長谷部誠


ウォーキングしているとこころにも重さがあることがわかる。日によってそれが違うこともわかる。今まではそれを誤魔化しながら過ごしていた気がする。


酒だとか。週末に控えているイベント毎だとか。気づかないふりだとか。


心身ともに痩せ細った今、こころを整えることに必死だ。こころが曇っていると音楽が入ってこない。嫌なことばで視界が埋まる。


歩くというのはまずニュートラルにギアを入れなくてはいけない。片手に酒を持ったり、エナジードリンクに頼るひともいるだろう。それは本懐ではない。身もこころもリセットするのが目的で、それに伴うリハビリ効果を狙ったもの。


実はニュートラルに着水するのはとてもむずかしい。体が貧弱な今、アクセルを踏むのは自分の意思だけだ。あらゆる外的要因に浸っていてはゼロには到達できない。ニュートラルとはあくまで自分自身の中にあるものだけで抽出した自分である必要がある。


今までは外的要因であがればいいと思ってた。帰ったらうまい酒浴びればいい。なんてね。ニュートラルなんて疲れ切って電車でぼんやりしている時間。それがニュートラルなんだと錯覚していた。


ちがう。追い風でも向かい風でもそのどちらも吹いていない漆黒の海に帆船を出す。船が進むのは自分の意思。触媒は風じゃなく意思だ。


波がこわい。高波がこわい。それは帆船が貧弱だから。でもほんとうにこわいのは弱さを認めてしまうこと。諦念を受け入れてしまうことだ。


来週CTの結果が判明する。治療方針の変更があるのかないのか。良くなっているのか。状態は厳しいものなのか。


毎日思う。朝起きたらがんが治っていたらいいのに、と。


毎日思う。ほとんど人と会わぬまま終わってしまうのはいやだと。


がんサバイバーの皆さんがアクティブに見えたのは今になってよくわかる。ネガティブを引きずったままではとてもじゃないが闘病生活は持たない。やるしかないし、自分を騙すぐらいの意気込みでないとやっていけないのだ。


そういえば。こころを整えるとベストセラーを出した偉大なサッカー選手は地元の隣学区だったっけ。ホイッスルは勝利の音色がいいな。









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