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ロマンスカーの戦友

先日、あまりの疲労感に帰り道ロマンスカーを使った。実は、これまでの人生でロマンスカーを何処かに行くための、特別なオケージョンで利用したことがない。子供の頃、母親と都内に出て少し帰りが遅い時とか「疲れたね」って時に特別、乗せてもらえたものだった。

なので、なんとなく私の中でロマンスカーは、疲れきってしんどくて、もうこれ以上自分の足で動けない時に自分を丁寧に送り届けてくれる存在になった。唯一の違いとしては、子供の頃の疲れは体力的なもので、大人の私の疲れは精神的なもの。

18歳のとき遠くの予備校に通っていた事もあり、私はその頃からこれを一人で利用するようになっていた。途方にくれた私にとって、ロマンスカーはドロシーの赤い靴のようなものだった。

先日は、完全に心身ともに疲れ、ライターズブロックでお手上げだった私が久々にそれを履いた。書かなくてはいけないのに、あと1000文字だけなのにそれが書けない。そういう時だった。

ロマンスカーのチケットをとって、ホームにあるコンビニでお茶とプレモルを購入した私は2号車に乗った。私の席が通路側だったので、窓側に人が来ると思いテーブルを出さずにしばらく待っていた。彼は発車直前に慌てて乗車し、私の隣に座った。同じく、ビールを持っていた。

彼が座ったので、私がテーブルを用意して缶ビールを出すと、彼がなんとなくそれを見たのがわかった。そして、不思議なことに同じタイミングで缶を開ける良い音が隣から聞こえた。乾杯。

実は、私がロマンスカーに乗った理由はもう一つあった。“努力”だ。一刻も早く納品しなければいけないそれを、書く時間が欲しかった。テーブルにそのまま取り出したPCを載せると、私はそれを開いた。パスワードを打ち込むと出てくる、WORDの画面。隣の男は、私が論文に追われた学生か、物書きのどちらか見分けがつかなかったと思う。

ビールを一口また飲むと、少し心地よい感覚になって、私は打ち始めた。骨組みは作っていたから、あとはそれに肉をつける作業。頭の中ではわかっているのに、なぜか一向に言葉が出てこなかったりする。それが堪らなくしんどい。もう全世界に(特に納品先に)自分が情けない、人間になりきれていない存在であることを謝罪したい気持ちになる。

普段、電車の中では音楽を聞くのだが、なぜかイヤフォンを外した。静かな車内で、いつも電車の中から聞こえる聞きたくもない他人の愚痴が聞こえなくて、安心した。となりの男が柿ピーか何かを度々口に入れる音が聞こえた。私にもちょうだい。

時々感じる隣からの視線が、良い緊張感を生み出したのかもしれない。私は、止まることなくタイプしていった。考えを出していくことができた。かなり順調に進められることができた。

すると、私のそれを見て触発されたのか隣の男もPCを取り出して開いた。この人が、割と忙しいビジネスマンであることはすぐにわかった。乗車直前に乗り込んだが窓側の席、ということはこの人はネットか何かで事前に券を購入していた。その手際の良さから、普段もこういう交通手段を利用することが伺える。出張とか、多そう。そしてPCの種類も、企業が指定または配布するようなものだった。あとツマミを欠かさないところ。忙しくてまだ夜ご飯も食べていないけど、もうこれで済ませようとしている感じだ。

多分、この人は私が隣でのんびりとビールを飲んでいたら、一緒にのんびりしていたんだろう。実はお互いに今すぐやるべきことがあって、それは一種の逃避のようなものだ。でも、誰かが何かを始めたら、頑張りはじめたら自分も頑張れる。そういうものなんだ。自分が逆の立場でも同じことを感じるし、するだろう。だから、少し嬉しかった。フリーランスの身なので、一緒に誰かが頑張ってくれる事は少ない。些細なことだが、とても心の支えになった。

男が独り言をこぼし始めてから、なんとなく仲間意識を持たれていると感じた。そして私たちはビールを飲んで飲んで、タイプをしまくった。おそらく、最後の一口も同じタイミングで飲みきった気がする。飲み屋でこの話をしたら、それはミラーリングをされているんだと言われた。私は最後まで、彼の顔をみることはなかった。

私の降りる駅で、彼は降りなかった。記事の進捗は半分ほどだったが、あとの半分が書けそうな気がした。

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