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Laughing Note お笑い手帖回顧録 vol45.5

まだ6月なのに、もう暑い!
ってわけでも無いが、今回はちょっと記録の振り返りはお休み。ちょっと愚痴っぽい話を。裏愚痴だ。
 2003年にお笑いDOJOが終わったのは、会場のTBSホールが閉館のタイミングだったが、会場を変えてでも続けられない事はなかった。終了を告げる上層部に、
「場所は変えても、続けられないことは無い。それに、お笑いはこれから必ずメインカルチャーになると確信している。そして、その立役者の若手芸人との唯一の接点だった場を無くして良いのか?何とか存続して欲しい」と訴えたが、そんなものはなんとでもなる、という素っ気ない返事。
お笑い事務所とのパイプ役を担っている.、という使命感は私の思い過ごしだったようだ。
自分がやって来た事がほとんど評価されていなかったことに愕然とする。
しかし、社内は敵でも、外には仲間がいるものだ。捨てる神あれば拾う神あり。
DOJOが終わって程なくして、浅井企画の鷺坂氏から、お台場のJPOPカフェでやっているライブが、渋谷に場所が変わるのだが、それを機に手伝ってくれないか?と打診。
それまでは、浅井企画という事務所のハンドリングだと、どうしても出演者に偏ってしまう。もっとニュートラルに東京の、笑いを盛り上げたい。その為に、メディア関係で中立な立場である僕にオファーが来たわけだ。喜んで引き受けた。
名前も「先物買い」という意味を込めて
「お笑いフューチャーズライブ」と決めた。
 次回から、しばらくフューチャーズライブの記録を綴る事にする。

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