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人は息をするだけでも金がかかる【雑記】


*記事全体を通して大した事を書いていないので予めご了承ください

「少牌は場代に勝てないから嫌です」

色んな所にゲストに行って、もしくはただフリーを打ちに行っても。こう言われる事が儘にある。アホヅラを晒して何を語っているのか意味不明だが「多分これは文句を言われているんだな」と解釈することにしている。

少牌の文句は僕に言われても困る。

霞拳志郎ならば聞く耳を持ったかもしれないが、生憎と僕は一介の覆面の肥満だ。お前が勝とうが負けようが知ったことではない。ただまあ最低限の愛想は必要だから「センシューラクッ」と一鳴きしてお茶を濁すことにしている。

僕は胸に素朴な疑問を抱いている。「お前が場代に負けているのは少牌だからなのか?」という所だ。という訳でそもそものフリー雀荘という構造について話をしたい。例えばこのツイートである。

みんな大好きメンリー君

僕は一目見て「そりゃそうだろ」としか思わなかったけれど、これだけフリーに通い慣れているメンリー君が言うからにはそれなりに感慨深い話なのだろう。勿論エンドルフィンのネガキャンではない事は断っておく。そもそも負ける人間が6割で済むならそれは恐ろしく優良店と言ってよい。トップ賞は半端じゃないけどシュバチケの還元も半端じゃないのはみなさんご存じだ(ただし僕は平日に東京に行ける機会がないのでトップ賞を還元してもらった事は一度もない)。五等に興味のある方は以下のブログをご覧いただきたい。

サラリーマン雀士かく語りき

かつてマーチャオの待ち席で「ハッケヨイさんは普段ピン東に通っているんですか?」と尋ねられた事があった。まだ僕がtwitterを始める前、まだアタマも少牌マイティも、なんなら大須Bucks*がピン東でも無かった頃の話だ。相手は常連のサラリーマンの方で、随分人当たりも良いお客さんだったので僕は愛想良く「ええそうですね」と答えた。すると場代について更に尋ねられた。その当時は1G500円トップ賞無し。祝儀5000点相当としても破格の設定と言ってよかった。それをそのまま伝えるとかなりぎょっとした顔されたのが今でも印象に残っている。

「東風しかないのにそんなにゲーム代を払ったら、大変じゃないですか」

僕は「なぜこの人は敗北を前提に物を考えているのだろうか」と不思議だった。「貴方が日々遊んでいるマーチャオ4Aに比べて1ゲーム当たりに動く金額は明らかに大きく、そしてトップ賞の分だけゲーム代も安い。ゲーム単価を+にするファクターがこれだけあるのにやらない手はないじゃないですか」としか考えていなかった。つまり僕も若かったという事だ。人はみな勝ちを目指しているわけではない(対人遊技をしているんだから勝たなきゃ嘘だろ、とは今でも僕個人としては強く思っているけれど)のだ。仕事終わりから帰宅までのひと時を自由に遊ぶ、そのための麻雀だって当然あって良い。

*大須Bucksは名古屋にあるローカルピン東店。競合他店無しでのびのびと営業している。

そもそも僕たちが本当に戦っているのは眼前の相手ではない。場代だ。家賃を納めるくらいのペースで通い、雀荘に身も心も絡めとられた麻雀の打てるゴッドハンドたる僕たちが本来的に目指すべき初期目標はひとつ。そう、『場代チャラ』である。

これが麻雀が打てない方のゴッドハンド。僕たちのライバルだ

場代チャラは憧れだった

アイコンはマンション麻雀経営マンガの金字塔「ぴんきり」から。好感が持てる。

皆さんご存じだろうが、場代チャラさんという名前の方がいる。twitterのメディア欄は「ラーメンで著名な方だろうか」と誤解をしかねないほどラーメンでパンパンだが、れっきとした有名麻雀ブロガーだ。

二郎系は男のロマンだ。寿命と引き換えに塩と脂を摂る。

そんな彼のブログタイトルは非常に潔い。「何も足さない何も引かない」といった趣きがある。

名前の通り年間場代チャラを目指す麻雀ブログだ。近年(2023年4月現在)はめっきり更新もなくなってしまったが、当初はかなりマメにエントリしていた。そんな彼の2020年の収支報告を見てみよう。

では、2020年の結果です。

1位:389回
2位:344回
3位:312回
4位:301回
合計:1,346回

連対率:54.5%
平均順位:2.39
対人:+672,850pt
場代:-827,300pt
合計:-154,450pt

残念ながら2020年を場代チャラにする事は出来ませんでした。

殆どがマーチャオでの打数なので、マーチャオAルールで場代チャラにするには、もう少し成績を向上させる必要がありそうです…

が、これ以上は自分には無理なので、2021年もこんな感じの成績なら十分かなと思います。

2021年1月のエントリ『2020年の麻雀と2021年の抱負』より抜粋

平着2.4を切って年間収支マイナス、とある意味で夢も希望もない結果だが記載形式に強いこだわりを感じる。『対人・場代・合計』としっかり書き分けている所だ。フリー麻雀における対人成績は結果からの逆算でしか知り得ない。それをわざわざ「まず対人があって、そこから場代が引かれて、結果こうなりましたよ」と記している。合計がプラスならば場代チャラは達成できているのに、だ。強く場代を意識する所にこのブログのタイトルらしさがあって好感が持てる。

限りなく純粋に近い黒

世界で一番黒い塗料「ペンタブラック」で塗られた穴。
まるで穴が開いているようだが穴が開いている。

場代チャラに似た概念として「純黒」がある。場代を超えて勝っているからより偉い、というニュアンスを受けてしまう言葉だ。語彙の持つベクトルは同じ方向を指しているもののその出発点はまるで正反対の所にある。つまり「店か客か」だ。

そもそも「純粋な黒」という表現に引っ掛かりを感じる人は多いのではないだろうか。店を出て財布の中の金が増えていれば勝ち、減っていれば負けというだけの話でそこに純粋もクソもないだろう。ちなみに、麻雀関連の書籍で「純黒」とタイトルに入っているのは下記の一冊のみとなる。

Bucksグループのオーナー雀ゴロKさんの第一著作である。その序文でKさんは純黒をこう表現している。

ゲーム代を払っても浮くいわゆる「純黒」という成績はなんとか達成することができました。店の本走で純黒を達成できるメンバーは少数派なので、達成できて嬉しかったです。

『はじめに-自己紹介と麻雀収支-』より抜粋

そう、フリー雀荘に通いなれた読者諸兄は当然把握していることだろうがメンバーにはGBというものがある。よっぽどクラシカルな店でもない限り、ゲーム代とは払うものではなく還元されるものなのだ(マーチャオでバイトする場合は除く)。「場代が返ってくる」ということの凄みと重みは以下の動画に詳しい。

だから『純黒』とはただ雀荘に通い遊ぶ僕たちには本来縁遠い、業の深い言葉なのだ。客が目指すべきはあくまでも場代チャラだ。「そもそも働いているのにG代を払うのはいかがなものか」「えっ、トップ賞って何?」なども愉快なテーマだがここでは割愛する。では、本題に戻ろう。

僕たちが場代に負けているのは、果たしてそれが少牌だからなのだろうか?

僕たちはみんなバターになった虎だ

このツイートに全ての答えがある。場代比率的に「客が通算で勝ち越すように雀荘はできていない」のである。そして、当然これはレートが下がれば下がれる程に顕著だ。なぜなら家賃人件費に光熱費、ランニングコストのベースは一緒なのだから場代比率はどんどん悪くなっていく。というか口にするのも気恥ずかしい。低レートフリーがそういう構造なのはまともに雀荘に通っているアタマのまともな常連客なら周知の事実だ。そしてこれこそが、少牌がフリーとして一時流行り、そして消えていった理由の全てなのだ。

少牌がフリーとして採択された一番の理由は、ゲームがテンポアップすることで時間当たりの場代もアップする点だった。高回転ゲームの何よりの利点と言って良い。そして爆速で場代が上がるならばそれはそのまま客に跳ね返る

常連は必ず場代に負ける、これは低レート雀荘の厳然たる事実だ。しかしこれは例えば月に2,3度訪れるだけの客には適用されない。そんな客は、月単位で勝ったり負けたりを楽しむことができる。しかし、少牌はそれができない。1時間に6~7ゲームの高回転によって、滞在密度は倍となる。高速で卓を回す結果、例えば8時間滞在すれば60ゲーム近くをプレイすることになる。これは、一般的なサンマの店での5日分に近いゲーム数だ。

ぐるぐる ぐるぐる たくをまわしたら みんなバターになって とけてしまいました

という訳で結論だ。「少牌は場代に勝てない」は誤りである。「少牌を打つと、低レート雀荘は場代に勝てないという事実をみんなが短いスパンで実感してしまう」が正しい。みんな勉強になったかな?

それでも勝ちたい貴方に

ここまで言っても「でも、僕はフリーで勝ち越したいんだ!」と駄々をこねるバカが必ずいるだろう。解決策は主に2つである。

①レートをしっかり上げる


要は場代比率が技術介入による成績差よりも小さくなれば全て解決する。この方法によってようやく「強き者が勝ち弱き者が負ける」正しい世界が実現される。果たしていくらかは自分たちで考えて欲しいが、おおよそ1トップの10%程度の場代であれば問題なくいけるだろう。ていうかこれしかない。

で、これでもダメな人、というか店。「んなもんリャンピンくらいになっちゃうじゃんそんなの誰もやらないよフリー営業なんて無理無理」という店。そんな店の為に、仕方ない、とっておきの方法を教えよう。

②分散をとんでもなく大きくする

もう、これしかない。つまりぱちんこ(少牌確変🌷)をやるしかない。技術介入度もそれなりに上がり、何より「1日単位で全員が負ける」という愚かな事態を避けることができる。

上記の諸々を理由として、僕は少牌を低レートでフリー営業することに関して全くおススメしない。誰も幸せにならないからだ。しかし考えてみれば、雀荘で日々を過ごすことがそもそも幸せなのだろうか?

僕たちはみんな、卓をひたすらに回し場代に溶けていく虎だ。でも特に構うことはない。勝ちで終わるか負けで終わるかは死ぬ間際まで判らない。そして死ねば等しく塵なのだ。

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