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『たたみかた』創刊号「福島特集」

雨の土曜日に打ち勝つべく出かけて行った池袋のジュンク堂で、福島県に関する本を集めたブックフェアをやっていました。そこでふと手に取った雑誌、アタシ社の『たたみかた』創刊号「福島特集」。開いてみて、最初のページに綴られていた編集長・三根かよこさんの言葉に嵐のような共感を覚え、慌ててレジへと向かいました。うちに帰ってどきどきしながら読み進め、最後のページまで辿り着いたとき感じたのはとにかく、「いま、出会えてよかった」ということでした。

福島特集、の下には「ほんとうは、ずっと気になってました。」というコピー。私の心の内はまさにその言葉通りだと思いました。ずっと気になっていたし、何かしたいし言いたかったけれど、東京にいる私が一体何を語れるのか、語ってよいのか、皆目分からなかったのです。そこには、正体の分からない「恐れ」がありました。きっとその「恐れ」の根っこにあるものはひとつではないのだけれど、この本を開いて最初のページにあったあるワードが、そこにすとん、と落ちてきた気がしました。

震災以降、できるだけ信頼できる情報を探し続けていた。
何か一つの「正しさ」を探し求めていたとも言える。
でも、この6年で私がたどり着いた結論は、
『そんな「正しさ」は世界のどこにも存在しない』ということだった。
ただ一つの「正しさ」は存在しない、という結論に至ったからこそ、
その存在しないはずの「正しさ」を探せたらなぁ……と思うようになった。
できる限り、全ての生命が調和的に生きられるような、
傷つけ合わないですむような、そんな「正しさ」。

「正しさ」。

どうしてこの言葉が出てくるんだろう、そして、どうしてこんなにも染みるんだろう。そう思って考えてみると、単純なひとつのことに行き当たりました。それは、あの大地震が揺るがしたのは、大地と海だけではなく、そこに根付く「ひとの関わりのかたち」そのものだったということです。これは、コミュニティ、とか(地域)社会、とかと似ていて少し違うと思っています。というか、そういう言葉では言い表せない、もっと切実なものだと感じるのです。被害のあった場所だけの話ではないし、「被災地」や「被災者」という枠でくくれることでもない。どんなあり方かはひとことでは言えないけれど、何らかの形で存在する「痛み」を目の前にして、私たち(という無責任な言い方をゆるしてください)はそれまでと同じようには関われなくなった。「痛み」ほど、個別にしかありえないものはないからです。そのからだとこころをもっている自分自身しか感じることはできないし、場合によっては自分自身ですら、それが痛みだということに気がつかないこともあります。それくらい、推し量ることの難しいひとつひとつの痛みが、「正しさ」なのかもしれない、と私は思いました。どっちが合っているか間違っているかなんて、そんなことは決めようがないのです。本当は。

福島に外側から関わろうとするとき直面するのは、そういう無数にひしめき合っている「正しさ」なのだと思います。それら「正しさ」の関係性を理解しながら、そこにある痛みと向き合うのが、いわゆる「復興支援」という名で行われる活動の本質なのかもしれません。本当に向き合うのは「福島」でもなく「被災地」でもなく、そこに紡がれ続けているひとびとの営みそのものだということ。“正しさと正しさがぶつかり合う世界を越える”、シンプルで複雑なことだなあ、と感じました。

そして、痛みが正しさであると同時に、というかもしかしたらそれ以上に、それに対する「手当て」、応答にも正しさが求められます。どうしても。

痛みを孕んだ傷口や傷痕は、呼びかけを発します。それを聞いたひとは、もはや拒絶する隙もなく、応えずにはいられない。だけど、呼びかけを聞き間違えればとんちんかんな応えをすることになってしまうし、聞き取ったとしてもその文脈を汲まなければ、本当に「応える」ためのことばは生まれない。正しい手当てを、でもそれはただ一瞬で、一回で、できることではない。だからただただ沈黙を守る、というのがいちばん悲しいことで、でも私がしてきたのはそういうことでした。

思いは溢れるほどにあって、実は言葉にもなっていて、でも声にならなかった。『たたみかた』は、たとえばそんな私みたいな者に、声を与えてくれる一冊です。そこには、偏りや偽りや装いのないひとたちとそのことばが、1ページも読み飛ばすところなく、それでいてさらりと綴られています。福島のこと以外の記事も載っているところが本当に面白いと思います。それはきっと、この誌面のテーマが「福島」ではなく、「福島を通して向き合うことになる問題」だからなのかなあ、と感じました。そういう物事の捉え方をしたいし、私はそのためにこのあたまとからだを使おうと、そんなふうに思いました。もちろん、こころはいちばんに。

ちなみに、たたみかた、という言葉を見て真っ先に思い浮かべたのは「洗濯もの」でした。私は大概そういう単純な見方で世界と関わっているわけですがともかく、たたみかた、という言葉の、生活の中に落ちていそうな穏やかさとか、正解を出す必要がない柔らかさが、素朴に好きだなあ、と感じました。第二号もぜひ、読んでみたいと思います。



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