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自尊心とサービス

 自尊心とは他人から評価されたり、認められたりしなければ持つべきものではないと思い込んでいた。もしかしたら自意識と自尊心を混同していたのかもしれない。そんな私の行動や責任には、いつも疑問符がついていた。

 薬物の使用は、常識的に考えれば道徳や倫理を著しく逸脱した行為だが、当時の私はそう考えることができず、欲望というより必要な行為だった。なぜかというと使用の目的は快楽ではなく、低すぎる自己肯定感や強迫観念を取り除くことに効果があると感じたことにあった。

 しかし、それは一時的なもので「使ってない時の自分」を「何も出来ない自分」と自己卑下していることに目を向けることができず、使っていないと自尊心や自己肯定を上げることができない自分に余計むなしさをおぼえた。

 当時、私は大麻を魅力的なものとしてしか見ていなかった。そこまで追いつめられていたのかもしれないが、さらに自分で追い込んでいたのだろう。苦しみは大きかったが、日常の苦しみを抱えて生きているのは、私一人ではない。それなのに、頭の中では自分をすべての中心に置いたドラマが出来上がっている。

 「何が贈り物になるかは何を贈り物だと思うのか」によると思う。サービス業に身を置きながら、私は一体「何」を提供していたのだろう。

2015 5/15


自分をケアすることは、わがままなどではない。自分自身という、私が唯一生まれもった他者の役に立つための授かりものを適切に管理しているにすぎない。

パーカー・パーマー


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