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公道を行く

 社会と自分をつなぐものをひとつずつ奪われ、そのたびに、これまでに感じたことのない挫折感と絶望感を味わった。警察署が私の住んでいた場所の近くにあったことで、距離とは単位ではなく「認識」なのだということに気づかされた。

 抵抗すればするほど苦しんだ。人に見捨てられることを恐れたのか、留置所で何通も手紙を書いた。そこで気づいてしまった。自分には安全な帰る場所があるからこそ、現実逃避していたことに。選択肢がなくなるにつれ、言い訳をしてやり過ごすという事実に直面せざるを得なくなった。 

日々の暮らしの中には、目を背けたくなるような出来事や人も確かに存在するが、綺麗事だけでは生きていくことはできないのはわかっていた。留置所の中で何度も人生を振り返った。

人を笑顔にするのが好きなのか
自分に笑顔を向けてくれる人が好きなのか

 この問いは自分に冷静さを与えてくれた。これまでは人生を駆け抜けることで頭がいっぱいだった。たしかにそれも大事かもしれないが、時には自分の立ち位置を確認することも必要だ。自分の人生にも「踊り場」があるはずだ。そして、公道と同じように自分の人生も「自分だけのものではない」という大事なことを忘れていた。

2015 4/22


孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。

トルストイ


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