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【思想】執着心、自尊心、向上心

自分が半ヒキコモリでネット社会の住人だった頃から現在までネットの世界でも、そして現実社会でも、執着心が強く他人を誹謗中傷することで自身の自尊心を満たし、自分の立ち位置を優位に立たせようと躍起になっている人を見かけることがあるけれど、足を引っ張られて貶められた人と相対的には上下関係が構築できでも、そもそも絶対的な自身の立ち位置は何も変わることなく、品位という意味では自身の価値を下げる愚鈍な行為だと思う。
それよりも、自身の能力等を伸ばす努力の方に尽力し自身の価値を向上させ、結果的に他者との相対的な上下関係を構築した方が建設的だと思う。
そもそも、自身の現状に満足していて自信があれば、他者の評価は気にならないし、他者を貶めてまで自身の評価を上げようとは思わない。
そんな浅はかな方法で自身の評価を上げようとしても、解る人には解るし、逆に評価を落とす結果になる。
他人を変えることは難しいけれど、自身を変えることは簡単で、自身を変えることで結果、他人も変わるのと同様に、自身が向上して変わってしまった方が早いし効果的。
他者を指摘するからには、自身にも厳しく努力を怠らず、他者に対してよりも自身に対しての厳しさの方が強い人にしか、他者を批判する権利はないと思う。
父が肺癌で倒れ長い闘病生活の時も、そして、自分が精神科通いの時もそうだったけれど、例え病院の先生の言葉や診断、治療方針であってもそれを鵜呑みにして何の疑問も持たず従うのではなく、あくまでプロのアドバイス程度に捉え、自身で学び改善に取り組まなければ、何事も快方に向かわない。
所詮、彼らはプロであっても自身が経験した実体験に根ざした情報提供をしている訳ではなく、教科書から学んだ知識をベースに診てきた患者から得た統計等から情報提供しているだけなので、参考にはなるけれど、それを鵜呑みにして何の疑いも持たないのは危険だと思う。

自分の身体のことは、自分が一番解っている。
父が生前、よく口にした言葉だった。
自分も精神科の先生並みに、病気や薬のことを勉強したし、先生に対し、勉強したことと自身を照らし合わせ、疑問をぶつけたり、時に自分に必要な薬を処方してもらうために情報操作をして、病院を利用していた。
要は、例えプロであっても自分のことを任せきってしまわず、自分で判断し快方に向けて努力しなければ、現状は変わらない。
現に、父は肺癌が発覚した時、ステージ3で余命数ヶ月と宣告されたのだが、自分の判断を基に積極的に先生に疑問をぶつけ、共に意見を闘わせながら十数年間存命した。
その間、煙草の量を減らすこともなく、入院時、病院にお酒を持ち込み、身体からアルコールが抜けている時間がないくらい浴びるほど呑んでいたけれど。

そして、大抵の人は何かしらに執着して生きているのだと思うけれど、もう自分は世の中の大抵のモノに対して執着を捨て、期待もしていない。
お金や社会的地位は勿論のこと、所属している国や社会、そして生(生きること)にも。
かといって、世の中に失望することはあっても、絶望している訳ではないので、もう自ら命を経とうとも思っていない。
とりあえず生かされている間は、この箱庭ゲームで抗ってみようと思っている。
そして所詮、他者は他者の価値観を軸に動いているので、自分の価値観で他者を動かそうとか、他者の価値観に従って自分も動こうなどとも思っていない。
勿論、自分が所属している箱庭の基本的なルールは守るけれど、個人的な価値観に関しては、違うと思えば、批判して自分の価値観を押し付けることもないし、押し付けられても右から左へと聞き流すようにしている。
例え、幾らお金を積まれても意志は変わらないし、従わないことによって自身の命を奪われる結果となったとしても、罪悪感や後悔を抱えながら生き残るよりも、潔く死を選択する。

命まで奪われる大事ではなかったけれど、以前入社した会社で試用期間のスタッフを自分を含め3人雇い、そこで競わせて使える人材を2人雇用すると聞いた瞬間、同期で入社した仲間と協力しながら仕事をしていこうと思って、一番最初に入社した自分がいろいろ情報整理をして資料を作ったり、積極的に仲間と情報交換の場を設けたりしていたのだけれど、仲間を蹴落としてまで自分が残って罪悪感を抱えながら働くことに耐えられないと思い、社長に指導者としての改善点をまとめた辞表を叩きつけて自ら身を引いた。
給与も安く勤務時間も不規則で肉体的にもハードで条件・環境的には最悪な会社だったけれど、動物を相手にする職種で毎日が充実していて、とてもやりがいのある楽しい仕事だったのだが。

ただ、他者に期待はしていないとは言え、信頼していない訳ではない。
別々の個体である以上、自分と価値観が違うのは当然のことなので、自分の期待通りに動く訳もないし、他者の期待通りに自分が動ける訳もない。
互いに違う価値観があっても、そこは尊重し合いつつ、同じベクトルの目的があれば、信頼関係のあるチームを組んで目的に向け取り組み、達成したら解散、それで良いと思う。
いつまでも馴れ合い等で一緒に居ても互いの成長には繋がらない。
最終的には、自分のスキルだけが頼りで、誰も助けてはくれない。
だって人間、所詮、自分が一番かわいいんだもの。
例え、他者の好意的な助言や指導であったとしても、最終的に決断し行動するのは自分であって、責任は自分に発生し、自分の手を汚すことによって、経験になり自身のスキルアップに繋がる。

そして、執着が苦を生む原因であって、そこから解放されれば楽になる。
お金が良い例で、執着するからどれだけあっても満足できず、更に増やそうと短絡的な手段に飛びついて騙され奪われる結果となったり、これ以上減らさないようにと不安になったりして、苦悩する。
大抵の人には死の恐怖があって死にたくないと生に執着する、それが動物の本能だと思うのだけれど、折角、人間として高い知能を与えられて生まれてきたのだから、死に対してポジティブな捉え方を出来るようになれば、もう少し快適な生活がおくれるようになると思う。
生物として生まれた以上、生まれた時から死に向かってカウントダウンは始まっていて、決して誰もそれに対して抗うことは出来ない。
それに、生:死は50%:50%の確率でいつ訪れるか解らない。
ならば、死に怯えて不快な生活をおくるよりも、死をポジティブに捉えて快適に生活をおくった方が賢明だと思う。
そして、いつか来る死に備えて、いつ死んでも後悔のないように毎日を充実させようと努力もできる。
臭いものに蓋をするかの如く死をタブー視するのは、最終的に逃れられないものから目を背けて現実逃避しているだけだと思う。
勿論、自分も死に伴う一時的な苦痛に対する不快感は抱いているけれど、死自体には恐怖心がない。
寧ろ、肯定的に捉えていて、微かな期待感すら抱いている。

そして、自身が体得したことだけれど、執着を捨てると、その対象が不思議と向こうから自身に向かってやって来る。
俗に言う「追えば逃げる、逃げれば追う」という恋愛における女性心理に似たものがあるように感じた。
だから、今自分が死ぬ理由もないし、生きなければならない理由が次々と湧いてきてしまっているので、生かされていると感じる。


2018.08.19

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