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ウデとブレ【雑記】

みなさんはビンゴを楽しんでいるだろうか?ゲームリリース(動画の発表)から3ヶ月。この数か月の間に色んな雀荘でスーパービンゴが打てるようになってきた。フリーでも、勿論セットでもだ。

今更名乗るまでもないが、僕は麻雀のルール考案と普及をライフワークとしている肉達磨である。マンピンソーでサンマをしたり対子で鳴けたり一枚足りなかったり7が8枚入っていたりする麻雀を商っている。思いの外順調に事態は進行していて、そうすると近頃は「こんな麻雀を思いついたんですけどどうですか?」と連絡が来るような事も増えた。そんな時、面識がなければその考案について深く聞かないようにしている。理由は他でもない。これから僕がリリースする麻雀がそれに少しでも類似していたり、相談してくれた誰かが「類似している」と感じると面倒だからだ。

アイデアの盗用による被害者感情が最高潮に達した例

というのは冗談だけれど、そもそもデザインした麻雀が目に触れるのはほんの上澄みに過ぎない。どれも創意工夫と試行錯誤の末に辿り着いた物であり、皆さんの想像を遥かに超える数のアイデアが「出オチ」もしくは「クソゲー」としてボツになっている。

どれもとんでもねーゲーム性だけれども一線を越えないように設計している。当人は大真面目だ。

テンポ、ゲームコンセプトへの一貫性、射幸性など、考慮するべきポイントは多岐に渡る。ただ僕がルールをデザインする上で一番最初に考えるのはたった2つしかない。それがウデブレだ。


ウデとブレ

漢字で書けば文字通り振れ。つまりは実力と運、より厳密に言えばユーザー介入度の高低と分散の大小を示す語だ。勿論すんなりと理解できるだろうけれど、一応簡単に解説をしておく。

ウデ

ユーザー介入度は知識介入技術介入に大別される。どちらもぱちんこや回胴の用語として僕は覚えたけれど語源をご存じの方は是非教えて欲しい。知識介入とはつまり「わからん殺し」を指す。例えばビンゴでは

典型的な待ち取り枚数問題

ここから⑧を切るか⑨を切るかで年間収支がかなり違ってくる。所謂セオリーであって、麻雀ウンチクを語るタイプの人間は引き出しと呼んだりもする。特殊麻雀にはそのゲーム特有の引き出しがあり、そしてその理解の有無が勝敗に直結するケースが多い。そして言わずもがなであるが、パチスロとは違い麻雀の知識介入とはそのほとんどが自分で考えればわかる事であったり、反復トレーニングによって習得できたりする事だ。そして、ある程度の習熟によって知識介入による差異は消滅する。

それに比して技術介入は、知識介入要素を全て頭に入れた上で発生する立体的な何切るや押し引きに影響する要素である。僕たちが広義に『雀力』と呼んでいるのはこの部分だ。身体に詰め込んだ様々なセオリーや判断基準も、最終的には正しい判断ができるかどうかが全てだ。そして、正しかったかどうかを僕たちは結果としてしか知る事ができない。

ここで平澤元気さんのある動画を紹介したい。正しくは平澤氏も『麻雀の扉』というブログを紹介しているだけの記事なのだけれども、時の流れでブログ自体が消滅してしまっているから概要を知る事ができるのはこの動画のみだ。ここで、神様のキューブなる表現で立体的な押し引き判断のバランスを最適な状態にアジャストしていく重要性が語られている。

手順が良いのに勝てない人と、手順があまり良くないが勝てる人の対比

この最適境界線が直感に反し、奥行きが広ければ広いほど技術介入要素が高いゲームだ、と言える。

ブレ

ひたすら堅い話が続いて申し訳ないが今しばらく御辛抱戴きたい。ブレとはつまり「ツイているとどれくらい吹いて、ツイていないとどれくらい沈むか」という要素だ。職業的ギャンブラー、専業者の人間はどんな種目であれ「分散はいずれは収束する」という言葉を好んで使う。これは確かに真実であって、しかし欺瞞だ。ツイていた人間とツイていなかった人間との差は、やればやるほど広がってく(勿論比率としてのブレは縮まっていくが、差としてのブレは大きくなり続ける)。

古典的なランダムウォーク図

そしてこのブレこそ、麻雀が麻雀である所以だ、と僕は考えている。ツイている奴がツイているがゆえに勝つ、これは無視できない大原則なのだ。

しかしそれでも、結果として幸運であった人間と不運であった人間がいることは誰にも否定できない。これこそがブレであり、ツキだからだ。

僕は麻雀をデザインする時、ある要素を足す、もしくは引くと「それがウデとブレにいかに寄与するか」を必ずシュミレーションする。では、具体的にどう構想していけばよいのか?

ツキとブレのマトリクス

まず、以下の2軸マトリクスをご覧いただきたい。

ウデとブレのマトリクス

「ついに脳まで脂肪が回ってクマクマタイムばりの電波図説を出してきたか」と決めつけるのは少しだけ待って欲しい。縦軸はウデ、横軸はブレを示していて、更にそれぞれ正負がある。このマトリクスに従って僕は「基本の味付け」の調整をしている。この4区分それぞれについて「こういう風に寄せていくと大まかにこういう嗜好に向いていくよ」という名前を付けている。それぞれ僅かに語弊があるかもしれないが、例えば暇つぶしとは「社交的なゲーム」であると考えてくれれば良い。なぜ理想なのかと言えば、最終的にそれぞれの嗜好はその他の要素(テンポや射幸性、逸脱の度合いetc.)に依って立つものだからだ。そしてこの考え方は別に「手牌を短くしよう」とか「ポンを一翻役にしよう」といった抜本的で珍奇な物に対してのみ当てはまる訳ではない。以下に例示をしてみよう。

Mリーグルールについて考える

『四人打ち東南1-3赤3祝儀ナシ』について、ここに「一発裏面前祝儀3000点相当」を加えてみる。この時ブレは明確に増し、そしてウデについては短期的には増し、そして長期的には減る。まず、あらゆるルールは原則として追加した瞬間に短期的にウデの差が増す。そのルールにフィットする為のセオリーが汲みだされるまでの間にどれくらいアジャストできるのかの、つまりは知識介入への競争が始まるからだ。そして技術介入は「選択肢と判断基準が明瞭になればなるほど」下がっていく。だから、所謂Mリーグルールに面前祝儀を足すと最終的に競技的嗜好からかけ離れていく事が分かる。

では今度は、先ほどのMリーグルールに「赤12」を加えてみる。この時ブレもウデも減る。「ドラをそんなにばかばか入れたらブレまくるだろ」と考えるのは浅はかだ。全員に行き渡るドラの枚数の差は縮まり、また平均打点の差も縮まる。そう、ブレを創るための要素はそれが過剰に供給されると逆に働き始めるのだ。かつて名古屋には「華鳥風月」というギャル雀があった。そこのルールは「4人打ち赤6華4」という驚異的な代物で、この時僕は「なるほど、暇つぶしには最適な作りだな」とひどく感心したのを覚えている。

スーパービンゴについて考える

アリスの派生形としてチューリップがあり、そして🌷ゲームの派生形として確変🌷があり、そしてその更に派生形として立ち現れたのがスーパービンゴである。では、そのルール変遷を源流から辿ってみよう。

『アリス⇒チューリップ』へと移り変わった時ウデもブレも共に大きくなった。そもそも全く継続の期待できないアリスから比較的高継続のチューリップになることで、🌷効率という概念と共に乗り枚数のブレも夥しいものとなった。ちょっとした賑やかし要素からしっかりめの賭博へと舵を切ったと言える。次に『チューリップ⇒確変🌷』へと移り変わった時、この時ブレのみが大きくなった。プレイヤー間の7の寄りの差によって大きく確変率が変わり、そしてこの差は決して覆すことができない。

そして最後に『確変🌷⇒スーパービンゴ』となる時、つまりここにあるのは「7を8枚」を加えたという事のみだ。この時「赤12」の変更によって起こった出来事を思い出して欲しい。

ブレを創るための要素はそれが過剰に供給されると逆に働き始めるのだ。

自己言及型の引用

7を8枚にすることで全員の確変突入率を近づけ、それに併せて「萬子を抜くこと」で継続率を更に高水準にした。この出来事によってブレは減少し、そしてウデが出るようになった。なんとスーパービンゴはイカレパーティゲームのような仕様に見えてその実、従来の🌷ゲームに比べて「競技性」を増しているのである。

現時点でスーパービンゴの更に派生形は『セブンラッシュver.』『満塁ホームランver.』がある。この2つが如何に射幸心を煽るかは別としてセブンラッシュに持ち込まれたビンゴ牌はゲームをある程度③に寄せるものであり、そして満塁ホームランで使用されるカットビマークはビンゴを強く①に引っ張る力がある。

僕個人としてはどちらも味わい深く、そして趣深い。自身の嗜好を知るためにも皆さん是非ともどちらも試して欲しい。

天鳳位ヨーテルに学ぶウデとブレ

1年程前に出たこの動画、オチは少し弱いが全体として異様に秀逸な出来栄えだ。ちょっとでも興味の湧いた方は読み進める前に動画視聴をおススメしたい。運要素と実力要素についての考え方に少し僕との相違があるが、おおむねすんなり楽しく観れる。ではここで、なぜ僕は実力要素ではなく「ウデ」と呼び、運要素ではなく「ブレ」と呼ぶのだろうか

将棋チンチロ

チェスボクシングならぬ、将棋とチンチロのバイアスロンギャンブルについて考える。まず将棋を指して、その結果で財貨をやりとりし、しかる後にチンチロの結果で財貨をやり取りした上でこれを1セットとする。

この時、「将棋」の部分がウデであり「チンチロ」の部分がブレであることになる。そして場代はこの1セットに対して徴収されるものとする。この時、ブレは見かけ上のレートを上げることに大きく寄与している。最終的にエッジが出るのは将棋の部分なのだけれど、ブレで大きく動かす事で場代比率は良くなっていく(この話を聞いて「詭弁だ」とアレルギー反応を起こす人間もたくさんいるだろうが、詳しくは次回に述べることとする)。また、麻雀は単純に2種目が並列されるだけではなく「将棋で勝つと1の目の出る確率が上がった」り「チンチロで負けると将棋が飛車角落ち」になったりする構造を持っている(配牌の差による実質的ハンデ戦の発生から明らかである)。つまり、ブレを増すことでウデの介入する余地が増えるケースが存在するのである。

運と実力という区分法を使う人間からは、分散を肯定しようという意思が希薄だ。「運要素を削る事でより短期での成績による実力差の見える化をしよう」というのが所謂『競技』の理屈である。しかしこれは雀荘側からすれば場代比率は悪くなるわ無駄にくっきり勝ち負けがついて負け客がしんどくなるわ良いことがまるでないのだ。どれだけブレようが結局はウデの部分で勝ち負けが決まるのだからいちいち気にすることなどないではないか。僕たちは毎日麻雀をして、それは死ぬまで続くのだ。収束するのに必要な時間は充分に取ることができるのだから。

【追記】

このnoteを公開する前に、とても嬉しいことがあった。この喜びをみなさんと分かち合いたい。

ふくちんこの愛称で知られる麻雀ライター(ギャンブルライターではない所が凄い)福地誠さんが前回のnoteを購入してくれた。僕は昔から福地さんのファンだ。たまに無料の記事にスキをつけてくれたことはあったが、赤の他人の駄文を購入するなど金と時間の無駄だろうにと実に汗顔の至りである。あまりにも気分が良いので今回は完全無料で公開の記事とさせて戴く。サンキュー福地誠。

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