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デイヴィッド・ヒューム:人間の本性を観察した人生

はじめに

なぜヒュームについて知りたくなったか?
私はchatGPTなどのAIが隆盛する中、「人間らしさ」や「人間の思考」は何か? と考えを巡らしたくなりました。
その中で知ったヒュームの「人間本性論」が、何か答えを与えてくれるかもしれないと思い、いくつかの本を手に取り、このnoteをまとめるに至ります。

趣味の域を出ず、また このnoteで問いの答えが出たわけではありません。
しかし、同じく人間本性論に辿りついた方や、フランクにヒュームについて知りたい方の助けになれば幸いです。
(人間本性論の哲学的な解説としてはこのサイトが良さそうでした)

デイヴィッド・ヒュームについて

彼は珍しくも哲学者と歴史家の双方で有名な人物で、スコットランド生まれのイギリス人です。
ジョンロックやベーコンなどのイギリス経験主義の後継者である一方で、人間の思考や人間が起こす社会現象を科学的に解明しようとしたという点で社会科学の始祖と言えます。

※当時は科学(science)という言葉は用いられていたが、社会科学(social science)という言葉はまだ定着していない時期だったそうです。

略歴

1688 名誉革命
1711 スコットランド南部でヒューム誕生
1723 エディンバラ大学に入学
1725 エディンバラ大学を退学(後に教授から本以上の学びが無かったと語る)
1729 "思想の新たな舞台" を思いつく(人間本性論の土台?)
1739~40 「人間本性論」
1741~47 「道徳・政治論集」
1748 「人間知性研究」
1751 「道徳原理研究」
1752 「政治論集」
1754~1762 「イングランド史」(本が成功し経済的にも裕福に)
1776 ヒューム死去

彼の人生をざっくり言えば?

彼が28歳で刊行した「人間本性論」の前書きで、次のように綴っています。

もし幸運にしてこの私の試みが成功するならば、
私はさらに、道徳、政治、および文芸批評の考察に進むつもりである。
そのとき初めて、この「人間本性論」が完結することになろう。

人間本性論 第一巻 前書き

この言葉通り、人間本性論の後、
道徳や政治、そして歴史についての書物を発表しています。
打ち立てた人間本性論の確からしさの反証作業だったのでしょう。
彼の人生はまさに『人間の本性に向き合った人生』と言えるのではないでしょうか。

キリスト教的考えから脱却し、人間の本性に真っ向から向き合い。
その後、その人間の行動の集合である政治や歴史について深掘りを行った人生でした。

それまで、教会からのトップダウン的思考が認識の本流でしたが、
各個人からのボトムアップ的思考が広がっていた。彼の人生をかけた試みはそのボトムアップの根源を明らかにし、また政治や歴史に適用することで明白なものとしました。

彼がすごいのか?時代がすごいのか?

A.すごい時代の中で、すごい彼が理論化した。
時代は超転換点。
資本主義はまだ確立せず、伝統的で前近代的な制度や法律も残る時代(スコットランドは特に)。
同時に脱宗教化も進んでいたので、キリスト教の考えに疑問を持つのは、時代の後押しがあったからかもしれません。

しかし、人間本性に関する彼の理論は独自性に富み、カントなどにも影響を与えています。彼がいなければ興らなかったものも大きいと思われます。
そういう意味で、彼もすごかったのです。
、、当たり前だけど。

人間本性論 について

本書は、AIになくて人間にあるものを解き明かす本! …とは言えず、
人間におこりうる各現象の性質を実験(経験的事実)によって発見した試みのまとめ本 と言えるでしょう。

おおまかな内容とキーワード

この本のキーワードは
知覚 perceptions」「印象 impressions(感じること feeling)」「観念 ideas(考えること thinking)」「信念 belief」「習慣 habit」がであり、
人間本性論で言われることは大まかに以下となります。

1. 人間の知覚は、「印象」と「観念」に分けられる
2. 信念とは、印象に関係する生気のある観念であり、主に習慣が伴う
3. 因果法則も、習慣的な信念にすぎない
4. 人格の同一性(personal identity)は、知覚の集まりである

この一つ一つについてもう少し細かく見ていきましょう。

1. 人間の知覚は、「印象」と「観念」に分けられる

  • 人間の精神に現れる知覚は、「印象 impressions」(感じること feeling)と「観念 ideas」(考えること thinking)の二つに分類される。

  • 印象には、生気や勢いが有るが、観念(人が考えているとき)には、生気はない。

2. 信念とは、印象に関係する生気のある観念であり、主に習慣が伴う

  • 一度の印象では信念にはならず、継続して経験する印象が信念の基礎となる

  • 過去の経験による習慣的な印象は、理性や想像力なしに直ちに信念となりうる。

  • 観念だけでは、信念にはなりえない。信念には、印象から発生する生気の強い思念である。

  • ローマ・カトリック教などへの信仰も同じようなことが言える(と主張)。儀式による経験的事実が生気を与え、熱情を駆り立てる。

3. 因果法則も、習慣的な信念にすぎない

  • 原因と結果の観念は、過去の事例で恒常的に随伴していたという経験から生じている。

  • ただ、その因果の推理には理性(reason)ではなく、想像力(imagination)で結合していることが必要である

4. 人格の同一性(personal identity)は、知覚の集まりである

ヒュームは、人格や精神すら知覚に基づいているとしました。
ただ、この議論をする際の主語は「われわれ」よりも「私」をよく用いており、ヒュームとしてもこの結論(の一般性)には自信を持てていないのではないかと私は感じました。

私は、いかなるときにも、知覚なしに自己を捉えることが、決してできず、また知覚以外のものを観察することも、決してできない。
私のもつ諸知覚が、深い眠りなどによって、しばらくでも取り除かれるとき、その間は、私は自己を知覚していず、私は存在していないと言っても間違いではない。
(中略)
ある形而上学者たちを別にすれば、私は、残りの人間たちはそれぞれ、想像を絶する速さで互いに継起し、絶え間のない変化と動きのただなかにある、たがいに異なる諸知覚の、固まりあるいは集まりにほかならない、と主張しても憚らない。

人間本性論 第一巻 人格の同一性について

木曾好能氏による人間本性論の6つの根本原理

上記の4つの内容は私が感じた大まかな内容でしたが、
人間本性論 第一巻を訳した木曾氏は、解説にて6つの根本原理として分類していました。

  1. 思考表象説の原理
    - 精神は知覚という表象を介して思考する

  2. 知覚の分類の原理
    - 知覚には印象と観念とに分かれる

  3. 経験論の原理
    - 経験していないことは考えられない(観念は印象から生じるため)

  4. 分離の原理
    - 異なる対象は、思惟と想像の能力によって分類できる

  5. 思考可能即存在可能の原理
    - 考えられるものは、その時点で存在している

  6. 観念結合の原理
    - 過去の経験によって何かしら関係を有する観念は結合する

彼の解説の熟読には至っていませんが、人間本性論の深い考察と体系的な理解には木曾氏の解説が大きな助けとなります。(また読んでみよう)

さいごに

正直 今回の読書を経て、AIに対する人間らしさの答えは出ていません。
ただ、彼の思考実験はとても面白く、頭を捻って何度も読み返してやっとという代物で、彼の思考に少しでも寄り添えたことは有意義な時間でした。

今回ヒュームから学んだ態度は、
演繹的に導き出した答えは疑え」ということかと思っています。
彼はキリスト教のようなトップダウン的な思考を強く否定した一方で、科学的に導き出された法則すら、習慣的な信念に基づいていると指摘しています。

決して科学を否定しているわけではなく、それが人間の本性だと提起していると感じました。彼が人間本性論後に道徳、政治で考察した本性についての反証作業については深く調べられていませんが、彼がどのように完結させたかや、彼に影響を受けた人がどのように考えたかは別途学んでみたいと思います。

ひとまず
自分の信念は何か、自分にとって信念となってしまっているものは何か
と、問い直すだけでも、ヒュームについて学んだ価値はあるのではないでしょうか。

関連人物

  1. アダムスミス:親友であり、一番の理解者。

  2. モンテスキュー「法の精神」:道徳原理研究の中で、政治知識の体系として絶賛した。ただ、その根底にある理性主義の哲学は明確に否定。

  3. マルブランシュ「真理の探究」:人間本性論の中で、古来の哲学者の例として引用している。

  4. グロティウス「戦争と平和の法」:道徳原理研究の中で、所有権の起源や正義に関する論(黙約など)において、グロティウスと近しいと引用している。

  5. プーフェンドルフ:黙約と同じconventionについて論じたが、自然法の指示が伴ったという表現がある意味で異なる。

  6. ロック:先駆的な経験主義知識論を評価しながらも、ロックが説明した"自然状態"や、統治への服従義務における"同意"概念の不自然さを批判した。

  7. カント:ヒュームの因果理論(因果法則は事実ではなく、習慣的信念にすぎない)の考えが、カントを「独断のまどろみ」から覚醒させた。

用語について

名誉革命(Glorious Revolution):1688~89年の英国の無血革命のこと。国王を追放。新国王が議会の決議した「権利宣言」を承認、「権利章典」として公布することで、英国立憲君主制の基礎が確立された。
懐疑主義
(Skepticism):基本的原理・認識に対して、その普遍妥当性、客観性ないし蓋然性を吟味し、根拠のないあらゆるドクサ(独断)を排除しようとする主義
理性主義(Rationalism):確たる知識・判断の源泉として(人間全般に先天的に備わっている機能・能力であると信じる)「理性」を拠り所とする、古代ギリシア哲学以来の西洋哲学に顕著に見られる特徴的な態度のこと。
黙約(Convention):人々の共通利益の一般的感覚(非言語的)。その感覚を社会の構成員がお互いに意識し表明することで、ある一定の決意や行動を生み出す。
自然状態(state of nature):政治哲学上の用語としては、政治体を構成する以前の人間たちがどういう状態にあるのかを、仮想的に表現したもの。

参考文献

  1. デイヴィッド・ヒューム 哲学から歴史へ / ニコラス・フィリッピソン (訳 永井大輔) / 白水社

  2. ヒューム希望の懐疑主義 ある社会科学の誕生 / 坂本達哉 / 慶應義塾大学出版会

  3. 人間本性論 第一巻 知性について / デイヴィッド・ヒューム (訳 木曾好能)/ 法政大学出版局

  4. 100分de名著 カント 純粋理性批判 / NHK

  5. Weblio国語辞典 / https://www.weblio.jp/

印象に残ったこと

論理学の唯一の目的は、われわれの推理能力の諸原理と作用、および観念の本性を説明することであり、
道徳学と文芸批評とは、われわれの趣味と感情を考察するものであり、
政治学は、結合して社会を形成し相互に依存し合う限りでの人間を考察するものである。
これら論理学、道徳学、文芸批評、政治学の四学問には、われわれにとって知る価値のある事柄、人間の精神を高めることあるいは飾ることに寄与し得る事柄の、ほとんどすべてが含まれているのである。
(中略)
諸学の首都であり中心である人間の自然本性そのものに、まっすぐ進撃することである。人間本性をひとたび征服すれば、ほかでは楽勝が期待できる。
(中略)
われわれは、人間本性の諸原理の解明を企てることで、実は、ほとんどまったく新しい基礎の上に、 しかも諸学を安全に支え得る唯一の基礎の上に、諸学の完全な体系を建てることを目論んでいるのである。
そして、人間の学(the science of man)が他の諸学の堅固な基礎を成すように、人間の学そのものに与え得る唯一の堅固の基礎は、経験と観察(experience and observation)に置かねばならない。

人間本性論 第一巻 序論

われわれには、観念や印象と種的に異なるようなものは、思い浮かべること、観念を浮かべることさえ、不可能である、ということが帰結する。
われわれの注意を、できる限りわれわれの外に向けてみよう。われわれの想像力を、天空に、あるいは宇宙の果てに、駆り立ててみよう。
それでもわれわれは、実際は自身から一歩も出ていないのであり、この狭い範囲に現れたことのある知覚以外には、いかなる周囲の存在者を考えることもできないのである。これが、想像力の宇宙であり、我々は、そこに生じる観念の他には、いかなる観念ももっていないのである。

人間本性論 第一巻 存在および外的存在の観念について

或る印象が我々に現前するとき、それは精神をその印象と(自然な)関係をもつような観念に移行させるばかりではなく、それらの観念に、それ自身の勢いと生気の一部を伝達しもする

人間本性論 第一巻 信念の諸原理について

哲学から歴史へ メモ

人間本性論 第二巻 情念について の中でのヒュームの分析によれば、利益や自己といった観念そのものが、日常生活の経験から引き出した認識形態のせいかである。
ヒュームが中流階級に向けてイングランド史を書いたのは、彼らと国制は複雑に絡み合っており、彼らが自分たち自身と国の歴史や文化を理解し応用していくことでしか、イギリスにおける文明の未来はないと考えたからであろう。
ヒュームの書いた歴史は、イギリスが王権と議会が円満な関係のときのみ平和で繁栄したいたことを明らかにしている

宿題(読後メモ)

・木曾好能氏の解説をもう少し読む
・正義と所有権の理解
・共和主義の理解
・印象と観念はヒュームの完全オリジナルか

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