春にしては暑い日だった。 風を受け揺れるカーテンが寄せては返す波を思わせ、木々のざわめきが波の音のようだった。 山間の僻地にいながら、潮風を思わせる午後だった
藤の花がもう枯れ始めていた。この前咲いたばかりだと思っていたのに、旬の間は一瞬だ。でも、そうやって季節が進むと別の花が咲いてくる。寂しいようで、賑やかなようで、一瞬のようで、ずっとのようで。花を見ているとそんなことを思う
藤の木が咲いた。 枝の先に縮こまっていた花たちが枝垂れて、甘い香りも広がる。顔を寄せて匂いを嗅ぐ。 花の香りに釣られたのは人だけではないようだ。マルハナバチかクマバチか、大きな羽音が藤の枝の陰から聞こえてきた。姿は見えなかった。きっと花の中に潜り込んでせっせと蜜を集めているのだろう、と思った。見えなくとも、確かにいる。藤の花の色や匂いと相まって、生き生きとした活力のようなものが感じられた。 これが生命力なのかな。よくわからないけど、なんとなくそう思った。
雨上がり、日が差した途端にクマバチが花の回りを飛び回った。 空中に留まって、通り過ぎる蝶や他の蜂たちに接触している。 調べてみると、繁殖するためにメスを探しているらしい。 重みのある羽音とは裏腹に、他の虫たちを窺うような飛翔に気持ちが和む。 池には先日産卵された卵たちの、卵膜を失って解放された黒い胚が尻尾を得てもぞもぞと動き出している。 山桜の花びらも庭にちらほらと舞い落ちるようになった。これからは葉が目立ってくるようになるだろう。 生命を繋ぐ季節、庭先は賑やか
急にやる気が湧いてきた。二次創作のやる気が
創作においては、無駄を許せないと何も生み出せない、のかもしれない
庭にマルハナバチがやってくる。クマバチよりもずんぐりむっくりとしていて、愛嬌のある見た目をしている。蜜を集めるために花に止まると、自分の体の重さで花が垂れ下がってしまう。それがなんともいえず可愛らしく、暫く眺めてしまう。花に寄ってくるのは蜂ばかりではない。洋梨のようなフォルムに細い羽が生えていて、忙しなく羽ばたいて花の回りを飛び回り、長い口吻を使って蜜を吸う。ビロードツリアブという名前らしい。顔つきは虻だが、見た目や仕草は可愛らしく、こちらも花々を眺めるとつい探してしまう。
noteで記事を書こうと思ったら文量や構成もしっかりしないとと思ってしまうけど、つぶやきの140字以上のものは記事にする、と考えたら気楽にやれそうだ
今日は暖かだったからか部屋にカメムシが何匹も現れた。空きペットボトルに捕まえるのだが、何年か前と比べてカメムシの回避能力が上がっていて手こずる。気配を察知して、向けられたペットボトルの口から外れるようにして落下していくのだ。どこで警戒心を学んでくるのだろう。遺伝子レベルで身に付けてくるのだろうか。不思議だ。
二次創作をするとき、キャラの心情を掴むのに詩を書くとその後すんなり本文に入れる気がする。分からないけど。出す宛もない詩を書いていて思った。その詩に沿った人選とか展開とかを後から決めていく。二次創作としては邪道なのかもしれないが、書きたい心情が先にある
絵は大きく描いた方がいいのかもなあ、こじんまりしてしまうな
作品を形にするには熱意と勢いが重要だと実感してきた。熱意を維持し続けるのも、勢いを逃さないようにするのも難しい
モーニングページに使っていたA4でA罫のルーズリーフがAmazonで取り扱いがなくなっていたのでB罫を試してみる。ちょっと行数が多くなったけど悪くない。書くこと自体へのハードルはだいぶ下がったみたいだ
形にすることは妥協の産物なのかもしれない。妥協してから洗練させる
以前作ったプレリを聴き直して、曲順をいじったり。並びを変えるだけで聴きたいと思えるものになった気がする。頭で考えるのではなく、もっと自分の感性を信じてもいいのかも、と思えた。感性を試すことが自信につながったりするのかも
今までプレリ作ると作った後にあまり聴き返したりしなくなるという本末転倒なことになっていたんだけど、今回作ったやつはもう何度も聴き返してる。たぶん今までは見栄が入ってたのが原因だろうな