細谷登美

自作のイラストと共に「ひとりごと」をお送りします。

細谷登美

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最近の記事

夏   ―老女のひとりごと(12)

 夏になるとすぐ海を思い浮かべるが、海には忘れられない思い出がある。女学校一年の夏休みに、私は海で溺れかかったのである。  故郷は千葉県上総の一宮(いちのみや)なので、幼いときから夏になると親に連れられて、毎日のように海に行った。一宮川をポンポン船で海岸まで乗って行く。真っ黒に陽に焼けて背中に水ぶくれができ、お風呂に入るとヒリヒリと痛かったことを思い出す。波打ち際でバシャバシャと遊ぶだけなのだが、それがとても楽しかった。五年生になると先生に引率されて、河口で泳ぎを習った。力

    • お金  ―老女のひとりごと(11)

       若い頃、私の耳たぶは結構ふっくらしていた。それに、右側には大きいホクロがついている。「金持ちボクロだから、一生お金に困らない」と聞かされたことがある。占い者にも、「お金には不自由しない」ということを何度か言われたことがある。  だが、結婚した当座は、新所帯の家計を持たされたことが何としてもせせこましく、どうしてよいか分からなかった。甘やかされて育った私は、よくよく幼稚だったのだろう。よく考えてみると、どこからか助け舟のお金が入って来て困ったことはなかったけれど、すぐ子供も

      • アジサイ  ―老女のひとりごと(10)

         入梅宣言が出てからもう十日、松戸の本土寺のアジサイもそろそろ見頃かと思い、今年も姉と出かけてみた。日曜日だったので人出が多く、参道は野菜や漬物のお店で縁日のように賑やかだった。肝心のアジサイは七分咲きで、一つひとつの花が今年はなぜか小さい。菖蒲田の方は満開で花もしなやかだった。  いつのことだったろう。本土寺に初めてアジサイを見に行った時は、タイミング良くちょうど満開だった。霧雨の中を、あの変化に富んだ紫色がこれでもかこれでもかと続き、忘れ難い色に思わず深いため息をついた

        • 古い琴  ―老女のひとりごと(9)

           夫を見送り、一人暮らしにも慣れたこの頃は、昔のことがしきりと思い出されてくる。  昭和40年代半ば頃、私は自分でも呆れるほど、お琴を教えることに夢中になっていた。その頃のことを思い出すたび、なぜか我が身がいとおしくなる。  千葉の某会社のサークルにも、マイカーで出稽古をしていた。私への謝礼は会社持ちなので、お弟子は無料。だから人数も結構増えたのである。習い始めると家での練習用にお琴が欲しくなる。気軽に習うお弟子は気軽に買える古いお琴がいいと言う。サークル指導に舞い上がっ

        夏   ―老女のひとりごと(12)

          夢   ―老女のひとりごと(8)

           幼い頃、恐ろしい夢にうなされた覚えは誰にでもあると思う。  私も、鬼のような黒い影に追いかけられる夢をよく見た。逃げようと思っても足がすくみ、階段を駆け上がろうと思っても、もがくばかりで足がちっとも前に進まない。うなされて思わず目が覚める。  心臓だけはドキドキしたままで、夢だったと分かっても、まだ恐ろしくてたまらない。たいてい薄暗い夜明け頃で、隣に眠っている母親を見て子供心にホッとしたものだ。そんなとときに聞いた夜明けを告げるお寺の鐘の音は、いまでも寂しい悲しい音とし

          夢   ―老女のひとりごと(8)

          花  ―老女のひとりごと(7)

           今年は暖冬なので、まだ二月に入ったばかりなのに、上野の桜はもう三分咲きのようだ。  一月末に見た沖縄の桜は、紅梅のように濃い色で盛りを過ぎていた。葉も赤く、散る時はひらひらではなく、がくごとポトポト落ちて、美しいというより少しあわれな感じがした。デイゴの花も冬場のせいか、目立つようには咲いていない。  海だけは、碧く澄み、色も七色と思えるほど濃淡が美しく、岸辺近くに珊瑚礁が横たわっているせいか、立つ波も絵のように美しかった。植物園では、ハイビスカスや蘭ばかりが賑やかだっ

          花  ―老女のひとりごと(7)

          別れ ―老女のひとりごと(6)

           今年は、旅行をしている間に身内の不幸に二度も遭ってしまった。一度目は、大晦日に出かけ正月三日に帰った時である。翌日が通夜であった。二度目は、ついこの間(二月の後半)南紀の旅行に出かけた時である。  私は旅行中身内に電話などしない。南紀は熊野三山、速玉神社、青岸渡寺、紀三井寺等々、お寺が多い。那智の滝を見て忘帰洞に泊まり、二日目は白浜温泉。勇猛果敢な熊野水軍(海賊多賀丸の隠し洞窟)三段壁という所に私は圧倒された。大阪から羽田へといい気分で帰り、夜十時ごろ家に着いたら、電話が

          別れ ―老女のひとりごと(6)

          「こわいさん」 ー老女のひとりごと(5)

           我が家の二階の床の間には、碁盤と碁笥(ごけ)が置いてある。もう飾り物になってから十幾年余りにもなるだろうか。今は部屋も使わない。  階段をとんとんと上がったとき、たまに部屋をのぞくと、なぜか碁盤が目に入る。私を忘れないでと言っているようだ。  人はたいてい主人のものと思うだろう。けれど、これは昔私が買ったもの、うちの主人は麻雀好きで碁はやらなかった。ひょんなことから私は碁を習うことになってしまったのだ。  ――私はお琴の先生である。教えるなんて夢にも思っていなかったが

          「こわいさん」 ー老女のひとりごと(5)

          年の暮れ ―老女のひとりごと(4)

           札幌の大通の一つの樹にライトアップが施された、というニュースがテレビに出た。早くも年の暮れの商戦が始まろうとしている。まだ11月ではあるし、暖かくてとてもそんな気持ちにはなれないが、季節は確実にやって来る。  そういえば去年は、仙台のライトアップに見とれたものだ。たしか、正月二日の夜であった。仙台の商店街は道幅が広く、歩道と車道の間には大きな街路樹がどこまでも続いていた。葉のすっかり落ちたこまやかな枝先に、小さな電球がちりばめられ、ずらりと並んでキラキラと暖かく輝いていた

          年の暮れ ―老女のひとりごと(4)

          女の立場 ―老女のひとりごと(3)

           ある日、テレビで犬の飼い方の話をしていた。 「子犬のときはオス・メス変わらないが、成犬になるに従って、違いがはっきり現れてくる。メスは従順になり、オスは男性ホルモンの影響で攻撃性が強くあらわれ、縄張り意識も芽生えてくる。だからオス犬に対しては、小さいときから毅然とした態度で接しなければならない」という。  しつけという点では人間の子育ても同じだ。昔から男の子は男らしく、女の子は女らしくという言葉をいやというほど聞かされてきた。だが、その「らしく」という意味を、近頃ではど

          女の立場 ―老女のひとりごと(3)

          母と鰻   ―老女のひとりごと(2)

           私は鰻の蒲焼が大好きである。それも関西風はイヤ、鰻は何と言っても蒸して焼く関東風が絶対い美味しい!  あのトロけるような味は、人を幸せな気持ちにするから不思議だ。それに、鰻を食べると母のことが思い出される。思い出したくなって食べるから、なお好きになる。  私は物心ついたころから「母は鰻が嫌いなんだ」とばかり思い込んでいた。鰻を取り寄せて食べる時などは、匂いをかぐのも嫌だといつも言っていたからだ。  敗戦直後の頃のことが、昨日のように鮮やかによみがえる。秋もたけなわの頃

          母と鰻   ―老女のひとりごと(2)

          私と二人の子との、昨日今日 ―老女のひとりごと(1)

          「お母さん、元気にしている? もうご飯食べた?」と名古屋の息子から電話がかかってきた。明るい声につられて「うんうん元気よ、この間も高山に行ってね……」などと、私も負けずにトーンを上げる。  息子に代わってまた小学生の孫が、給食の話をしきりにする。その下の孫も「あーうー」と、大きな声だ。「電話賃が大変だから、もうそろそろ切るわね」と言うのはいつも私。そんな日は一日中ほんわかとなり、やっぱり家族っていいなあと思うのだが……。  私はこの頃なるべく外に出るようにしている。今年に

          私と二人の子との、昨日今日 ―老女のひとりごと(1)