高識 命

誰かの生きる道標となりますように

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最近の記事

「私」の存在価値

やあ、おかえりなさい。 突然だが、「存在」とはなんだろうか? 有り体に言えば、この世界に生命を持ち続けている生き物や、認知されている物質に充てられる「認識化されているもの」と言ったところだ。そこに在ることそのものが存在である。 しかし私は疑問に思う。 「存在自体がヒト特有の物差しなのでは?」と。 ヒトという生き物は存在に対し、それに加えて価値を見出そうとする。 ヒトの個性や功績、物質の有用性や利便性等。 おそらく他の生き物には無い、ヒトの習性ではないかと思っている

    • 優しさの用法用量

      やあ、おかえりなさい。 私は幼少期、何かを育てることに熱中していた。 植物の種を蒔いては、川辺からカエルの卵を持ってきては、虫網でカブトムシやカマキリを捕まえ育てていた。 私はそれらをとても立派に育てたかった。それ故に水や餌を沢山与え毎日世話をしていた。 しかし、それはどれも長続きしなかった。 大人で博識を持つ今なら理解できるが、植物は大量の水分では根腐れし、昆虫やイキモノもそれぞれ適当な育て方がある。 それらを知らない幼少の私は、とにかく自分意思をイキモノに押し付

      • 「勉強」の大切さ

        やあ、おかえりなさい。 近頃は春の足音が聞こえては寒波が押し寄せを繰り返す、どこかのアトラクションのような天気が続いている。 人間の免疫は温度変化に敏感、身体を冷やさぬよう自愛が必要な時期だ。気をつけていかねば さて、前置きはここまで。今回の本題は 「勉強」をするのが如何に大切か である。 勉強と聞いて、嫌な思い出を持つものや拒絶反応を示す者もいるかもしれない。 だが、そんな者も是非読んで頂きたい内容だ。 そもそも、なぜ勉強が必要なのか。 もちろん社会で生きていく

        • 閑話休題

          やあ、おかえりなさい! 前回の投稿が多くの方に読まれていてとても嬉しいと同時に、たくさんのフォローを頂けたのでこの場を借りて感謝申し上げます。 いつもと文章の雰囲気が違うと思うかもしれませんが、普段の投稿はどうしても緊張感が必要な内容であったり、きちんとした表現で誰が読んでも等しく伝播するのを心がけています。 投稿前に添削や表現の正誤判定も何度も確認をしています。 そこまでする必要は無いかもしれませんが、それが私の世界観の表現だと思っています。 とは言え、堅苦しい内

        「私」の存在価値

          「生きる」とは

          やあ、おかえりなさい。 先日の初投稿が想像以上に閲覧されており、どの世界でも新参者には優しいものだと感じている。そんな私「高識 命」です。 「自殺しよう」 非常にセンシティブ且つ社会問題でもある。 私もそれに魅入られた友人、知人と関わる機会や、私自身も抱えた事のある悪魔の囁きだ。 そして中々、振り払えない心の叫びでもある。 これを読んでる者の中にはもしかすると考えたことのある者や関わりがあった事がある者もいるかもしれない。 現在も悩んでいる者もいるのかもしれない。

          「生きる」とは

          不運の正体

          やあ、おかえりなさい。 先程初回投稿を済ませた所だが、やはり文章を書くのは面白いなと気づかされた。 そんな今日の「高識 命」です。 「今日は運が悪い」 誰しもが一度は感じたことがあるだろう。 黒猫が前を通り過ぎる時、ニュースの終わりがけに流れる占い順位が低い時、決まってその日にトラブルが重なる時… こんなの可愛いものだって? 運が悪いと感じるならば、運が良いと感じることも必ずあるだろう。 ご褒美を貰える時、駄菓子屋でアタリを引く時、珍しいものを見た時… 大したことない

          不運の正体

          はじめに

          やあ、おかえりなさい。 とは言ってもここに来るのははじめましての者が多いだろう。 私の名前は「高識 命」 これは、私がこのノートを書く切っ掛けをくれた者の名だ。もしかすると見覚えのある者もいるかもしれないが、名のモチーフは機会があれば話すとしよう。 さて、ノートで私がしたいこと それは「人生についての気づき」である。 私は、いくつとは言わないが歳の割に非常に濃い人生を送っていると自負している。 それも悪い方向で、だ。 この世は人間で溢れている。人間が存在しているだ

          はじめに