不運の正体

やあ、おかえりなさい。

先程初回投稿を済ませた所だが、やはり文章を書くのは面白いなと気づかされた。
そんな今日の「高識 命」です。

「今日は運が悪い」

誰しもが一度は感じたことがあるだろう。
黒猫が前を通り過ぎる時、ニュースの終わりがけに流れる占い順位が低い時、決まってその日にトラブルが重なる時…
こんなの可愛いものだって?

運が悪いと感じるならば、運が良いと感じることも必ずあるだろう。
ご褒美を貰える時、駄菓子屋でアタリを引く時、珍しいものを見た時…
大したことないとか言わないで?

そろそろお前は何を言いたいんだと思ってきただろう。単刀直入に言おう。

「不運とは、潜在的な印象操作」なのだ。


例えば同じ日に同じレベルの良い事と悪い事が起きたとしよう。
それらが過ぎ去り、寝支度を整え寝床に潜りそれらを思い出した時、どちらが先に出てくるだろう?

起きた順番や事の大きさは違えども、大体の場合は悪い事を引きずる事が多くないか?

起こる順番も関係ない。
先に「良い事」、後に「悪い事」が起きた場合事が大きければ大きいほど「悪い事」が頭に残り、逆の場合も「良い事」を素直に楽しめなくなる。

私の持論だが、「良い事」と「悪い事」は全て合わせると0になり、バランスが取られている。
要するに、生きてる限り運が良い・悪いは同じだけ存在するということだ。


だが一度不運だと思うと、人は悪い方向に引きずられ、その後の幸運を見つけられなくなる。

冒頭の占いの話じゃないが、1日の始まりの占いがとても良い結果なら、今日は一日いい日だと思ってしまう。

しかし、ひとたび不運が起こると占いを疑う。

「今日の占い良い結果だったはずなのに」とな。


人間の構造上、不運が誇大的に感じるのだ。


さて、不運に対しては対処法がある。
それは、「理解する」ことだ。

不運がこのようなものだと知り、理解をしておけば同じだけ存在する幸運を見つける余裕が生まれる。

つまり、ここまで読んでくれたのなら気づきと共に多少なりとも理解はしていただけたのではないかと思う。

私も不運や残念な経験が多いと感じていた。
しかし冷静になると、きちんと幸運も訪れていたのだ。不運とはその時直ぐに訪れるが、幸運は案外後から訪れるものなのかもしれない。


つい筆が乗ってしまい、長くなってしまった。
ここまでの黙読ありがとう。
是非、不運ばかりに目をやらず小さな幸せから見つけ、人生を豊かにしていってほしい。

さあ、いってらっしゃい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?