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くるくるぱーまがかわいいんだぜ

 本をいっぱい買って読み始めた、旅行のために飛行機を予約した、またぜったい食べたいと思ったくらいにおいしいラーメンを食べた、ポートレート写真を撮ってレタッチもした、アニメはどちらかというと興味がないのだけれど同僚がおもしろいと言っていた葬送のフリーレンをみた、もうすぐクリスマスなので家でクリスマスソングを流し始めた、先々週と先週のことだ。
 今日、午前中に起きて散歩をした、洗い物をした、部屋の掃除をした、ゴミ出しをした、恵比寿から中目黒まで歩く途中のお店で、また食べたいと思っていたかもしれないマフィンを食べた、やっぱりおいしくて嬉しかった、久しぶりにくるくるぱーまをかけた、銭湯に行って大きいお風呂に足をのばして浸かった、しばらく続けているスクワットを今日もできた。
 いよいよ若者ではない年齢になっていて、今までと同じように好きな服を着たり好きな髪にしたりするの、じぶんらしくいるのが最高だよと口では言えるけれど、実際のところ不安なんですよねと美容師さんにこぼした。不安なんだけれど、結局のところじぶんらしくいるのが最高だよねとなった。
 じぶんらしくいるっていうのは、若いころのじぶんに縋っているのか、いまのじぶんを好きでいるのかで話が全く変わってくるけど、それも本人が幸せであればどちらでもよくて、ただぼくはいまのぼくを好きでいたいなと思った。この先必ず来る老いを愛おしく思えるだろうか、若さや老いはどちらも価値だ。いまはまだ不安だけれど、うまいこと付き合っていくだろうと思う。少し脱線してしまった。いや脱線とかない、すべて大事だ。
 じぶんのしたいと思ったことを実際に行動にうつすっていうのはとてつもなく労力のいるものだ。やりたいことをやる、が躊躇わずできる時期がぼくにもあった、意思決定を苦に思わなかった。なにかをした結果が良くても悪くてもなにも気にしなかった、経験自体がじぶんにとって嬉しかった。ここ数年で徐々に力がなくなってきて、数ヵ月前についに力が尽きた。目眩とか離人感とか頭痛とか胃痛とか、焦点があわなくなったり音や光に敏感になったり味覚や嗅覚がおかしくなったり、全然じぶんの体調がコントロールできなくて、ぼくの体がぼくのものじゃないみたいになった、精神面も同じだった。
 さりとて戸惑っているだけでは先に進めないので、関連しそうな病院にかかってみたり通ってる精神内科の先生に相談したり、転職活動を始めてみたり会社が提携しているカウンセリングを受けてみたり友人に相談したり、まさかの母に電話してみたり、思いつくだけのありとあらゆる助けを求めた。
 書いてて思ったけれど、そういえばそのときの気持ちをここに書き殴ってたみたいだ。やさしいコメントに助けられたことは忘れられないけど、記事を書いたときのリアルタイムの気持ちはほとんど記憶がなくて、だいぶまいってた時期だったんだと思います。

 じぶんのしたいと思ったことを実際に行動にうつすっていうのはとてつもなく労力のいると言ったけど、たしかにそれはそうだけど、それでもどうもやっぱりこれが自己の肯定や自信につながる。先週か先々週くらいから少しずつ始めて、今日は小さいことだけどぼくはぼくのためにいろんなことを決めていろんなことをやった。えらい。じぶんらしくいられた。えらい。ぼくがぼくをご機嫌にした。えらい。
 たとえばいまぼくのHPが赤色のぴこんぴこん状態だとして、一日のトータルがプラスの日がたくさん積もれば、いつの間にか緑色になってることになる。あるその日はプラスになるかもしれないしマイナスになるかもしれないけど、最終的に元気がたまるといいね。

 そういえば読みかけだけれども本を読んだ、専ら仕事のために読み始めたんだけど、私生活でもあてはまるよなと思って、ぼくが解決できない問題はぼくの課題じゃないとした方がいいみたいだ。それでもぼやぼや考えちゃうことがあるんだよねと友人に話したら、考えちゃうのは仕方ないから考えちゃっていいよ、思い浮かんだときは「それはおいといて、」ってすればいいんだよって言ってた。おいといて、ってたくさんできた。えらい。

 今日かけてもらったくるくるぱーまがめちゃめちゃかわいかったので、友人にビデオ通話で見せびらかした。今日はたくさんのプラスの日だ。るんるんなので明日は外苑前のイチョウ並木でも歩きに行こうかな。行ったら最高だし、行かなくてもなんの問題もない、大丈夫だよ。

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