなに違和感を抱えていてもいい。LivingAnywhereな暮らしなんて全然面白くないじゃないか!他人との生活はやっぱり疲れる!DIOって一体なんなの!?そう思いまくって、全然いいと思うんです。

大切なこととというのは、自分で試して考えて、悩みながら見つけていくもの。じゃなきゃ意味がないから、私がするのは「機会を提供する場づくり」のみ。それをどう生かすかは完全放牧でいいなぁと思うわけです。

そういえば余談ですが、先日とある方に「その運営はいくらでやってんの?」と聞かれました。「あぁ、私も1期の頃はPMの方達をみて、みんな仕事としてこれをやってるんだろうな」なんて思ってたので色々気持ちはわかるなぁと。

ただ実際このプロジェクトにおける報酬というものはありません。むしろ自分の旅費は自分で出してるくらい。ただ一つ言えるのは、もはや私にとってLivingAnywhere Commonsや新しい働き方Labは「サービス」ではないんですよね。

楽しさを一緒に作っていきたいと思える人。そして、そういう人が多く集まっているコミュニティ。それは同時に私の楽しさをつくる実験の場でもあったりします。

私はお金を稼ぐことも大好きなので、そんなみんなと仕事をしてお金をもらえたらめっちゃ楽しいです。でもだからといって、この運営に資本主義のギブ&テイクルールを求めてない。

自由にやっていいよといってくれる場があり、そこで一緒に楽しさを作りたいと思える人がいる。そんな場に関わっていられることは、私にとって「幸せを感じるいくつかのこと」だったりして、いまここに関われていることを嬉しいなぁと思うんですよね。

私たちは持ちすぎている。捨てよう、減らそう、旅に出よう。

私はLivingAnywhereな暮らしを始めたと同時に、家と荷物をほぼ捨てました。そして今、そのはじめ方をしたことが大正解だったと感じています。

それは、持っているものを限りなくゼロにしたことで、人生が限りなくシンプルになったから。そしてそのなかでも、「自分が持っていたいもの」を自問できたから。

「あぁ、私はこういうものが好きなんだ」
「あぁ、私はこの人といるときよく笑ってる」
「あぁ、1日の終わりにこんな景色をみていたい」
「毎日のなかで幸せを感じる瞬間はこれだ」

そういう大事なことに気づけたのは、あらゆるものを捨てLivingAnywhere をはじめたから。

いま人生に悩む人、なんとなく気持ちが重い人は、たぶんきっといろんなものを持ち過ぎているんじゃないかな。それは物質的なものだけじゃなく、意識とか責任とかそういうものも含めて。

私は家と荷物を持たない暮らしで物を捨て、LivingAnywhere Commonsのなかでいろんな価値観や考えを捨てていきました。

始めたばかりの頃は仕事もかなり減らして、どういう仕事がしたいのか?も探求し、そのおかげで親友とInstagramができて、それが1.8万フォロワーに。今ではたくさんの案件もくるし、Instagram運用が仕事になったりもしています。

LivingAnywhereな暮らしの中で残ったシンプルなものに囲まれて、どこでにも行ける自由、どこでも作っていける楽しさを知り、そのうえでいま、大事にしたいものがここにある。

1年をかけてした私の生き方実験は、そんな実験結果を私に与えてくれました。だから、人が一般的に想像する「嬉しい」や「楽しい」に紐づく思い出だけじゃないことも含め、「最高に幸せだった」と思っています。

人生はこれからもそうやって笑ったり泣いたりしながら続いていく。そしてそのなかで、どんどん真ん中に気づいて、きっとシンプルになっていく。

それが感覚的にわかるから、私はこれからもLivingAnywhereに暮らしながら、私だけの生き方実験をしていきたいなと思います。

最後に、LivingAnywhere CommonsをつくってくれたLACのスタッフさん、各拠点で出会ったみなさん、私の愛すべき友達たち、これを広めるチャンスをくれた新しい働き方Labのみなさん、あなたの直感に従って生きなさいといってくれる家族、私を受け入れてくれた館山のみなさん、本当にありがとうございます。これからも一緒に、楽しいをつくっていきましょう!^^

あず
TATEYAMA⭐︎


私の生き方実験シリーズ過去記事一覧:


読みにきてくださってありがとうございました!きっと私の文章を読んでくれる方は近いつながりの方だと思うのでどこかでお会いできる日を楽しみにしています。^^