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【#老いラジ】“親を送る”ということ(ゲスト:フリーライター・永峰英太郎さん) *書き起こし版

▼このnoteはライブ配信「働くわたしたちと親の老い会議ラジオ」の書き起こしです。アーカイブ動画は↓こちら↓です

https://youtu.be/VIzaKLK8YSI


島影真奈美(以下、まなみ):本日も「働く私たちと親の老い会議ラジオ」(#老いラジ)を始めたいと思います。よろしくお願いします。今日はゲストに永峰英太郎さんをお迎えしてます。

永峰さんは「成年後見制度」や「70歳を過ぎた親が元気なうちに知っておきたいこと」など、親の老いや介護に関する本をご自身の経験をもとに、さまざまな切り口で書いてらっしゃるライターさんです。永峰さん、どうぞよろしくお願いします。

永峰英太郎(以下、ながみね) :よろしくお願いします。

まなみ:はい。今日のテーマですが、親しくない人はもちろん、親しい人にも聞きづらい「親を送るということ」という話題についていろいろ伺っていきたいと思います。

ながみね:ありがとうございます。よろしくお願いします。


まなみ:早速なんですけれども、永峰さんの「親を送る」の経緯、どういった感じでその場面に立ち会われたかについて、お話していただけますでしょうか。

ながみね:まず、うちのおふくろがガンになって、余命を伝えられた時、僕の場合は親父が認知症だったんです。やっぱり母親を送るということに関して、親父の存在があったので、その場になったらどうなるんだろうっていうすごい不安がありました。おふくろが亡くなったとき、親父は認知症で、しかも入院していた。そんな中で、どういうふうに送ればいいのか。要するに「葬儀」をどうするか。母親を送るということに関しては、最初の段階から、どうしよう……という思いがずっと頭の片隅にありました。

母親の余命宣告と父親の入院が重なる

まなみ:一番最初に「何か行動に移さなきゃ」と思ったタイミングでのご両親の状況としてはどのような感じだったんでしょうか。

ながみね:大前提でいうと、おふくろが亡くなる5~6年前に、親戚が亡くなったときに、葬儀ですごくあたふたしたと聞かされたんですよ。というのも、葬儀屋さんとか決めてなくて病院で亡くなったんだけど、病院の言われるままに葬儀屋さんを決めたら、(葬儀費用が)べらぼうに高かったと。そう飲みながら言っていたのが、僕の頭の中にずっと残っていて「だから何とかしないといけない」って。そういうことがあったので、何か事前に準備しておかなくちゃあかんのかなと思ってたんですよ。

それが実際問題、行動に移すというか、「やらなくてはいけない」と思ったのはやっぱり、おふくろが余命を伝えられて、親父もそのとき腰の圧迫骨折で入院していたという。それが重なって段階で、事前に準備しないといけないと思ったというのが出発点ですね。

まなみ:子どもの立場だと、両親のどちらかが亡くなった後、次は自分がいろいろなことを取り仕切らなくてはいけなくなる、となんとなくイメージしてる人が多い印象があります。でも、永峰さんの場合は、息子である永峰さんが取り仕切らざるを得ないということが、ある種わかっていたということですよね。

ながみね:そうですね。親父が喪主をできる状況ではなかったんで。うちは姉がいるんですけど、まあ、(喪主をやるのは)俺だよねって。僕の場合は親戚がどうのこうのとか、いろんなことが起こった中で「葬儀」について、どんなことが起こるんだろうって知っていたから行動ができた。 そこを知らないとある日、病院で亡くなって、そこから「葬儀どうするの?」という話に話になっちゃうと思うんです。それは多分、恐ろしいことなんじゃないかなと個人的には思いますね。

まなみ:「何の準備もしないで”その日”を迎えてしまうと、大変なことになる……」という話はよく聞きます。例えば病院で亡くなって、まだ何も決まっていないのに、本当に短い時間で、例えば「午前中いっぱいには出てっていただかないと困ります」と言われて、どこに!? という話になってしまったとか。

「亡くなりました」の直後に「葬儀社、手配されていますか?」

ながみね:うちのおふくろも親父もそうだったんですけど、亡くなったときに病院でまず言われるのは、「亡くなりました」の後に「(葬儀について)手配されていますか」って絶対聞かれるんですよ。要するに病院側からしてみれば、ここにもういられないですよ、と。「搬送」からもう葬儀は始まる。その搬送が何も手立てがないとき、当たり前ですけど、「2日待ってください」はあり得ないんですね。

病院側は「じゃあ、私達が今、提携結んでるところを紹介しますね」って言って、その提携先がどこかまで運んで、そのままその流れで葬儀屋さんを紹介されるという流れが多くなると思います。それはそれでいい、という人は別にいいと思うんです。

ただそうやって決めると、葬儀屋さんもやっぱりいい・悪いは結構ある。あんまりそこはおすすめは僕はできないなと思いますね。

まなみ:
選ばずに、その当日を迎えると、そこから選べと言われても、どうしたらいいかわらないですよね。

ながみね:それって、子ども側の気持ち的にすごい嫌な感じじゃないですか。何も決まってない。それよりは、おふくろが亡くなったら、ここに電話すれば、もうやってくれるんだっていう状況が整っていれば、すごくラク。だから僕の場合は余命がわかった段階で、インターネットで探して、決めていったという部分もありますね。

葬儀社候補は「地名 葬儀」でネット検索


まなみ:
インターネットで探すとき、どういう風にされました?

ながみね:うちのおふくろが昔から口癖のように「あんまり派手に葬式なんかしたくない」と言っていた記憶がなんとなくあったんです。あと、うちのおふくろは地元でPTAや青少年なんとか活動、そういったことを取り組んできた人なので、ご葬儀は地元の所沢、「お金をかけたくない」と言っていたので公営でいいなと。

そう決めて、インターネットで調べたたところ、自分たちの範囲みたいなのを言っているところがあったので「所沢 葬儀」と入れたら、いくつか上がってきた。そこでメールして、そうすると葬儀屋さんもやっぱりここら辺はもう手慣れてるというか、すぐにパンフレットは届いて。「家族葬」「一般葬」含めていろいろな値段の一覧を出してくれて。2~3社だったと思うんですけど、やり取りをして、自分の中でいいなと思うところを絞っていったっていうところですね。

まなみ:そのときのやり取りはメールと電話って感じですか?

ながみね:メールと電話です。僕が決めたところは、担当者が1人で、電話した時点で「この人を担当にさせます」みたいに書いてあって。その人とやり取りして、僕が実は「お葬儀なんてやったことがないんで全然わからないんです」と話をしたら「当たり前です」と。

「慣れる人はいないので、そこはプロである私に任せてください」みたいなことを言ってくれてね。やり取りの中でね、「この人いいんじゃん」みたいな感じがあって。これは自分の中で大きかったですね。「この人でいいかな」と思った時点で何かホント肩の荷が下りて。とりあえず、もうおふくろと親父を看病するだけでいいんだ、みたいな感じになった。「葬儀はとりあえず置いとこう」みたいな。もう悩まないみたいな感じだったんで、それが自分の中では大きかったかなと思いますね。

葬儀社の違いはわからない⁉

まなみ:よく雑誌で「葬儀社も複数見積もりを取りましょう」「下見をしましょう」とか書いてあるけど、まったく初めてだと違いってわかるのかな? 

ながみね:わかんないですよね。

まなみ:でも一方で、永峰さんがおっしゃってたみたいに、やり取りする中で「この人だったら最後を任せてもいい」という何か違いのようなものが見えてくる。

ながみね:なんでもそうだと思うんですけど、やっぱり人とサービスがあって。製品があっても、その人たちとやり取りの中で「良さ」ってやっぱ見えてくると思うから。

そこは大事なんじゃないですか。やり取りの中ですごいつっけんどんだったり、適当だったりすれば、これはやっぱりお葬式のときもそうなるじゃんみたいな感じで。わかんないですけどね。僕はやっぱりそこでやり取りした中で、「この人はいいんじゃね」みたいな感じだったんで、もう悩まなかったです。とりあえず「葬儀をやる」ということに関してはここにおまかせしようというのを決めましたね。

まなみ:なるほど。そうすると万が一のことがあったら、この人に連絡すれば、あとのことは教えてもらえる。そういう状態になるってことですよね。

ながみね:去年、うちの親父が亡くなったときも、結局おふくろの葬儀をやったところでやったんですね。良かったので。この人なら安心だっていうのがわかってて、親父のときはすごくラクだったんですけど。

やっぱり親父が亡くなって,、「亡くなりました」って言われて。その前にもちろん連絡入れといたんですけど、病院側からどうのこうのと言われたときに、僕はすぐ(葬儀社の担当者に)電話して、30分後には式をいつやるか、すべて決められたので。そういうラクさはありますよね。

まなみ:お父様のときはお母様のときの経験もあるし、一度一緒にそのお葬儀を取り仕切ったことがあるのであれですけど、お母さまのときってそのあたりってどうでしたか?

人気の「家族葬」。思わぬデメリットも


ながみね:まず、僕の本でも結構書いていいて、みんなそうだと思うんですけど、「家族葬」にしようとすると思うんですよ。要するに、身内だけの葬儀にしようとする。みんなそればそう思うのは当たり前で、面倒だし、いろいろ来てもらってもな~~みたいな感じになりやすい。

家族葬は安いですしね。まあ、親戚が来てもそのぐらいでいいよねっていう風にずっと思っていた。見積もりの段階でも「一般葬」なんての全然見ないで、「家族葬儀」だけ見て「これ、いいじゃん」みたいな感じでやってたんです。

もちろん家族葬にもいろいろあって、身内だけじゃない家族葬もあります。当初うちは身内や親戚、あとはごくごく親しい人たちが来る20~30人規模の家族葬を予定してたんです。

でも、おふくろの場合はお見舞に来る人数が結構多くて。姉か誰かに「(家族葬だとすると)この人たち来られなくなっちゃうわよね」と言われたときにハッと思い、それはマズいだろうという感じになって、その時点で家族葬をやめ、一般葬に切り替えました。

これは自分の中でも「よくやった」という話で実際、葬儀にはすごい人数の方に来ていただきました。それを考えると、「家族葬だけ」を選択するのは、結構危険な行為なのかなと、個人的には思いますね。

まなみ:私も年上のお友達から聞いた話なんですが、古くからの付き合いの友人が亡くなったけれど、家族葬だったので最後のお別れできなかったと。ご主人が喪主だったんだけれど、亡くなった方とはお付き合いがあったけど、ご主人の方は知らなくて。本当はお線香をあげに行きたい。でもご自宅に行くのはちょっとあれかな……と迷っていて、お別れができていないという、何か後悔みたいな話って、結構聞いたりもします。

葬儀は今まで世話になった人たちのためにやるもの


ながみね:葬儀って家族や親戚のために行うものではなく、今までお世話になった人たちのためにやるもんだと、痛感しました。それらをすべてとっぱらって家族葬にするということは、お世話になった人たちをないがしろにすることになるということは覚えておいたほうがいいと思います。

もちろんそれでも家族葬にするという選択もありだと思います。それは選択すればいい。でも、そこを考えておかないと、やっぱ後で「行きたかったのに……」とか、そうなってしまう。

昨年、親父の葬儀をしたときは、高校時代のお友達が来てくださったんですよ。それもやっぱり一般葬でやったおかげで、いろんな人から聞いてきてくれたので、やっぱそういう人たちのためにお葬儀ってもしかしたらあるのかなという。なので僕は、最近やたら家族葬が出るんですけど、ちょっと違うんじゃないかなっていう感じは持ってはいますね。

まなみ:「家族葬」ってそもそも、定義もそんなにはっきりはしてないんですよね。

ながみね:定義的にはね、もうちょっと「何人ぐらいの規模」とかそういう選択をするなら問題ないと思うんですけど。あんまりそれに絞って「身内だけでやります」とかね。よく芸能人が「密葬しました」とか言うけど。もし、親がそういう感じにやりたいと言えばいいんですよ、そこは事前の話になっちゃうけど。

うちのおふくろが「派手にやらなくていい」とか、地元でどうのこうのと言ってた部分もそうなんですけど、おふくろが「あんたたちだけやればいいから」って言っていたら、多分何の迷いもないですし、もし誰かが言ってきたら「いやこれ、お母さんがの遺言なんです」って言えば済む問題だと思います。でも、そうではない場合は一般葬の方がいいんじゃないかと思うんですね。

まなみ:子ども世代が葬儀の手間をなるべく小さくするために、少人数のほうがいいだろうって家族葬にしたら、それ以降1年近く、弔問客がひっきりなしにやってきて大変だという話も聞きますね。

ながみね:結局、家族葬はね、後でお別れ会をやるっていう一つのルールみたいな決め事がある。みんなはやってないと思うんですけど、一応そういう
いろいろ決め事があるんですよ。僕も何か勉強したときに、それが書いてあったんですよ。葬儀終わった後にもう1回どこか会場借りて、お別れ会をやるってはっきり言って面倒じゃないですか。

まなみ:ですよね。

ながみね:だったら一発で終わらせてしまって。あとね、ホントこれすごいアレなんですけど、一般葬にするとけっこう、香典が届くんですよ。おふくろの場合、いっぱい来たので葬儀費用をチャラにできるぐらいだった。葬儀ってそういう面もあるのかという。皆さん来てお寿司食べて盛り上がってる中に行くわけですよ。ビールとか持ってね、「長男です」みたいな感じで挨拶する。

でもそれも、楽しいといえば、楽しい。「生前、あなたのお母さんはこうだったのよ」といろいろ話してもらえたりね。おふくろの葬儀のときなんか号泣してる女性もいて。「どうもありがとうございます」って言ったら、「お世話になったんですよ」って。なんかそういう部分もあるんで、結構いいんじゃないかなと僕は思いますけどね。

まなみ:確かに冠婚葬祭って、なんかオリジナルでやろうと思うと、かえって手間が増えて、昔ながらのオーソドックスなやり方をしたほうがラクだったりもする。ある種のこのフォーマットに則って、みんなで喜びや悲しみやらを共有できるよくできた仕組みではあるっていうところもありますもんね。

ながみね:本当そう思います。自分でちゃんと選択肢を考えることが重要。あんまり何も考えずに家族葬っていうのはやめた方がいいかなと思いますね。

いちばん苦労したのは「遺影」選び

まなみ:ちなみに、実際にお母さんが亡くなって、これから葬儀の準備ですっていう場面になったとき、経験されたことは想定通りでした?

ながみね:まさに想定通りだったんですけど、基本的にはおまかせなんです。もちろん子供たちが揃えなくちゃいけないものはもちろんありますよ。一番苦労したのは「遺影」です。なんでかっていうと、うちのお袋は本当に元気いっぱいの女性で、もう自分が100歳ぐらいまで生きるみたいな感じの人で、僕もそう思ってた。突然の病だったので、彼女自身も多分すごいしっかりしてる人なので、元気で80代になっていたら多分、全部事前に「こういう風にしなさい」ってリストは出してたと思う。

そういうのはなかったんで、もちろん遺影なんてあるわけがなくて。やっぱりね、年を取ってくると写真も撮らない。唯一、亡くなる1年ぐらい前にみんなでスマホで撮った写真を、お袋の部分をアップにしてもらって……。それは葬儀屋さんがやってくれるんですけど、 やっぱり苦労する人は苦労する。あんまり若いときのやつも変だし。かといって、病気で具合が悪いときのような写真もダメだろうし。

そこはね、何か子供たちが帰省したときとかに何かみんなの写真を撮っておいてもいいと思います。

まなみ:母様の気持ちとしても、多分それが5年後、10年後であれば、そろそろかなって、自分も何か考えて、子どもたちに「この写真使ってね」とか準備する時期が来たかもしれない。でも、その前に病気があったから準備する間もなく……ということですよね。

ながみね:今は自治体でも80代になると遺影写真を撮るような試みも始まっているみたいですね。うちのおふくろも、もう少し生きてればそういう選択をしていたのかもしれない。でも、その当時はしてなかったし、やっぱりそれは自分たちでそろえなくてはいけないので。

遺影ってけっこう大事で、みんな遺影を見ながら食事をしたりするじゃないですか。けっこう重要なんだなって。たまたま僕が撮った写真はいい笑顔だったので、みんなから「お母さん、いい笑顔だね」「こういう顔だったよね」と言われたので、よかったのかなと思います。

まなみ:確かに(遺影を)見る時間も結構長いですもんね。

ながみね:うん。俺も自分自身が今、お葬儀を思い出したら、なんか遺影が一番、脳裏に浮かびますよ。結構重要なんじゃないかなと思いますけどね。

まなみ:そうですね、私も自分の祖母の遺影が、私の結婚式に来てくれたときの写真を使ったので、すごくおめかしをしてる「晴れの日」という感じの写真だったので、親戚の人たちにも「ああ、いい写真だね」って言ってもらえた。普段そんなおしゃれとかしないおばあちゃんだったんですけど、晴れの日っぽい写真が使えてよかったと後で母親に言われたりもした。遺影って加工したりもするので、(葬儀社さんに)早く出さなきゃいけないし、家族もせっつかれて大変なんだみたいな話もしてました。

ながみね:ちょっと余談なんですけど、僕に文章を教えてくれた師匠みたい人が2~3年ぐらい前亡くなったんですけど、すごい人で、もう遺影からBGMまで全部自分で何か自分で作ってるんですよ。あとよく葬儀で展示されている「思い出コーナー」みたいなものとか自分で全部作っている。

夕刊紙の記者時代の上司で、すごい人なんですけど。BGMも「スーダラ節」みたいなのがずっとかかってる。さすがだなと改めて尊敬しました。その人はやっぱり、遺影とかもちゃんと自分で揃えていた人だったんですね。

まなみ:自分自身で全部プロデューされたってことですよね。

葬儀準備の頻出質問「BGMどうしますか?」

ながみね:あと、葬儀屋から聞かれるのは、BGMなんですよ。「BGMどうしますか?」みたいな感じで言われて、まあ、どうしようって言われてもね(笑)。うちの親父の場合は文化放送のアナウンサーだったので、亡くなったときに文化放送の友達に電話しました。親父の「夕焼けワイド」っていう昭和の時代のいい番組だったんですけど、そのときの音源がないかなと相談して。最終回かな、BGMをもらってずっと流してたんですよね。それはねすごい良かった。

まなみ:すごい! 素敵ですね。

ながみね:葬儀には文化放送の方も来ていただいて、みんなでそれを聞いて「こういう声だったよね」という感じで盛り上がったので、それはホントよかったですね。結構そういう事前準備でやっぱり遺影とBGMは大事ですね。

まなみ:お母さんのときどうされたんですか?

ながみね:おふくろのときはね、もうそんなもちろんそんなこと何もない。全部任せました。

まなみ:「良きようにやってください」って言えば葬儀屋さんがうまくまとめてくれる?

ながみね:そうですそうです。涙をなんか頂戴するような、さびしげなものとか、それをやってくれます。

まなみ:定番のものがあるわけですね。BGMかぁ……。

ながみね:うん、そうなんですよ。BGMはね、結構ありますね。あとは喪主は親父なんですけど、おふくろのときはやっぱり息子さんなんで、こういうことをしゃべってください、こういうことを用意しておいてくださいとか言われる。事前に練習して、車の中で「皆様ありがとうございます」と練習したりしましたね。

まなみ:なるほど。例えば、親がどういう音楽を好きだったのか、クラシックかジャズなのかみたいなレベルでも意外と知らなかったりしますよね。
結構困りそう。

ながみね:知ってるといいと本当に思いますね。親父の場合はそうやって文化放送時代の音源を流したんですけど、もう一つ候補に挙がったのは、フリオ・イグレシアス。うちの親父が好きだったんですよ。

知っていれば、そういうようなことが最後にできる。葬儀で送る中で、そういったものも考えられたりするっていうのは、何か自分の振り返りというか、親孝行じゃないですけど、結構楽しくやれたかな。

お母さんときはまだそんな余裕ないんですけど。親父のときはもうおふくろも送ったし、親父もいろいろ苦労してたので、お母さんのもとに行けるんだなっていう。「よかったね、お父さん」という雰囲気の中だったんで、自分の中ではもう、いろいろ遊んじゃうみたいな感じはありましたよね。

まなみ:確かにちょっと、なんか「やっとまた夫婦で会えるね」っていう、気持ちもやっぱり生まれますもんね。

ながみね:そう思います。本当に。

認知症がある親の葬儀参列をどうするか。


まなみ:ちなみにお母様が亡くなったとき、お父様の参列はどうされたんですか?

ながみね:1日だけ連れて行きました。僕と姉は動けないので親戚の人にお願いして。ストレッチャーに乗せて車椅子で参列するっていうのは、親戚のお兄さんにお願いして「全然いいよ」ってやってくれて。おふくろを見て「ありがとう」と叫んでた。やっぱり、2日間はちょっと無理だったので仕方がないかなと。

まなみ:うちもそれこそ、義理の父と母が両方とも認知症があって、特に母の方が少し父よりも進んでいるんですね。年齢的には義理の父の方が三つ年上なので、順番通りにいけば、たぶん、父のほうが先なのかなって。

やっぱりもしものことがあったときに、きちんとお別れをできる場があるといいなと思う気持ちと、やっぱりその認知症との兼ね合いでどれぐらい何ができるんだろうなっていうのはすごく気がかりなことだったりはして。あとやっぱりあのお葬儀でも、葬儀の場所と焼き場とのその距離がすごく遠かったりもするので、その辺りどうされたのかなって思ったんですけど。

ながみね:僕の場合は(葬儀の場所が)公営だったので、一体型だったんですよ。自分の中で(火葬場まで移動する)バスが面倒だなってずっと思ってたので。そこはね、決め手ではないですけど、一体型のほうがいいなと思ってやったのは事実。すごいラクでした。

まなみ:そっか! これまでに参列したことがある葬儀での経験から移動距離が長いの大変だなっていう。

ながみね:親戚の不幸があって……というとき、バスに乗るケースが多かったんですよ。バス乗って行くのって、なんかみんな面倒くさそうと感じだったし、自分自身もね。あんまりよくわかってなかったんですけど、いろんな仕組みがあるんですよね。所沢は公営のところで、葬儀場も火葬場も一緒だったということを見積もりしてる段階で知ったので、いいじゃんみたいな感じでしたね。

まなみ:そっか! 自分があまり葬儀に行ったことがないとホント、大変なこととか、負担になることも知らなかったりしますよね。

「お坊さんどうしますか?」とお墓問題



ながみね:そうだ、葬儀屋さんに頼まれることがもうひとつありました。「お坊さん」ですね。「お坊さんをお願いしておいてください」と言われるんですけど、お坊さん……? と思うわけですよ。僕の場合はこれ、お墓問題になってくるんですけど、その時点で「おふくろって、どこのお墓に入るんだ?」って。そのときになって初めて気が付いたところがあって。

おふくろは普通に考えれば、親父のところのお墓に入るんだって感じで認識してたんですけど。ただ、母方の親戚から「英太郎、それちょっと無理じゃない」って言われて。親父は6人兄弟の末っ子なんですよ。しかも、うちの親父のおふくろさんは二人目、というか最初のお母さんが亡くなられた後の子供なんですよ。なので、入れないでしょうって言われて、「マジ? 入れないの??」と。

お墓を管理してる親戚に聞いたら「永峰家は全員ウェルカムですよ。誰でも入れますよ」と言われて、ああよかったと。明大前にある本願寺に電話して、お坊さん頼んで葬儀をやりました。そこでもう一つ、葬儀屋さんとのやりとりで「お坊さんのお金、どうしたらいいですかね」と聞いたら、「それは気持ちになってくるんですよ」と言われて。気持ち……? と。

まなみ:「お気持ち問題」難しいやつだ(笑)

ながみね:ただもうその時、親父のこともあって、もう悩むのがイヤだったので、聞くしかないと。お寺さんに電話したら、そこはちゃんと値段を言うところだったんですよ。具体に言うと、30万円でした。「たっけぇーな!」と思ったんですけど(笑)、それで普通に進んでいった。だから、やっぱり自分の親が果たしてお墓入れるのか、とか。はい。しかも最近は「お父さんと一緒のお墓に入るのはイヤ」みたいなケースもあるじゃないですか。

うちのおふくろは親父とも仲良かったし、生きてるときにね、何かで聞いたんですけど「母方のお墓には入りたくない」って言ってたのを聞いた記憶があるんですよ。人によってね、事情が違うと思うので、僕の場合はたまたまそうやって入れることになって、お坊さんも手配できたので問題なかったですけど、そこはやっぱり知っておいた方がいいポイントなのかもしれないですね。

まなみ:親戚づきあいだったり、葬儀があったときに顔を出しておけば、話が聞こえてきたり、「あのおじさんに聞けばいいんだ」というのがわかってくるかもしれないけど、それがまったくないと大変そうですね。

ながみね:それはありますね。ホント、葬儀の仕方もルールもその土地によって全然違うので、そこら辺やっぱり認識はしておいた方が何かといいんじゃないかと思います。

葬儀には風習やローカルルールがつきもの

まなみ:葬儀はかなりローカルルールがありますよね。私も自分の祖母の葬儀のときにすごくびっくりしたのが、静岡なんですけど、亡くなった人が90歳過ぎてると「長寿銭」を配るんですよ。あの長生きしてよかったねって、5円をポチ袋に入れて配る。皆さん長生きにご縁がありますようにって。 みんなで、よかったね、大往生だね、あやかりたいみたいなノリで。

ながみね:やっぱりその土地土地の風習があったり、いろんなことがあると思うので、そこは確認までいかなくても、いろいろと知っておいた方がのちのちいいんじゃないかなと思いますね。

おふくろが亡くなったとき、1日だけ家に連れて帰ったんですよ。亡くなったら1日だけ実家に来て、そのまま、葬儀屋さんは1回帰って、次の日の朝にもう1回来てくださって、そこで打ち合わせをして。その後、火葬場に送ってちょっと保管する感じだったんです。ご近所さんがけっこう仲良かったので、その連れて帰った夜に来てくれる可能性も高かったのでそうしたんですよ。

結局、いっぱい来てくださって、それはすごい良かったなと思います。それもやっぱり事前に葬儀屋さんと打ち合わせしてる段階で話が出てくるんですよ。「どうしますか?」みたいなね。直接、安置所に行きますか、それとも家の方に1回どうのこうのですか、と。そういう仕組みもなんとなくは知ってましたけど、はい、でもあんまり具体的には知らないんで、やっぱりそういうのを決めとくと、結構いいんじゃないかなと。

そうするとやっぱり家で1日は過ごすというのも、いい思い出になるので。親父の場合はもうそれはやんなかったんですけど、実家も片付けていた部分もあったので。

まなみ:お家に戻る場合って、病院から一旦そのお家に安置して、その間って誰か家族がついてるって感じなんですか?

ながみね:うちは嫁さんと僕で実家に過ごして、次の日の朝に親戚が来て最後のお別れをして、そのまま、安置所に移動し、何日か後に葬儀という流れです。 このあたりのことはプロの方たちが打ち合わせの段階で言ってくれるので、その流れに乗るだけなんです。

まなみ: そこはやはり、事前に相談してるからこそ、ですよね。直接、安置するところに行くのか、1~2日は自宅で過ごして最後のお別れをするのか、考える時間をとれますよね。

葬儀はいつやるのがベストか?

ながみね:そうですね。あと葬儀屋に言われたのが「お葬式をいつやるか?」っていう問題がけっこうあって、何日後にやるのかっていう話があって。葬儀屋さんに確か言われたんだと思うんですけど、「結構、開けた方がいいときもありますよ」って。要するに、2~3日後に葬儀をやるより、例えば「1週間後の土日」にしたほうが、いろんな手続きがあるのでそういう時間を取った方がゆったりできますよ、と。なので、うちの場合は結構、時間をとったんですよ。その間に市役所に行っていろいろ手続きをやったんです。

時間があったので、心穏やかにできたっていうのは事実だと思います。だから、すぐにやる必要ないんじゃないかなと。今のそういう、保管もちゃんとしているので。

まなみ:葬儀のお知らせとかを受けても、どれぐらい直後なのかとか、間が空いたのかって実はそんなに知らないまま、参列をしてたりしますもんね。永峰さんのとき、どれぐらいでしたか?

ながみね:1週間ぐらいかな。親父に関して言うと、亡くなったのが3月29日。葬儀はその1週間後なんですよ。それはもちろん空いてなかったとかもあるんです。土日にやらないといけないとかいろいろあるので、それだけスパンが空いたんですけど。それぐらい開いた方がいろいろ準備できる。さっき言った、遺影やBGMの手配もそうだし、お坊さんを頼むとか。そういういろんな手配って、その間に絶対やることになるので。

親父のときも、おふくろのときも2日間ぐらいは普通に仕事してたんです。それぐらい余裕ができるというか。そんな悪くない選択なのかなと僕は個人的に思います。

切羽詰まってやるよりも、無理して平日にガーッとやっちゃわなくてもいいのかなって。そのあたりはどなたが来てくれるかって考えて。親父の場合はやっぱり仕事関係の人が多いだろうなというのもあって、土日がいいかなと思って。

まなみ:そういうこともホント、経験しないとわからないことですね。悲しむ部分と雑務に追われる部分と、やらなきゃいけないこともたくさんあって、てんてこ舞いになる時期なんだなあって。

ながみね:市役所とかいくと「死後にやるべきこと」一覧表があって、一つ一つクリアしていくんですけど、それが一番面倒なんですよ。亡くなった本人はやれなくて、子どもや配偶者がやらなくてはいけない。決してアウトソーシングできない話なんで。それ考えると、葬儀をちゃんとやっておけば、そっちに力を注げるし、いいんじゃないかな。

エンディングノートは親の性格次第


まなみ:永峰さん、エンディングノートってどう思われますか? 先ほど、お母様がもうちょっとその時間があれば、そういう準備とかをやって渡したかもしれなかったけどって話があったと思うんです。基本的には永峰さんがお父さんお母さんの性格とか、そういうのを考えながら選択された?

ながみね:僕の場合は準備もできなかったというか、いろんな事態が突然来たので、本当にもし事前に知っていたらな……と思うことが本当にいっぱいあって。だからこそ、本にも書いたんですけど、やっぱりね、親の銀行の暗証番号を知っておくってもう絶対だと思う。そうしないと大変なことが起こって結局行き着く先は僕みたいに、成年後見人がどうこうとか、いろんなことがある。「これ、知っておいた方がいいよね」という情報はある程度、把握する努力はしたほうがいいと思います。

ただ、エンディングノートはどうかって考えると、性格の問題だと思います。多分、うちのおふくろが元気で80代を迎えたら、もしかしたらやってたかなと思うけど。一つ一つ自分が知っておきたい情報を何とか聞き出す。親が元気なうちに聞く。そうすれば、親も察してくれると思うし、聞いておけばラクになる。エンディングノートも性格上、書いてくれそうだったらお願いしてもいいですし、書いてくれそうもなかったら、帰省した段階に聞く。

親の交友関係、ご存じですか?


ぶっちゃけ言うとね、親の交友関係も知るわけないので、これ知っておくと、お葬式とか誰が来るとか誰を呼ぶとか、すごく有効になる。結局亡くなって1年後とかにも、うちのおふくろにいまだに年賀状が届いてたんです。ということは、その人に知らせてなかったっていう事実だと思います。最近思うんですけど、Facebookとかでね、亡くなった人のFacebookは残っていて、誕生日に普通に生きてると思って「おめでとうございます」って書いて人っているじゃないですか。その人は別に親しくないんだと思うんですけど。何かそういった部分を子供たちが知りたいなと思ってることは、はい、できる限りに聞いて、親が「言いたくない」って言ったら、そういう感じでやっていけばいいと思います。

エンディングノート、どうでしょう?

僕もね、「暗証番号を聞きましょう」みたいな本を作ったとき、結構言われたんですよ。「聞けるわけない」とかね。でも、聞いた方がいいんですよ。自分たちが、親も含めて「言いたくない」「聞きたくない」という選択をしたなら、覚悟が生まれるから、何かあっても「自分がそうしたんだから」と後悔しなくてすむ。聞けるものは聞いてほしいと思います。

まなみ:「教えたくない」というのも、意思表示ですからね。

ながみね:そうなんですよ。それってすごく大事。すべてそうだと思います。「もう任せた」って言えば、任せたんだねって意思表示だと思うので。それは否定ではなく、任せてくれたんだねって。「お前にお金のどうのこうのは教えたくない」っていうなら、そういう感じの親子関係なので、覚悟しておけばいいと僕は思いますね。

まなみ:はい。一旦聞いてみないことには始まらないというか。きっと嫌がるだろうと思ってた親がもしかしたらベラベラ教えてくれるかもしれないし(笑)

ながみね:みんな僕の周りで聞いたって言う人って、そんな感じでしたよ。親も察してくれて、いろいろ話してくれたって。ホントいろいろな情報が得られていると、ラクですから。絶対おすすめしますけどね。

盲点になりやすい「生命保険」

まなみ:もうひとつ、チャットに書いていただいているコメントが、突然お父様が他界されて。事前に親が暗証番号とか生命保険のことなんかを話してくれてるかどうかっていうところってすごく大きなところになりそうですね、と。

ながみね:生命保険ってね、たしか2年で時効という有効期限あるんですよ。保険はだから、そこら辺はやっておいた方がいいと思いますね。私の大学の後輩がまさに生命保険で今苦労していて。その内容って、保険の受取人が認知症なんですよ。例えばお父様が亡くなってはい、受取人がお母様になっていて、そのお母様が認知症だとするじゃないすか。

そうなると大変なんですよ。生命保険会社がやってくれない。「成年後見を立ててください」と言い始める。生命保険は親子関係が良ければ、ですけど、受取人は子どもにしたほうが絶対にいい。たいてい親同士になっているんですよ。それやると、特に日本の生命保険会社は本当に払いたくないと思っているので、片方が認知症になっちゃうと、簡単におろせなくなる。

月3~4万円はらっていても払い損になる。とにかく早いうちに手を打って、認知症の気配があるなと思ったら、受取人を子どもに変えておくとかね。メール一つで済むので。

まなみ:生命保険が本当に必要なのか、という話もありますよね。今コメントをいただいている「家族信託」の話はまた別の機会に。

ながみね:一言だけ言うなら家族信託はいいと思います。

まなみ:永峰さんは家族信託推し(笑)

ながみね:はい。

まなみ:ちょっとこれはまた深堀していきたいテーマとして、宿題にさせていただければと思います。


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