徒然日記~生き続けるコンテンツ

創作物、そしてその作者の名が、同時代だけでなく、百年、二百年、と時を越えて残り続け、なおかつ人々から愛される、というのは奇跡に近い。
例えば、「歌川」と名のつく絵師といえば、広重や国芳の名が思い浮かぶだろう。
彼らの作品は、時間も国境も越えて愛され続け、その名は燦然と輝いている。
と言っても、彼らとて最初から順風満帆だったわけではあるまい。
特に広重は、下級とはいえ武家に生まれ、13歳で家長として責任を負う立場に立たされ、以来20年以上にわたって、火消同心の役目についていた。
一方で、絵に対する熱い思いと、収入の足しにするため、絵師の道に入り、二足の草鞋の人生を送った。
しかし、絵師としてはなかなか芽が出ず、長く鬱屈した思いを送ることになった。
「歌川広重」という名は貰ったが、沢山いる「歌川」派の絵師たちの一人、末端にすぎない。
周りと同じく役者絵も、美人画もやってみた。が、ぱっとしない。
自分にしか描けない絵とは何なのか。
どうすれば、大勢の中から一歩抜きん出られるのか。
悩みに悩んで、「名所絵」という自分の方向性を見いだせたのは三十代半ばになっていた。
結果生み出された〈東海道五十三次〉は、ゴッホが模写したことで有名だし、晩年の〈江戸百景〉の大胆な構図は、現代のデザインに通じるものがある。

そして、千年を越えて生き、愛され続けたコンテンツといえば、『源氏物語』が挙げられる。
平安貴族の間でベストセラーになり、読み継がれ、美術にも影響を与えたし、パロディや現代語訳も、連綿と生み出され続けている。
まさに奇跡的なことと言えよう。
年月の中で散逸し、タイトルだけが残るものも沢山あると言うのに。そして、その向こうには、タイトルすら残らなかった無数の物語が横たわっているのだろう。

昔、国語の授業で読んだ評論には、こんな一節があった。
「一つのこと(方向)を突き詰めれば、普遍性を帯びる」
紫式部は、『源氏物語』を書くにあたって、過去に書かれ、流布する物語(コンテンツ)や、経典、漢籍など膨大な量の参考文献を用いたとされる。
それらを消化し、組み直しながら、読者と同じように血肉を備え、呼吸し、愛し、苦悩する人物たちがひしめく長大な物語は立ち上がっていった。
コンテンツが生まれる根っこには、膨大なインプットが存在している、というのもまた、普遍的なルールと言えるだろうか。

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