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水が溜まったり、「うわわわわぁっ!」だったりの話

(しかし、タイトルひどい(;'∀')


4年前くらいになるのか、長男が胸膜炎になって入院したことがあった。
高熱から、下がっても元気が出ず眠ってばかりいて、丸一日うとうとしていた。あのドタンバタンがないなんてと、不気味になった。
折よく、発熱の2日後が、胃ろうカテーテル交換の日だった。年に2回ある。消化器内科で、胃から出ているカテーテルを交換するのだ。ほんの30分ほどで終わる。

その日は熱は37度台になっていたので、予定通りに交換に行った。
消化器内科で待っていると、担当の医師が、前日からの熱について質問した。パルスオキシメーターを見ると数値がよくなく、念のためということで胸部レントゲンを撮影した。結果を待っていると、その医師がまたきて「肺に水が溜まっているかも知れないので、これからCT撮りましょう」となった。
ええ?肺に水?これがほんとの寝耳に水ってやつですかい?
とは言わなかったが、ほんとに寝耳に水で、思わぬ事態になっていた。
そして予想通り肺に水がかなり溜まり・・・どうりで大人しかったわけだ。
「呼吸器内科の先生にお願いしました。僕がとても信頼している先生です」と、よくわからないながらも、とっても安心するようなことを言ってくれた。
その日から即入院となった。

肺にドレーンという直径1センチほどの管を入れて、水を抜く。
ドレーンは胸から差し込むのだ。軽い手術みたいなものをして、長男の胸には、鎖骨の下あたりからドレーンがつながった。
ベッド下に設置した装置に水を溜めて行く。
透き通った黄色い液が溜まる。それは毎日捨てずにずっと溜めて行くらしい。(1か月の入院で、800㏄ほどになった)
それにしても、肺を包んでいる薄い胸膜という所によくもまあこんなに、水が溜まったものだ。時々は血液も混じっていたりした。

困ったのは、ずっと微熱が取れないことだった。
高熱になったり下がったりするが、なかなか平熱にはなってくれない。
「熱が下がらないということは、命が危ない場合もあります」と先生。
本人は苦しそうにしてはいないのだが、そうか、そんな状況なのかと、緊張した。水がなかなかスッキリ取れないので、もう1か所、ドレーンを差し込むことになった。

それでも、日が経つうちにだんだんと水の出てくる量が減り、熱も平熱になることが増えてきた。
ちょうど1ヵ月後、退院できたのだった。


その間、私は付添い生活だった。家と病室を毎日往復した。
簡易ベッドはきしんで嫌なので、床にマットと布団を敷いた。
個室のベッドからトイレの間の狭い通路に横になる。

退院が視野に入ってきたある日、時々右下の奥歯がうずくようになった。
歯茎が腫れたのか、かみしめると痛気持ちいいのでついかみしめる。
ある夜かみしめたとき、激痛が走った。体をこわばらせて「なんだこりゃ」と耐える。
そこから痛みが止まらなくなって、消灯前にドラッグストアへ。
その夜は鎮痛剤で耐えて、翌日、担当の看護師さんに訳を話して外出し、
行きつけの歯科に飛び込んだ。

奥歯の根が割れて、痛みが強くなったらしい。
痛いながらも気持ちいいからと、噛みしめすぎたせいだ。
もともと治療を予定していたが、長男の入院で延期になっていたものだった。
「歯と、砕けた根を取り出します。麻酔しますね」
歯の痛みと麻酔の痛み、どっちが勝つかなと思っていたがどっちも痛い。
「うーん、化膿していて、麻酔が効きませんね。どうしますか。
このまま閉じますか?」
ってアータ、本気で言ってます?
「いえいえ、痛いんです、お願いします」。

そこからが、まあ大げさに言えば、地獄であった。
パルスオキシメーターをつけられて、「あ、これは、相当痛いのくるな」と覚悟はした。それにしても、やるからにはやりますよ、的にガンガンくる。
私は椅子のひじ掛けを渾身の力で掴んで耐えた。
よくある「痛い時は手を挙げてください」なんて「なにそれ?」なのだ。
痛いでしょ~!!頑張ってねぇ~~!!
なのだった。

30分ほどの死闘?が終わり、私はホッとすると同時に
治療の椅子に横になった状態がどうしようもなく気持ちがわるくなってきた。
腰から下がむずむず、全部の細胞がウジ虫になって這い出そうとしているような、「うわわわわぁっ!」という感覚に襲われた。
じっとしていられない。
椅子に仰向けになったまま、脚を屈伸したり、足の指をぎゅっと縮めたりパッと開いたり、とにかく、治療の後の安静時間だったが動かないではいられなかった。腰から下の自分の体の形を確認するように、わやわやと迷い出ないように。
緊張が終わって、体が解放されたからなのか。
それはすごく不快な解放感だった。

歯科から長男の病室にもどる間、10分ほどの道のりを運転していると
効かなかった麻酔でも、解けてきて痛みは増すばかりだった。
頭までガンガンと痛かった。
何年も前に、ある妊婦さんが陣痛に耐えながら病院まで向かう途中、あまりの痛みのためコンクリートの壁にぶつかって、母子ともに亡くなってしまった悲惨な事故も思い出した。
痛みのせいで、判断力やハンドル操作も、コントロールできなくなる場合があるぞと気を確かに保った。

病室に戻ると、ちょうど担当の看護師さんが何かの処置に来ていた。
ありがとうの言葉もちゃんと言えないくらいに、ある種の放心状態で付き添い用の椅子に座った。ずっと顎を押さえて痛み止めが効いてくるのを待った。
1週間分のカロナール が終わる頃、痛みも引いた。


入院の付き添い中に自分が具合悪くなるって、本当に辛いものだ。
長男も「かーちゃん、なんかおかしいぞ」って思っていたかもしれない。
私が治るころ長男もベッドでバタンバタンと騒ぐくらいに回復し
ベッドで寝がえりしようとして体半分はみ出したり、危なくなってきた。
もう一刻も早く病室から逃げたい!と思ったのだった。



*長男が不調になるのは、3月から4月にかけてがダントツで多いです。
気切、胃ろうになった時も、その前後も肺炎で、それからこの胸膜炎で。
これからの時期、体調に気を付けてやらないとと、過去を振り返りました。
冬から春、体には一年中で一番負荷がかかると聞きました。
皆様もどうぞご自愛ください<(_ _)>

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