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BACH音楽の精髄としてのコラール-ライプニッツとオルガニスト・バッハ

 16世紀から17世紀にかけて、ドイツ・ルター派系の職業音楽家の重要な仕事は「コラール系楽曲の新作アレンジの提供」であった。バッハにおいても事情は異ならない。むしろ彼の場合、就職先の都合上、仕事のほとんどがコラール系楽曲の新作アレンジであったとも言える。

1.コラールとは?

 ドイツのルター派におけるコラールは、教会に集う会衆のための教会歌である。歌詞は母語であるドイツ語で書かれてあり、旋律は平易で歌いやすい。
 当時のカトリックは、そうではなかった。讃美歌(ラテン語)は特権階級(聖職者)の専有物であった。ルターにとって、会衆参加型の礼拝を実現するためには「誰でも歌える讃美歌」が必要だった。
 そのために発案された、まったく新しい讃美歌こそ「コラール」であった。

 多くの作詞家、作曲家の手によって数多のコラール(原曲コラール)が作られた。
 ここからがポイントなのだが、この原曲となるコラールは元来旋律一本のみ」(単旋律)という極めて簡素なものだった。
 しかし、実際の礼拝においては、コラール原曲を多種多様にアレンジした最新楽曲が、毎週の礼拝の際にその都度、必要とされた。
 ルター派は音楽を非常に重要視していた。そしてその音楽は常に「フレッシュ」で「親しみの持てるもの」でなければならなかった。カトリック(旧教)のように古臭い讃美歌では困るのである。こうして、原曲コラールひとつに対して異なるアレンジがいくつも作られていくことになった。また、ひとりの作曲家によって、同一コラールに対する複数のアレンジが作られることも多々あった。

2.《O Mensch, bewein dein Sünde gross》

 イースター直前のシーズン(受難節)のコラール原曲のひとつに《O Mensch, bewein dein Sünde gross》(おお人よ、お前の大きな罪を嘆くがよい)がある。
 歌詞はS.ハイデン作(1525年)と伝えられ、「降誕、地上での活動、そして十字架刑へと至るイエスの生涯とその意味」が描かれており、キリスト教の核心部分に深く関わってくるような、スケールの大きい内容となっている。

 歌全体としては4つの節で構成されており、概要は次の通りである。

 【歌詞】3行+3行+3行+3行
 【旋律】[A1+A1]+[B1+B2]

 旋律に着目すると、前半のAパートはリピート(A1の繰り返し)であり、後半のBパートはB1そしてB2とやや変化しながら展開していく。

 ちなみに、タイトルにある[bewein]の原形は【beweinen】であり、意味としては「あることを悲しんで泣く、嘆く(あるひとを悼む)」や「(死や死者などを)嘆き悲しむ、悼む」といった内容になる。
 したがって、ここでの嘆きは単なる悲哀にとどまらず、我々の存在の有り様そのものを大きく揺るがすような根源的な悲しみを含有しているものと考えられる。


 さて、ここでようやくバッハの登場である。
 内容的にはやや重たいこのコラール原曲に対して、バッハは(少なくとも)3つのアレンジを試みた。それぞれどのような仕上がりになったのだろうか?

3.四声コラール(BWV402)

 一つ目は、四声コラール(BWV402)である。
 ソプラノ、アルト、テノール、バスの四声で構成されており、原曲の旋律は「ソプラノ」が担当している。作曲者は原曲の旋律を(基本的には)そのまま生かし、その他の三声とともに見事なハーモニーを引き出した。
(注)このソプラノのメロディ単体がコラール原曲である。(くりかえしとなるが上述の通り、原曲コラールはもともと単旋律であった。)

 さて、一聴して、どう感じるだろうか。クラシック音楽界隈でいわゆる「コラール」と聞いて、真っ先に想像される音楽そのものではないだろうか?
 
 前半のAパートは比較的穏やかに流れていくが、後半のBパートに入ると音楽的な緊張感が一気に高まる。音域は広がり、音のぶつかりも苛烈になっていく。クライマックスである第四節(B2部分)末尾手前の[schwere Bürd](重荷)の【schwere】での減二度の音程とその後の終結が印象的である。

4.マタイ受難曲

 二つ目は、《マタイ受難曲》の第一部の最終曲である。
 一聴すぐさま「えっ、これが同一曲の別アレンジ?!」と思われたのではないだろうか?
 もし、映像を見ずに音楽だけを聞いて、「少年合唱が原曲コラールの旋律を歌っている」と認識できたとしたら、あなたは18世紀前半の熱心なルター派信徒だろう。もしくは相当のバッハ通である。おそらく、現代の我々が一聴のうちにコラール原曲の旋律(先ほどの四声コラールのソプラノ旋律)をボーイソプラノに聞き取ることは、ほぼ不可能であろう。

 無理もない。
 7から10程度の旋律が常に同時に鳴っているのだから。この曲には常時7から10の旋律が共存しているのである。
 
 楽器編成は、フルート2つ、オーボエ2つ、ヴァイオリンが2パート、ヴィオラ、ベースパート(通奏低音)、そしてそこにソプラノ、アルト、テノール、バスの合唱。
 この曲はそれぞれのパートがそれぞれ独自の旋律を奏でる、極めて旋律重層的な音楽。つまるところ、作曲者には(あらかじめ)10本の旋律が同時に秩序立って鳴り響くさまが聞こえていたのだ。



 コラール旋律とその他多数の旋律は、メロディラインからリズムからもう何から何まで、まったく異なる要素から、それぞれ構成されている。
 聞いての通り、どの旋律も非常に個性的である。メロディどうしが互いに相容れる(共存する)余地など、どこにもないように思える。

 にもかかわらず、である。
 これらの個性的なメロディは信じがたいほど調和的に、そして生き生きと並存しているのである。
 とても魅力的で印象深く、それひとつで一曲書けてしまうくらいに個性的な旋律が次々と現れ、しかも同時に鳴り響く。そして何かに導かれるように、全体として見事な調和を実現する。あたかも、個性的な旋律のひとつひとつがそのように調和するべく「あらかじめ」定められていたかのように。
 これこそが、バッハの音楽の真髄である。
 

【参考】ライプニッツの「予定調和」について(『ライプニッツを学ぶ人のために』(世界思想社、2009年)より)

 自発的で個性的な無数の「単純実体」すなわち「モナド」は、その一々が、神によってこの世界の創造とともに、そのようにセットされている。(・・・)「調和」の概念はピュタゴラスにもあったが、ライプニッツのそれは価値や快適や円満完全というよりも、むしろ個体的なものが相互に、そして全体と結ぶ連関を示唆する。神はそのつど世界に介入することはせず(・・・)、すべての事物をあらかじめ定めておく(「予定」)。

 
 バッハ(1685-1750)は、人生の後半を中東部ドイツの経済都市・大学都市のライプツィヒで過ごすが、この町で生まれ育った「17世紀の万能人」あるいは近世ヨーロッパにおける「万学の祖」こそ、ライプニッツ(1646-1716)そのひとであった。彼もまたバッハ同様、絶対者の存在を自明のものとしてこの世を見据えていた。

5.オルガンコラール(BWV622)

 最後は、オルガンコラール(BWV622)である。
 ここに至り、ついに原コラール旋律は、ほとんど原形をとどめることなくソプラノ声部(最高音部)に現れる。
 このレベルになると、楽譜を見ることなしに原旋律を聞き取るのはほぼ不可能になる。
 それほどまでに、作曲者は原旋律に装飾を加えた。まさに尋常ではない装飾技術、人間国宝級の職人技である。

 それどころか、である。
 そもそも上記の通り、前半のAパートは単純リピートのはずなのに、それさえも判別困難なのである。あなたはA1部分の繰り返しに気づけただろうか?(これはもはや楽譜を読み解かなければ絶対に気づけないレベルである。)
 


 オルガンコラール、すなわち原コラールのパイプオルガン曲へのアレンジは、ドイツ・ルター派系の音楽家の伝統技法であった。ブクステフーデラインケンG.ベーム等の先人からバッハは多くを学び、このジャンルを極限にまで洗練させた。
 作品目録番号が付されているバッハの作品は1100近く。そのうち、オルガンコラール曲は250余り。彼の音楽家人生を通じてありとあらゆるアレンジ技法がこれでもかというほど濃密に注ぎ込まれた唯一無二のジャンル、それこそがオルガンコラールであった。

 バッハの息子たちは、父親が(結果的に人生をかけて)集大成したこのジャンルに(基本的には)立ち入らなかった。立ち入る余地がなかったというより、実のところ父の生前からすでに時代は啓蒙主義-理性の時代であった。
 息子たちはいわゆる教会音楽から離れたところに活路を見いだした。それはソナタであり、協奏曲であり、そして来るべき交響曲であった。