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話すことが遅かった娘が、心の内を吐露した小3の夜

娘の幼稚園時代、娘はまだちゃんと会話ができませんでした。でも幸せなことに、お話しが上手で面倒見のいい女の子が、娘と仲良くしてくれました。
そのことを娘はあまり覚えていない様ですが、母にとってはどれだけありがたかったか。子供の純粋さに助けられました。けれど娘にとっては一方通行の様で、感情をうまく表現できない自分に対するもどかしさがあった様に思います。

そして小学校入学。入学式は当時の流行りだったAKB48の衣装みたいな、可愛いスーツを着て参加しました。娘と学校との付き合いの始まりです。初めての小学校。勉強や知らない友達、たくさんの決まりごと…。娘はまだうまく話せない状況でした。

小1の夏休み手前で膀胱炎に、そしてさらに腎盂腎炎になり入院。小学校生活からくる過度のストレスや疲れからだと思います。その後は…、娘は娘なりに少し強くなり、なんとかやっていけてる感じでした。何かうまくいかない感じはありましたが。

そしてこの時期は家族にも色々あって、結局住んでいた家が風水的に良くないのではないか、ということになり関西に引越すことになりました。(このあたり、もうばくちです。見えないものが見える方を紹介してもらい、引越しのアドバイスを頂いたのです。本当に藁にもすがる思いだったのです。)そして夫も関西の会社に転職が決まり(今も勤続している自由な気風の会社、本当に感謝しています。)、私達は関西に引越しました。娘、小2の夏休みでした。

引越し先は暮らしやすく、素人でも風水的な良さを感じるところでした。さらに小学校はその地域のモデル校で人気も高く、他からの転校生もすごく多かったです。『ここなら大丈夫かも!』と期待に胸を膨らませました。

転校生なので、友人関係や勉強のことなどそれなりに問題はありましたが、娘は頑張っていました。その時もまだ自分の感情をうまく表現できずもがいている様な感じはありましたが。

その頃、私がたまたま見たTV番組で、アメリカの教育の内容だったのですが、自分の感情をうまく表現できない子供に対して、その時の感情を色々な顔の表情の絵を指をさして示すということをやっていました。困っている顔、怒っている顔、笑っている顔、泣いている顔、心配している顔、疲れている顔、びっくりしている顔etc。私は娘にこの話しをして、もし自分の気持ちを伝えるが難しかったら、顔の絵を描いて教えてね、と言っていました。

我が家のダイニングには、IKEAで買ったイーゼルスタイルのホワイトボードを置いているのですが、家族の一日のスケジュールを書いたり、絵を描いたりととても重宝しています。

娘が小3のある夜、そのホワイトボードに涙がいっぱい出ている顔が描かれていました。ちょっと乱暴に描いてありました。娘が描いたものです。娘に『どうしたの?』と聞いてみたら、
『ママ、私なんで生まれてきたの? 私なんで生きてるの? 私これからどうして生きていったらいいか分からない…』と言ったのです。

話しがまだうまくできないと思っていた娘が、はっきりとこう言ったのです。
そしてこんなことを考えていたのです。私は頭が真っ白になり、そしてなんて答えようと思いました。

泣きながら『ママもなんで生まれてきたのかは分からない。なんで生きてるのかも分からない。でも多分一生かけてそれを見つけていくんだと思う…』と、動揺してあまり覚えていないのですが、そんなことを言ったと思います。

このことは、4年経った今の不登校に関係しているかは分からないのですが、娘との強烈な出来事です。娘曰く、小3,4年はすごくしんどい時期だったとのこと。娘は小学校の頃から学校が嫌いなんです。

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