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「何を」信頼するのか?自分のビジョンなくしてこれからの時代をジャッジできない。

先日、日本経済新聞に「信頼できないトップが国会議員」という調査結果が掲載されていた。

公職についての「信頼」ということなので「公平性」「透明性」「一貫性」みたいな軸に照らし合わせて回答しているのだろうと思う。

しかし、マスコミは業界で、警察は組織、国会議員・教師・国家公務員は職種である水準の違いにも違和感があるが、一番ズレを感じるのは「なり方の違い」だ。<国民に選ばれる国会議員>と<就活で入社するまたはフリーランスのジャーナリストなどがいるマスコミ>と<資格試験で合格によって選ばれる国家公務員・警察・教師>が同じ軸で「信頼」をジャッジされていることだ。

特に「国会議員(政治家)」については選挙でえらばれる以上、結局信頼できないのは「国民の判断」であり「自分の判断」なのだといえなくもない。


信頼できる=自分の望む未来に向かってズレずに働いてくれる

今年4月に統一地方選も近づいていることから、選挙についての話をよく聞く。高校生や大学生、子育て世代の方からも「誰がちゃんとやってくれるのかわからない」「いい人ってどう見分けるの?」と。

政治家に「いい人」も「悪い人」も「ちゃんとやる人」も「ちゃんとやらない人」もたぶんいない(※法律を犯している場合は別)

自分の望む未来(ビジョン)に対して「合う人」と「合わない人」がいるだけなのではないか。

どんなに苦しい立場になっても自分たちの企業・業界・権利を守るために戦ってくれる人を信頼できる政治家として票を入れる。
他の人からみたら「既得権益を必死に守っているだけ」だとジャッジし、悪い人でちゃんとやらない人といわれるかもしれないが、守られている人から見るといい人でちゃんとやっている人である。

「自分がどんな未来を望んでいるのか?」のビジョンなくして、政治家の政策や行動に対して「信頼」をジャッジすることはできない。

これからの未来は誰にも分らない。正解も不正解もない。だからこそ、未来に対する自分の考えを信頼し、同じ未来を目指す人を選ぶしかない。

私の場合は「合意形成の速さ」を軸にジャッジする。

同じビジョンを見ていて、その実現に対して本気であるかどうかは「合意形成の速さ」として現れると考えている

私は仕事がら地方創生や女性活躍で行政から依頼を受けることも多く、市長や政治家の方とお会いする機会もたくさん頂く。

ある市長さんとお話をしたとき、初対面でお互いのことを何も知らなかったが、私の考える教育と市長が考える教育の合意がものすごくはやかったのだ。

同じ未来が見えていて、普段から考え、アンテナを張っている人と話をするとビジョンを語るだけでやりたいことが互いに理解できるので補足的な説明や参考資料が必要ない。

合意形成の時間的コストがかからない分、より深く具体的なところまで話ができる。

私は世の中にないものにしかワクワクしないので、私の考えや提案には事例がなく、「よくわからない」と言われることも多い。
その人の能力が低いと言いたいわけでは全くなく、ビジョンが違うので、お互いに理解できないというだけ。私には合わないだけのこと。

合意形成が早く、より深くまで話ができたので、私はその市長を「信頼できる」とジャッジし、その街で新しいチャレンジをしたいと思った。

観客席で政治家を見ながら「信頼できる」かどうかをジャッジすることに意味はない。フィールドに降りて、同じ目線に立たないと相手が同じものを見ているかを判断できないから。

だから、政治家とできるだけ会って話すこと。相手のやりたいことを聞くより、自分のビジョンを話し、リアクションをみることをお勧めしたい。

自分のビジョンを持っていると、生きることが少し楽になる。

自分の望む未来(軸)を持つことで実は生きることが少し楽になる。
政治家を選ぶ時だけではない。子ども教育も会社選びも大学選びも全部に通じるのだ。「子どもにどんな教育を受けさせるべきか?」「どの会社が良い会社か?」「どの大学がいいか?」
これからの時代、全ての人に良い会社や良い教育があるわけではなく、自分の望む未来に合う会社や大学や教育があるだけ。

自分の望む未来さえ自分でしっかり持っていたら周囲に振り回されることなく、「何を信じればよいかわからない」と不安になることもない。
自分さえ信じればよいのだ。自分を信頼できれば、信頼できる他社も増えていくはず。

これからの時代、信頼の起点は自分。信頼は軸ではなく結果。軸は自分で作るしかない。
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