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教えを受けようという気持ち

 あの事件の後、私はすべてを失い、多くのことを諦めた。しかし、この「諦め」は良い意味での「明らめ」だった。無理に抵抗するのをやめ、過去にしがみつくのをやめ、ただ自分の無力さを受け入れ、脱力した。

 すると不思議なことが起こり始め、沈んでいくような感覚ではなく、水面に浮かんで漂っているような感覚になった。今度は、漂っていると感じる代わりに、自分を解放すれば、これから向かう場所に自然とたどり着けると思うようになった。

 それは希望でも目標でもない。人生のあらゆることに意味や理由を求める必要はないことに気づいた。

 気づきや感謝を学ぶために、過去の後悔や将来の不安から今を作るのは不幸なことだと思うし、そう思うほど迷惑をかけた人々や家族には申し訳ないと思うが、少しでも人の役に立てるように立ち直ることが、今の私にできる精一杯の謝罪だと思う。

2015 5/8


すべてが失われようとも、まだ未来が残っている。

クリスチャン・ネステル・ボヴィー


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