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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #124〜フー・ツォンのスカルラッティ(1957)

ウクライナ問題に関連し、駐仏中国大使が「旧ソ連国は国際法上地位を持たない」と発言し、旧ソ連から独立し、国連に加盟した国々の主権を否定するかのような発言をして波紋を呼んでいる。

ソ連からいち早く独立し、ソ連崩壊の端緒となったエストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国は、各中国大使に説明を求めるなど、この発言に即反応した。

仮にこの見解が一個人のもので、中国政府を代表するものでなかったとしても、こういう発言を醸成させる土台がやはりあの国にある、と思うのは自然なことだろう。

何故こんなことを書き始めたかと言えば、今回取り上げる演奏家が、自身のピアニストとしての飛躍の時期、文化大革命という世紀のまやかし、文化の敵に立ち向かわざるを得ず、結果的に家族を犠牲にしながらも、コスモポリタンとして、ピアニストとして飛躍した人であり、そんな彼の演奏をソ連時代のラトヴィアでプレスした音盤だからだ。

フー・ツォンは1934年に上海のインテリ家庭に生まれ、1953年に同じく共産圏のポーランド・ワルシャワ音楽院に入学。55年に開催された第5回ショパン国際ピアノコンクールで第3位入賞を果たす。この時の第2位入賞者がウラディーミル・アシュケナージだった。

しかし、両親が文革の犠牲となり自死を選び、自らの今後のことも考え、帰国せずイギリスに活動の拠点を移した。

ツォンと言えばやはりまずショパンの演奏を真っ先に思い浮かべる。
ロシアのピアニストのように、心を激しく揺り動かずような演奏とも、フランスのピアニストの洒落たエレガントで芳香漂うショパンとも少し異なるショパン。
決して声高いにその存在を主張するのではなく、丁寧にショパンの音楽の「綾」を成していくような演奏。音の彫りや陰影で聴かせるショパンとでも言おうか。

これは彼のモーツァルトにも通じていて、ソナタやコンチェルトの短調で書かれた楽章や、長調から短調に転調する部分などにハッとすること度々である。

そんなツォンはスカルラッティのソナタのまとまった数の録音も行っている。

スカルラッティのソナタはもちろんチェンバロのために書かれたが、バッハ同様ピアノ、いやそれ以上にピアノで演奏されることをまるで作曲者が望んでいたかのような作品群のように思う。
バッハの鍵盤作品はオリジナルのチェンバロ、バッハの生前には存在していなかったピアノ(フォルテピアノ)による演奏それぞれに聴くべきものが多い。
スカルラッティもそれは同じなのだが、ピアノならではの音の強弱、それこそフォンの演奏の特徴である「陰影」をつけることで、作品のより普遍的な深みを持ち得るような気がする。
そういう意味ではバッハよりもモーツァルトに近い。

LP初期にクララ・ハスキルやキャスリーン・ロングという女流モーツァルティアンが、優れたスカルラッティを聴かせたことと、フー・ツォンのそれは多くの共通項があるのでは?と思う。

残念ながらツォンは2020年12月18日、新型コロナウィルスによりロンドンで86歳の生涯を閉じた。

今回のプレ・メロディア(ソ連の国営レーベル「メロディア」が全ソビエトで統一されたレーベルになる以前、ソ連各地の工場でプレスされていたレコードの総称)、しかもプレスが優秀とされていたラトヴィア・リガ工場製のSP盤。

録音は1957年頃とされ、既にLP時代に入ってかなりの時間が経っている時期のものだが、ハ短調はもちろん、イ長調の方で短調に寄っていく瞬間の美しさは、先ほど述べたフー・ツォンの真骨頂のように思う。

クレデンザ蓄音機で若きフー・ツォンのスカルラッティを2曲。


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