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おセンチメートルなつぶやき

いかに、長男を通していろんなものを見てきたか
考えてきたか、いまになって思う。
その34年間は、自分に軸が与えられたという意味で感謝なことだったし、
私が社会と対峙していく武器だと思った。
他の何ものでもなく、長男をフィルターにできることが、嬉しかった。
長男を通して社会を見ること、考えることは、長男のためにも、誰かのためにもなると信じてきた。

長男が4月に施設入所して、私はふわふわした。
どこへつかまったらいいんだろう。
つかまるところがない。
週1回、長男に面会できることがよりどころだった。
しかしもう、私の出る幕はない。
守られている姿を見ては、よかったな、と寂しくなって帰る。

長男は私の時計だった。居場所だった。空気だった。
私は今、それらと無関係になってしまった。
ただ写真を見ると胸が締め付けられる。
この笑顔にまた会える日があるのだろうか。
何なら、もう一度、連れて帰りたい。
「やっぱ、やーめた!」と。
また時間に追われて、小刻みに動いて、一日の終わりに大きなため息をつきたい。

まあ、言っても仕方のないことだとはわかる。
言いたい気持ちになるのもわかる。
だから誰にも言えない。言われても困る。
たくさんの家族がここを通るんだろう。

日がたつにつれて辛くなるのか。
こないだまでは、あれは、虚勢だったのか。
今ごろになって、涙が伝うのか。

ここに綴っておきます。
おセンチ置き場にしました。

だいじょぶです。
なんか美味しいもの食べれば治ります。

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